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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

現在の私。出来る事。出来ない事。

番外編

『悪性リンパ腫』と告知されてもうすぐ半年。あっという間ではあったがここまで長く苦しい道のりだった。まだまだ、治療は半分辺り。おそらく・・・。

ちょっと、早いですがここまでの半年を振り返ります。

 

11月から3月までの私の闘い。

 

『悪性リンパ腫』との闘いとは命にかかわる病気なのだから精神的な闘いと、抗がん剤治療による抗がん剤という劇薬とのの闘いになっています。『悪性リンパ腫』による悪性腫瘍、リンパ節の痛みは今は、ほとんど感じることはないです。たまに、チクチク痛むのがそうなのかなぁって思う程度です。

 

心臓の疾患については、今でも常に少し息苦しさがあります。抗がん剤をCVカテーテルで静脈に大量に流してるときは心臓に負担がかかるために普段より、痛みも不快感も増します。あと、心臓の不快感(キューっとなったり、ピクピクしたり)によって常にこのまま心臓止まったらどうしようとか、心筋梗塞などの発症に恐怖を感じたりします。

 

抗がん剤の副作用としては手の痺れ、体力の低下、疲れやすい、貧血などがあります。

手の痺れはオンコビンという抗がん剤による末梢神経の異常らしいです。どの程度の痺れがあるかというとリモコンのボタンを押すと痛む。タッチパネルにタッチする感覚があまり分からない。などがあります。

 

シャツのボタンもYシャツのボタンだと多分、止めれないのではないでしょうか。料理するときのゴマとか乾燥ワカメのプチプチと止めるチャックも明けづらいです。

最近になって、マウスを買い替えたのも、ひとつは他の患者さんにカチカチ音が迷惑になるのと、もう一つは今まで使ってたマウスで指が痛くなってしまう為でした。パソコンのキーボードを打つ作業もすぐに指が痛くなってしまうためにblog書くのも大変です。(汗)

 

好きな絵を描くことも、文字を書くことも自分のイメージとかけ離れてて、書く気にもなれません。好きなことを病気が原因で出来なくなるってのは本当にストレスになってます。その分、何か新しいことを始めようとblogを始めたり、Twwiter始めたりしました。

 

でも、最近始めたTwitterでも後で自分のツイートを見返してみるとやたら誤字、脱字が多く、フォロアーさんのタイムラインを汚してしまってるようで申し訳なく思います。指先の感覚の問題もありますがフルフルと常に細かく震えているのでツイートしてる途中で送信してしまったり誰か宛にツイートしたつもりが出来てなかったり(涙)します。

 

1回目の抗がん剤治療では、ここまで痺れは酷くありませんでしたが抗がん剤の投与回数、量ともに増えたのでそれに比例して酷くなっていくように感じます。抗がん剤投与直後は肘から下がピリピリと痛み時には痺れてだるくなってしまいます。薬で緩和が出来るようだけど未だやったことはないんですが、もっとひどくなるようなら医師に相談したいと思ってます。

 

他には体の毛が抜けました。闘病記でも後々書いていこうかとは思いますが髪の毛、鼻毛、まつげ、眉毛はほぼ無くなりました。髪の毛は、3回目の投与辺りからごっそりと抜け出しました。それはもう、びっくりするほどにごっそりと。女性は髪が命と言いますが男性の私でも髪が抜ける過程はショックでした。今は、しゃーないと思っていますが。

 

私は花粉症なのでこの時期に鼻毛がないのは大変つらいです。鼻毛で防げそうな花粉が鼻の粘膜にダイレクトに来ますし、まつげ、眉毛もだいぶ少なくなったので目も同様です。

 

そのせいで一時退院の時の姿は明らかに怪しいです。ニット帽、メガネ、マスク、手袋。明らかにそれです。私的には自分が『悪性リンパ腫』のキャリアであることを別に隠しているわけではないので、別に何とも思わないのですが子供が私の頭の事で学校で何か言われたり、近所で要らぬことを言われたり、何でそうなったかの経緯を説明するのも面倒なので、かのような格好になっています。

 

『悪性リンパ腫』になる前に母の事やTVや雑誌、インターネットなどで抗がん剤治療の弊害、副作用が大変だとは思っていましたが、ここまで普段の生活が不便になるとは思ってもみませんでした。

 

貧血も抗がん剤投与直後から始まって、赤血球の数値が正常値まで上がらなくては、とてもじゃないが出歩くことは難しいと感じました。日常生活でも大変なのに仕事なんて出来ないと思います。

 

食欲に関しては抗がん剤投与1週間から2週間を除けば、病院食以外なら食べれるかもしれません。でも、投与1週間から2週間は味覚異常で味も分かりませんし、水でさえ何かドロッとした液体に感じます。とても飲めたもんじゃないです。白米や味噌汁も美味しく感じません。

 

白米なんて匂いを嗅いだだけで嗚咽が出そうになるんです。

 

他にも、私は一時退院した時に料理を作りますがその時に自分があんまり味見をしないで作るという事を以前は、ずぼらだなと、たまに反省していましたが抗がん剤治療のせいで味覚異常になってからは良かったと思います。何でかというと、目分量、手分量で作っていたので味見しなくても体で覚えてるからです。妻に確認してもらうことは、ありますが毎回味見してそれを頼りにしていたら、今は、相当苦労してたと思います。

 

私の母は、近所でも有名な料理の上手な人でした。そんな母も私と同じように抗がん剤治療をしていたのですが、明らかに治療後は塩気が多く、味が落ちたと思います。その時は、母の気も知らずに平然と『最近、味が落ちたね。』とか『最近、塩辛いよ』とか言っていて申し訳なく思います。

今思えば、抗がん剤の副作用で味覚異常になり味が分からなくなったのではないかと思います。

 

『悪性リンパ腫』に、なってみて初めて思うことが沢山あります。辛い。本当に辛いです。

 

『頑張って』と誰かに言われれば、何を?!って思うこともありましたし、こんな病気になったことを恨んだこともあります。今もですが。

 

でも、一番辛いのは、以前の自分じゃなくなったことだと思います。絵が描けない、字が思ったように書けない。悲しすぎます。体力的なこともそうですが、美味しかったものが美味しく感じなかったり、毎日飲んでたコーヒーがまずく思えたり。

 

出来てたことが、出来なくなる。

 

これを受け入れるのが本当に辛いです。

 

当たり前の事、普通の事、これが出来なくなる。

 

刺身が食べたい。卵かけごはんが食べたい。子供と一緒に公園で走り回りたい。家庭菜園で野菜を作りたい。家具を造りたい。キャンプに行きたい。お酒を朝まで飲みたい。家族で海に行きたい。

 

『悪性リンパ腫』になったせいで、全部できません。

 

本当に悲しく、辛いです。家族にも、子供にも本当に申し訳なく思います。

 

告知されて、2か月はふさぎ込み、一人で自分を悔い、慰め、怒り。色んな、感情との葛藤がありました。

 

でも今は、出来ない事よりも出来ることから始めようという思いで、音楽は前と同じで聴ける。映像や映画も観れる。ゲームも何とかできる。料理も何とかできる。子供との遊びも何とかできるものがある。という風に考えられるようになりました。

 

この病気になる前に、『お前は強い人間だ』とか『〇〇さんだから出来るんだ』とか『へこたれるとか、もう駄目だとか思ったことあるんですか?』とか言われたこともあります。

 

はっきり言いますが、私は決して強い人間じゃありません。だから、強くなりたいと思うし、弱音を人前では言いたくないだけなんです。強くないから共感を求めますし、確認作業を怠りません。弱音を吐くときももちろんありますが、そんな後に自己嫌悪にもなります。

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 だから、思うんです。

 

もっと、何かできないか、もっと、やれることは無いのか。今の私でも出来る事。

 

それがいつか、今の私じゃないとできない。それが見つかればいいと思っています。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

抗がん剤治療 2クール目 その①

闘病日記

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療2クール目がいよいよ始まる。5日間の一時退院によって闘う勇気と力をもらった私。この先、何とか治療を頑張っていける気持ちでいた。それなのに突然言われた。担当医からの意外な言葉とは?!

 

 

2クール目突然病室で告げられたこと

 

 

『実は、提案というか報告があります。』担当医は静かに私の目をしっかりと見据え真剣な表情で私に言った。その提案がとって良くないことぐらいすぐに分かった。

 

『〇〇さんの今までの診断と今回の検査結果に基づいて他の医師と協議を重ねった結果、今回から〇〇さんの抗がん剤治療の方法を変更させていただこうかと思います。』

 

(へっ?!変更なにそれ?)

 

『前回のRーCHOP療法でも治療の効果の確認は出来たんですけど〇〇さんの場合、年齢的にも、まだお若いし、進行のスピードも中高度と早めの進行度合いなので、今回からはR-EPOCH療法という治療方法に変更したいと思います。それによって今後は、前回と違って薬の数も、薬の量も増やしていきたいと思います。』と前回同様、キリッとした表情で話された。

 

『はぁー。どういうことですかそれって?』私は突然の治療方法の変更に戸惑いながら訊いた。

 

『前回の治療方法のR-CHOP療法というものは基本的に『悪性リンパ腫』になった患者さんにまず試す治療方法でもあるんです。〇〇さんの場合は、心臓にも疾病が見受けられたので前回は薬の種類も、薬の量も少なめで行ったんですが、その割には十分効果は見受けられました。でも、薬の種類と量を増やすことでもっと効果を期待できると思います。』

 

そこまではっきりと言われたら断る理由もないし、まだこの時は考える余裕もあんまりなく治療方法の知識もなっかったので『分かりました。』と答えた。

 

その後に、新しい薬を使うことによって新たな副作用が生じるかもしれないという事、薬の量が増えるという事もあり今もある副作用の症状がもっと強くなる場合があるという事も知らされた。

 

治療方法を決定する権限も治療方法の知識もない私が断れるはずもない。しっかりと説明は受けたのでこの治療方法にかける思いで承諾するしかなかった。

 

担当医が、病室を出て行った後に妻にこのことの報告のメールをした。

すぐに(どういう事)と返事が来たが妻は仕事に行ってるしメールでは長くなるので今度病院に来た時に話すとだけ返信した。

 

(厄介なことになったぞ。)前回の治療だったら経験してるし、抗がん剤の副作用もまだまだ軽度なものだったので我慢できるレベルであったのだが種類も量も増えるという事は・・・。どうなるんだろう。

 

でも、今は担当医が言った、もっと治療の効果が望めるという言葉を信じるしか無いなと思った。夜のなると治療法変更の不安が募り、スマホでまた検索をしてみた。

 

(R-EPOCH)検索 ポチっっとな。

 

検索結果に次々に表示される。R-EPOCHの文字。どれこれ構わず読んでみる。

 

・・・。はぁーーー。どれこれ読んだ結果。全くいいイメージは湧いてこなかった。

 

悪性リンパ腫に再発の患者によく用いられるとか。抵抗型のB細胞リンパ腫によく用いられるとか。医学、医療の知識は全くないので再発と抵抗型という言葉がネガティブでしょうがなかった。まあ、びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫にはこの治療法が用いられると書いてあったところもあったが。

 

R-EPOCHで用いられる薬品は、

 

             薬品名     

R・・・リツキマシブ(リツキサン)

E・・・エトポシドリン酸塩(エトポシド)

P・・・プレドニゾン(ステロイド)

O・・・ビンクリシチン(オンコビン)

C・・・シクロホスファミド(エンドキサン)

H・・・ドキソルビシン

 

例のごとく、薬品の頭文字をとって、R-EPOCH(アールエポック)と呼ばれるらしい。エポック星人やミスターエポックなら聞いたことあるが初めて聞く言葉で不安しかない。前回のR-CHOP療法と比べるとエトポシドリン酸塩という薬が増えたぐらいで、他に変わったところがないか調べました。

 

前回のR-CHOP療法についてblog書いております。参考までに。↓

R-CHOP療法 副作用など - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

R-EPOCH療法に用いられる薬品とその副作用まとめ

 

()内は商品名。別名です。詳しくは、薬剤師、医師へ確認ください。

 

R・・・リツキシマブ(リツキサン)

・アレルギー症状として悪寒、悪心、頭痛、掻痒、皮疹、咳、虚脱感、血管外漏出 など

 

 

E・・・エトポシドリン酸塩(エドポシド)

骨髄抑制・アレルギー反応・骨髄抑制・間質性肺炎など

 

 

P・・・Prednisone(商品名プレドニゾロン)ステロイド薬

・感染症、骨粗鬆症、糖尿病など

 

 

O・・・Oncovin(商品名オンコビン)Vincristineビンクリシチン(商品名オンコビン)

・骨髄抑制、末端神経障害、脱毛、錯乱、昏睡、イレウス、消化管出血、消化管穿孔、アナフィラキシー、心筋虚血、脳梗塞、難聴、呼吸困難・気管支痙攣、間質性肺炎、肝機能障害・黄疸など 

 

 

C・・・Cyclophosphamidシクロホスファミド(商品名エンドキサン)

・アナフィラキシー様症状、骨髄抑制、出血性膀胱炎、排尿障害、イレウス、胃腸などの炎症、肺炎、心筋障害、心不全、肝機能障害、急性腎不全、黄疸など

シクロホスファミド 

 

 

H・・・Hydroxydaunorubicinドキソルビシン(商品名アドリアシン)

・心筋障害、心不全、骨髄抑制、出血、頻脈。口内炎、嘔吐、悪心、食欲不振、下痢、脱毛、発熱など

 

 

以上のような副作用があります。

 

この日は遅くまで抗がん剤の治療方法や薬品の名前、治療効果、副作用などについて調べました。でも、この抗がん剤治療は調べると調べるほど不安が募り、また、本当に正しい治療方法なのかなどの疑問も出てきました。

 

今現在、薬品の進化はどんどん進み、どの薬をどのくらい使えば治療効果があるかというデータは揃ってるらしい。でも、人によっても効果の表れ方はそれぞれで実際使ってみないと分からないらしい。

 

この時の同室の患者さんも、治療方法や薬品も次々に変えたと言っていたし、効果もほとんど見受けられなかったとも言っていた。

 

実際使ってみないと分からない。

 

結局これが出た答えだった。

 

次の日に首からCVカテーテルを心臓の近くの静脈まで通し私の2回目の抗がん剤治療が始まることとなる。いきなりの治療方法変更で戸惑うだろう。でも、どうすることもできない。なるようになれだ。最後は開き直りこの日の私は眠りについた。

 

いよいよ始まった2クール目。いったいこの先どうなることやら・・・。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

再入院前夜。

闘病日記

一時退院というほんの一時の休息を終え『悪性リンパ腫』という厄介な病気と闘うために私は再び、病院に戻らなければなりません。

その闘いは本当の意味での新たな闘いの始まりでした。

 

 

2クール目開始前夜

 

明日は『抗がん剤治療2クール目』の開始日だ。こんなに楽しくも面白くもない開始日ってあるのだろうか。というわけでこの日は私の一時退院最終日。体力もこの一時退院の5日間で少し歩くくらいなら出来るようになった。

 

この日は、日曜日という事もあり、実家の家族と私の家族で神社に祈願と厄払いに赴いた。神社は寒く家族みんなが心配してくれた。無事、祈祷を済ませて全員で食事に行った。

 

家に帰り、明日の準備を済ませる。夕方になり子供と近所のスーパーに晩ごはんの材料を買い出しに行った。

 

『何が食べたい?!』私が訊くと。

 

『ママは何が食べたいかな?』と子供。

 

『ママに訊いてみれば』私は携帯電話で妻に電話をかけ子供に携帯電話を渡した。

 

子供は妻と一言二言話すと『だと思った。私も食べたかったもん』と、いかにも私が提案しましたとでも言わんばかりの表情で電話を切った。

 

『ママ、何が食べたいと言ったと思う?』子供が訊いてきた。

 

『おでん。』と私が答える。

 

『!!!』子供がまるで狐に包まれたような表情で私を見た。

 

『なんで分かったの?』と言う。『パパも食べたかったから。』と私。

 

『なーんだ。私も食べたかったんだよね。おでん。』『じゃあ、最初に言ってよ。』

 

そんなやり取りをしながら、おでんの材料を買う。妻が好きなはんぺん。子供が好きな牛のアキレスとこんにゃく。もちろん、私の好きな手羽元も買った。←これが美味しい!

 

家に帰って早速、家族みんなのリクエストである、おでんの調理をする。大根はさすがにこの痺れている手で切ると危ないので妻に切ってもらった。ぐつぐつとおでんが煮込まれる時間も、また、始まる抗がん剤治療の不安は募る。また、あれが始まるのか・・・。

 

おでんもだいぶ煮詰まり、もう少しで食べごろとなったころ。

 

子供が『パパ、お風呂に入ろう。』と言った。前回の入浴の件もあったので私は細心の注意を払い、シャワーだけで済ませた。子供は、きゃっきゃ、きゃっきゃ言い私とのお風呂を心から楽しんでくれたようだ。

子供は、私に勇気をくれる。こんなに小さな手で私の背中を押してくれて、こんなに小さな瞳で私に精一杯の愛情を伝えてくれる。

 

愛おしい。この子が。家族が。自分が。生きるとことが。

 

お風呂から上がり体を拭き終えると、いよいよ待ちに待ったおでんを囲んでの夕食だ。

今回最後の夕食だという事で私の気持ちも若干、高ぶっていたようだ。そんな幸せな食卓になるはずだった夕食の場面。些細なことで、少し悲しいことになってしまった。

 

出来上がったおでんを取り囲み食べようと妻が子供におでんを取り分けていた。その時

『大根入れないで!』と子供が大声で言った。

普段なら、何ともない事だろうが私も妻も、『何で大根食べないの!』とか『パパが一生懸命作ったのに。』とか『そんなこと言うなら、もう食べなくてもいい!』と子供を叱責してしまった。

 

情けない。

 

今思えば本当に子供に申し訳ないことをしたなと思う。あんなに私を励ましてもくれ勇気もくれたのに。普段、寂しい思いをさせている分、大根を食べる食べないの事で叱責する必要があっただろうか。父親失格である。

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この日のおでんは悲しく切ない味でした。(ToT)/

 

結局、泣き出した子供をなだめて、子供と二人で今回最後の夕食をとった。妻は子供の事が許せなかったらしく他の部屋に行ってしまった。これから、私が居なくなれば二人きりになるのだ。子供に対して、何でいう事を聞いてくれないのって思う気持ちや、何でわがまま言うのって気持ちが妻を自己嫌悪に追い込んでしまってるのではないだろうか。申し訳ない。

 

最後の夜。布団を並べて子供と寝る。子供の生まれた時の話や、今より幼いときの話、私が幼かった時の母に怒られた話などをした。

 

『もっと話して。』とせがむ子供。

『明日、学校だからこれくらいにしよう。』と言う私。

『パパ明日から、病院でしょ。だから、話せなくなるじゃん。だから、話して。』と子供。

『じゃあ、もう少しだけ』ってな感じで話はいつまでも続く。

 

『〇〇。パパ明日から、また、病院行くけどママの事よろしく頼むよ。ママ一人で〇〇のご飯作ったり、パパの病院来たり、お仕事したり大変だから、助けてあげて。』

と切り出した。

『うん。私も頑張るから。パパも頑張って。そして、また、帰ってきたら、いっぱい遊ぼう。』

『わかった。頑張るよ。約束しよう。』私たちは小指と小指をお互い布団に入りながら指切りげんまんをした。

『おやすみなさい。』満足したのか子供がそう言って目を閉じた。

『おやすみ。』私が答えた。

すぐに、静かな寝息が聞こえた。その静かな寝息を聞きながら、頑張らないといけないな。いっぱい遊ぼうって約束したもんな。この子の為に家族の為に。私は静かに寝息を立てて眠る子供の横で流れ出した涙をぬぐおうともせずに、しばらく泣いていた。

 

ごめんね。寂しい思いさせて。ごめんね。パパも寂しいけど、〇〇の方がもっと寂しいよね。ママに怒られた時も庇ってあげられないし、宿題分からない時も一緒に解けなくてごめんね。パパもっとここに居たいよ。でも、病院に行かないといけないもんね。ごめんね。

しばらく泣いた後、はぁーーっとため息をついて目を閉じた。明日、目が覚めたら病気じゃありませんでした。夢でしたって、ならないかな。などと夢想しながら眠りについた。

 

 翌朝、私たち家族は今回最後の食事を済ませました。いつもの様に他愛もない話をして笑い合いながら楽しく。本当にこの日に病院に戻らなければいけないのかと思うくらいに普通の朝でした。

 

『行ってきまーす!』と元気に学校に行こうとする子供を玄関先で呼び止め、

『パパ頑張ってくるから、〇〇もママと一緒に頑張ってね。』といいました。

『うん。パパも頑張って!』子供はおおきく頷き、私に背を向けランドセルをブルンブルンと左右に振りながら走っていきました。

 

昼前には、しぶしぶ妻の運転する車に乗って病院に向かいました。車内では一切の会話もなくただただ病院に向かう道の車の列をぼーっと眺めていました。

 

(検査したら、ガン細胞消えてましたよ。良かったですねぇーとか言われないかな)などと馬鹿なことを考えながら。

 

まもなく、病院へ着き。『血液内科』の病棟へと向かいます。私の戦場です。戻って来たくなかった。戻って来たくなかった。と何度も心の中で言いました。

 

『〇〇さん、お帰りなさい。』担当の看護師が私に気づき挨拶をしてくれた。

『戻って来たくなかったけどね。』と憎まれ口をたたいてみる。

『そうでしょうね。』担当の看護師はバッサリと会話を切り、業務に戻っていった。

あれくらい(ドライじゃないとやっていけないよね)と心の中でつぶやき今回の病室へと向かった。

今回は、前回までと違い4人部屋があてがわれていた。自分のベッドに腰かけ、待っていると先ほどの担当看護師がやってきて左手に入院患者を管理するバーコードの入ったリストバンドを付けてくれ、これからの検査や入院時の注意事項をあらためて説明してくれた。

どうやら、いきなり検査の連続らしい。私は、早速、戦闘服であるパジャマに着替えた。検査内容は、心電図、心エコー、CT撮影、血液検査だった。何もなければいいが。

 

一時退院してからというもの、はっきりいって自分が病人だという事も『悪性リンパ腫』のキャリアであることも意識がどっか行ってしまっていた。この日はずっとそのギャップを感じながらも検査を受け続けた。

 

悪性腫瘍が増えていたらどうしよう。不安になりながら、検査結果の報告を病室で待った。数時間後、担当医が私の病室に来てくれて、今回の検査結果を報告してくれた。.

 

『特別に悪くなってるとかそういうところはないです。心臓の方も正常な動きをしていますし、心膜液(心臓と心臓にある膜に前回の入院時に水が溜まっていた。)の方も増えてはいないようです。』責任感の強そうな私の担当医はきりっとした表情で報告してくれた。

 

『本当ですか。良かった。』私は少しほっとした表情で答えた。

 

『ただ・・・・』ん?!ほっとしたのもつかの間、担当医の言葉が続く。

 

『?!ただ・・・?』なんですのん?!今、大丈夫って言ったじゃないの!って思いながら担当医の続く言葉を待った。

 

『前回の治療は、うまくいったと思いますが・・・』

 

(が?!)

 

『ここで、ちょっと、相談というか報告というか・・・』

 

なになになに?!と突然の担当医から出た言葉に動揺しながら、私の『悪性リンパ腫』闘病生活2クール目が開始されたのでした。この後、担当医から私も家族も予想もしなかったことを告げられます・・・。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

ものをつくるということ

番外編

 『ものをつくる。』あえて、ひらがなで表記したこの言葉。いろいろな意味になる言葉。言葉って面白い。今回のテーマは、『ものつくり』です。あなたは、ものをつくりますか?つくる喜びを知っていますか?

 

誰しもあこがれではじめたい、やってみたいと思う事色々ありますよね。心に余裕があると、やってみたいと思う事。今回はそんなやってみたいことの一つ『ものをつくる』について書いていこうかと思います。

 

 さて、今回のテーマは、『ものをつくる』です。ものをつくると言っても、物を作るという単純なテーマではございません。私にとってのものつくりとは何かを書いていきたいと思います。

 

日本語でも、英語でも、モノをつくるという言葉、色々あります。

 

例えば、

 

物、者、もの、モノ

 

つくる、作る、造る、創る

 

Make. Made. create.

 

上記のように、色んな言葉があります。色んな言葉がありますが、言葉の意味は、大体同じ。同音異義語ではなく。同音同義語なんです。学術的には、違うかもしれませんが、私の中での意味は、同じなんです。

 

ちょっと、意味が分かりにくいですね。どういう意味かと言いますと。ものつくり。言葉は違えど工程は一緒という事です。

 

紙という物で、鶴を作る。と、大工という者で家を造る。 同じです。

どういう事かというと、ものを使って、つくる工程が同じという事です。

(ものをつくる。工程表)

1 あれ、良いなぁという良いイメージ。欲しくなる。

2 設計図を描く

3 ものを探す。(材料や人)

4 集めたものでつくる

5 反省会

6 好きになる。 or もうやめた。

 

自分のイメージした通りにものが作れれば良いと思いませんか。自分のイメージ通りに絵が描けた。イメージ通りに料理が出来た。こうなってくれたらいいなと思ってた通りに子供が育ってくれた。どれも、素晴らしいと思います。子供育てるのは決して楽ではないと思いますが。

 

私はものつくりが好きです。今までに色々なものを作ってきました。理由は色々ありますが一番の理由は自分が作ったもので、人に喜んでもらいたい。これが一番の理由かもしれません。

 

私がものつくりが好きになったきっかけは、両親です。父は私に本棚や虫かご、ベッドなど作ってくれました。別に大工とかではないんですけど昔の人は何でもできたんだなって思います。今は買おうと思えばなんだって買える時代だから作る必要がないのかもしれませんが。

 

母も、毎日おいしい料理を作ってくれました。私もまねて作るのですがなかなかうまくいきません。それが悔しくて、悔しくて頑張って作りました。

そしたら、ある日『美味しい!』って言ってくれたんです。あれは本当に嬉しかった。今でも覚えています。

 

上手くできたら褒めてあげる。これが大事なんだと子供を持つ親として痛感しています。小学校の子供がいるんですが、自転車の練習や逆上がりの練習。

頑張ってできてほしいと思う反面、何でできないの?ちゃんと私の言うことを聞いてって!イライラすることもしばしば。これじゃあ、子供は嫌ですよね。頑張ろうと思う前に失敗したら怒られる。という風な変換をされてしまします。失敗しないようになると子供の体は、がちがちに緊張する。

 

悪循環ですね。

 

 今思えば、父も母もじっくり、ゆっくり見守ってくれて私の成長を促してくれました。

子供という、ものつくりとしてはまだまだ発展途上の私は子供の頃の思い出を手掛かりに日々、私の子供という、ものつくり学んでいます。

 

私の性格は、何事にも興味が出たら、とことん好きになる。

 

これが、長所でもあり、短所でもあります。

 

あー、あれいいな。ああーこれいいなって思ったら。どっぷりハマり研究します。料理もそうですし、家具作りなんかもそうですね。病気の事もいろいろ調べましたし。

今は、『悪性リンパ腫』という病気の為思い存分料理することも体力的に無理ですし、家具作りに至っては、雑菌やダニなどが木材の中にいることもあるので全くできません。作りたいものは山ほどあるんですがね。

 

料理は、以前書いたblogでも紹介しているので、今回は、私が作った家具をほんの少しだけ、紹介させていただきたいと思います。

 

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まずは、子供用の椅子です。保育園の年中さんくらいの時に作ったものですかね。

手前の焼き印なんかも作ったりして、自分が作った家具には全て押してあります。製作日数は3日くらいですかね。

 

次は、どうしても自分の子供が小学校に行くようになったら作ってあげたかったもの。それは、『勉強机』です。

 

ホームセンターで買ってきた木材。もちろん、作業場なんてないので作業は青空の元です(笑)

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設計図に従って加工していきます。

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 加工してできた部品を組んでいきます

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本棚ですね。下には、カートが入ります。

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天板と引き出しなんかも作ります。 

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あいにく、完成の画像がありませんが(今は子供の物置状態なので撮影NG笑)f:id:orangelamp8:20170323213815p:plain天板の色も日がたつと↑の画像の様にあめ色になります。これは、キッチンに置いてる作業台ですね。手前のタイルを埋め込んでいるので熱い鍋なんかもそのまま置けます。

 

紹介した学習机なんかも既製品を買ってしまえば、この私が作った材料代、手間賃より、安いものもあると思います。でも、色だとか風合いってのは手作りならではだと思います。子供もパパが作った机だと言って喜んでくれました。

 

自分がつくったもので人に感動を与える。そんなことが出来るのであれば良いなっていつも思います。料理も、絵も、家具も、学校に持って行かないといけない雑巾なんかも作ってもらった物と既製品では愛着も違うと思います。

 

ものつくり。

 

人を育てる。

 

同じだと思います。私も、『悪性リンパ腫』になった今。何ができるか、何を残せるかという事を考えて生きていますそれが、今の私の活力であり、生きる、辛い治療を乗り切る原動力になっています。

 

好きなことで生きる。

 

これが出来れば良いなって思います。自分が好きなことで誰かに感動を与え、喜んでもらい私が両親からもらった喜びを今度は私が子供に伝える。それが理想です。

 

この先どうなるか分かりませんが、私が作ったもの、料理、撮った写真で、今は幼い子供が将来自分の父親は、こういうことを伝えたかったんだと思ってくれれば父親冥利に尽きますね。今は、自己満足かもしれませんが。

 

このblogもそのひとつになればいいな、、、。 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

内側と外側と、そして、中側の話

入院生活について

入院生活に限らず、生活拠点から離れてる、もしくは、何かしらの理由でその場を出れない。こんな状況って、そうそうないと思いますが、もし起きてしまったら?

これが結構なストレスの原因になるかも。

 

内側の世界にいると外側の世界の事って出来づらいんです。

 

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↑これは、網戸の内側の猫です。

 

今回は、『内側と外側』の話を書いていきたいと思います。今の私の場合の内側は、病院になります。一方、外側は病院の外の世界です。

内側から出れない理由としては、感染症のリスクがあるためです。窓ガラス一枚で仕切られているこの内側と外側。実は、かなり距離あります。

 

実際の距離はガラス板1枚なので、ほんの数cmにすぎませんが、気持ち、相手に対する思いやりの距離、やりたいことを出来ない内側の人のストレスの距離は計り知れないんです。

私にとっての外側の人たちは私の家族、友人、色々な契約ごとの担当者、仕事関係の人になります。

 

前回、書きました『快食』なんかも、内側の人と外側の人の考え方の違いや気持ちのギャップによって生じるものです。

 

例えば内側の人がこれをやって欲しいって外側の人に言います。お願いするわけです。しかも、嘆願です。必死です。自分で出来るものならしたいけど、出来ないから代わりにして欲しいってお願いするわけです。

 

内側の人の願いは『嘆願です』

 

外側の人は、その内側の人の嘆願希望として受け取るわけです。すべての人がそうじゃないと思いますし、日常の他愛もない話の中での内側の人の願いは、外側の人にとっては、かるーい希望と変換されて認識されるようです。私の家族や外の事務手続きの係の人は少なくともそうでした。

 

変換図

内側の人→嘆願 外側の人→願い

内側の人→願い 外側の人→かるーい希望

 

外側の人の他『嘆願』は内側の人にちっては『希望です』

 

例えば、私が味覚異常などで病院食が食べれないときに、私は『こういう弁当を買ってきて』と妻に嘆願しました。何でもいいのであれば、病院の中の売店やコンビニで買います。でも、私が食べたい食べれる弁当は病院内に無いのでお願いしたのです。でも、妻が買ってきてくれたのは、全く違う弁当でした。私がこんなこと言うのって、わがままですよね。せっかく買って来たのになんでもいいじゃんと思われると思います。

 

でも、これこそが内側の人と外側の人のギャップだと思います。

 

あなたの妻の性格でしょと言われれば、そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれないと思うのです。多分、妻は、旦那がお腹が減ってる。弁当が食べたいんだと言う感じでそのお弁当を買ってきてくれたのだと思います。

 

私も母が入院してた時に『ミニトマトが食べたい』と言っていたので買って行ったら、この前のミニトマトが良いと言われました。そのこの前のとは私が遠方の営業先で買って来たものでした。その時私が母に言ったのが『ミニトマトだからどれでもいいじゃん。せっかく買って来たのに。』妻が私に買ってきてくれた弁当に、いちゃもんを付けてたら、おそらく同じやり取りがあったでしょう。

 

買ってきてもらう内側にいる人と買っていく外側の人。同じ人でも、こうも考え方が変わるのです。私が外側の人だったときは母の事をわがままとか病人のくせにとか思っていたと思います。

 

自分で出来る事なら頼まない。出来ないから頼んでいる。

 

↑まさに、これです。

 

他にも私が契約している業者から連絡があり、支払いの確認がとれていないので確認をお願いしますと言われました。

その時は、抗がん剤治療の真っただ中で動くのも歩くのもしんどい時でした。でも、支払いが遅れてるという事であれば家族に迷惑がかかるし、妻も仕事中なので早急には確認は出来ないという事で、かなり無理して私が支払い状況の確認をしました。

確認したところ支払い状況にミスはありませんでした。急いでその担当者に連絡をするも留守電。電話するのもいったん病棟外に出ないといけないので大変なんです。

 

しばらくして、連絡すると『今は出先なので戻ったら連絡します。』と言われました。でも、連絡はありませんでした。私が夕方になって連絡すると『確認取れました。私の確認ミスでした。』との回答。

 

オイ!ふざけるな!←言いませんがね。

 

そりゃあ、その業者には私が入院していることも病気な事も関係ない話ですし。支払い確認が出来たからいいじゃん。と思うと思いますが、そうじゃないんですよ。せめて、連絡しますの約束は守ろうよ。これです。

 

外側の人にとってのこれくらいまあいいか。は、内側の人にとっては大きなストレス

 

私も、この業者とのやり取りの一件。健康で外側にいるときなら、確認できたからまあいっか。担当者は、ちょっとムカつくけど。ぐらいで済ませてると思いますが。内側にいる今は、次回の更新時に解約をしようとまで思ってます。

 

ここまで、内側と外側のギャップについて書いてきましたが、これは入院患者とその家族だけではなく、ひとつのコミュニティーの内側の人と外側の人の考え方のギャップの話にも置き換えることが出来ます。

 

例えば、会社の中の経営者側の考えと雇用される側の考え、学校の先生と保護者。他にもいろいろありますよね。

 

そして、もっと大変なのは、その間に立つ立場の人たちだと思います。今の私なら、医師、看護師さんがそうですね。つまり中側の人です。

 

私が以前、営業の仕事をしているときに訪問介護の介護士さんたちと取引をさせていただいてました。その時に色んなお話を聞かせていただいたのですがここで言う内側の人は要介護のご老人なわけです。外側の人は、その家族や色々な機関の人。訪問介護士さんは、言わば中側の人です。

 

例えば、内側の人(ご老人)がこれをやって欲しい。これが食べたいと言ったとします。

 

中側の介護士さんがその嘆願を聞き、家族や公的な機関に伝えます。予算の関係もあるので大変です。公的な補助でまかなえればいいのですが補助じゃ足りない部分はどうしても、そのご老人からいただくか、そのご老人の家族に負担してもらわなければなりません。

もし。そのご老人が痴呆症などで金銭の管理ができない場合はその家族が管理している場合もあります。

それに介護保健の内容も毎年変わったりしますから、去年、出来てたことが今年は駄目って事もよくあるわけです。←介護士さんは当然これを理解してるからこその家族や公的な所への確認をするわけです。

 

その時、中側の介護士さんが外側の家族に嘆願すると、『前は出来たじゃない。今年になって出来ないのはおかしい。』とか『そんなの頼んでない。おばあちゃんにはダメって言っといて。』とか言われるわけです。その事実をご老人に伝えるのは、中側の介護士さんなんですよ。いうなれば他人です。他人が身内の家族の事を助けようとしているのに叱責されるのです。

 

↑どう思いますか?!

 

客観的に見ても家族が言ってることって理不尽ですよね。でも、外側の人は分からないんです。なんで、中側の人がわざわざ確認をしに来てるかも。

 

もちろん、外側に居ても気持ちは中側の人。内側に居ても気持ちは外側の人もいると思います。でも、介護士さんたちは、その中間なんですよ。ご老人の願いは訊いてあげたい。でも、家族がダメって言う。お金がないって言う。じゃあ、どうしますか?!

 

私が話を聞いてた介護士さんは手出し(自分でお金を出して)をして、そのご老人にお刺身を買って食べさせてあげたというのです。

 

前回の『快食』でも、書きましたが、中側の人(介護士さん)と外側(ご老人の家族)どっちの考えがこの場合のご老人の気持ちをしっかりと理解して行動しているでしょうか。お刺身食べさせていいの?!と言う問題は置いときます。

 

内側の人の気持ちを出来るだけ考えて行動できる人がしてあげる。

 

これが、思いやりであり、親切だと思います。ご老人が、お刺身食べたいからと言っているので手出しをして買ってあげなさいと言う話ではありません。

 

内側の人は素直に自分の願いを伝え、中側の人は内側の人の願いを外側の家族に伝えて、外側の家族は、中側の人、内側の人の願いを出来るだけ理解して行動する。

 

これが出来れば、内側の人のストレスも減り、ひょっとしたら病状も良くなるかもしれません。それぞれの立場、状況で出来ること出来ない事があるのは当然です。でも、もし、少し頑張れば出来るのであれば、内側、中側、外側関係なく出来れば良いですね。

 

私も、仕事や家庭で内側、中側、外側それぞれの立場や状況になったりします。その時にどうしてもこのような気持ちのギャップという物に悩まされますがこれが優しさであり、人のぬくもりだと思います。優しさも、人の為に何かしてあげたいという思いも人それぞれです。でも、自分は少しでも人を思いやり、人にやさしく、人に親切な人間でいたいと思います。たとえ自分が病人だとしても。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます、感謝いたします。