make the style. オレンジランプのブログ

私、オレンジランプが自由気ままに過ごす日常。大好きなもの作り。料理。家具製作。猫。アウトドア。子育て論。などなど、気ままに発信していきます。

パパ、クッキングの巻

今でこそ料理を普段からする男性って増えたと思います。私もその一人です。そのきっかけ、その『料理』が今回のテーマです。 

 

今回は、スマホに保存されてるの画像を使って、料理について語ります。

 

 

料理好きでよかったー。と思ったことは1度や2度ではありません。逆に何で料理好きになんてなったんだ畜生!と思ったことは、今のところありません。

 

私が、料理好きになったきっかけは、両親の影響です。母は、毎日、多い時には10人分の食事の用意をしてくれ、商売人だった父も、日頃遊んでくれる暇は、ありませんでしたが、休みの日は、お子様ランチ作ってくれたり、イチゴジャム(そのエピソードあり→『昭和生まれ。』 - make the style. オレンジランプのブログ

などを作ってくれました。

 

それを見ながら育ったので、小学校2,3年生の時は、自分で焼き飯とか親子丼とか蒸しパン的なものを作れるようになってました。作ってても、ケガしないようにとか火傷しないようにとか注意をされましたが、怒られることはありませんでした。←これが大きいかも。

 

勉強でも、理科が好きだったので、いつも実験のように、色々試しながら楽しんで作ってました。当時、時代的にバニラエッセンスなるものが、流行りました。←多分。

ホットケーキミックスが出だしたからかな?!ホットケーキに2.3滴垂らすとバニラの風味がして良いんですよね。←今思えば、バニラでは、なくてエッセンスなんですけどね。

 

当時、2年生くらいだった私は、『あばれはっちゃく』ばりに閃きます!!!(逆立ちしたかは、覚えてませんが笑)

 

ひらめいた!!!

 

こんだけ、いい匂いのものを食パンにかけたら、すごくおいしいのでは!!!

当時、食パンにマヨネーズが流行ってた私は、ついにその次の手を思いついたのです。

 

早速、食パンに染み渡るほどのたっぷりのバニラエッセンスをかけていきます。まるでカナダ産最高級メイプルハニーのごとく、たっぷりと。

 

じゅるじゅる。ゴクリ。そう言わんばかりに、その美味しそうな匂いがする食パンを『いっただきまーす!』と大きく一口たべました。

 

ぎゃーーーーーーーー!!!

 

まさに、戦慄。です。苦い苦い、今の病気の治療の為に飲んだステロイド位苦い。私は、急いでその一口だけかじった食パンをゴミ箱の奥の奥に捨てて、牛乳に助けを求めました。

今でも覚えてるくらい。強烈な思い出です。

 

それから、匂いは良くてもまずいものはあると学び(笑)私の台所研究室は、どんどん加速していきました。あれから、30年以上。子供の頃、親が夜いないときも、一人暮らしの時も、妻にご飯を作ってもらえないときも、困ったことは、ありません。

 

まさに、芸は身を助ける。ですね。

 

作るのも好きですが、食べに行くのも好きですね。あちこちのお店の好きな料理をどんな素材使っているのか、どんな調味料使っているのかとか、考えて自宅で再現するのが本当に楽しかったりします。良く影響されやすい性格なので、ドラマや映画に出てきた料理を無性に作りたくなったりもします。

 

料理作り好きな人の中でも、ご飯類を作るのは好きだけど、お菓子類は嫌いって方もいらっしゃるでしょう。私もお菓子は、苦手です。好きだから作るんですけど、分量量ったり、温度測ったり、結構めんどくさいと感じます。両方好きな人がうらやましいです。

では、最後に私が作った料理を紹介しましょう。

 

『ロコモコ』です。海外ドラマ『HAWAI FIVEーO』を観てて食べたくなったので、作りました。妻子供にも、評判良かった一品です。

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次は、『枝豆とブロッコリーのペペロンチーノ』です。土曜日とか家に一人置いてけぼりされた時に良くパスタを使った料理するので多分その時に作ったものですね。子供がいるときは、あんまりニンニク入れれないのですが、ニンニクたっぷりが好きです。

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つぎは、『ペスカトーレとコールスロー』ですね。コールスローが大好きなんでけどなかなか食べるところないんで、野菜の残り物でたまーにコールスロー作ります。結構酸味がある方が好きですね。

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次は、家族で去年、潮干狩りに行った時の戦利品で作った。

『ボンゴレビアンコ、蛤の酒蒸し、あさりの酒蒸し、あさりのバター焼きです』子供がいっぱいあさり食べたいといったので、作ったのですが、さすがにこの後、当分あさりは、いいやってなりました。

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次は、『馬肉のビーフシチュー』

熊本県は、知ってる方もいらっしゃると思いますが馬肉を食す県です。馬肉料理って、他県から見れば、敬遠されがちかと思いますが、肉自体に臭みは少なく、とても美味しい食材と思います。栄養価も高く、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、低飽和脂肪酸なのに高たんぱく質の優れモノ。

 

しかも、反芻動物(反芻動物は、一回モグモグしたものを反芻胃に入れて、もう一回モグモグすることを繰り返し、消化するを繰り返す動物の事です。牛、ヒツジ、ヤギ、キリン、らくだなど。だから、この子たちは、いつもモグモグしてます。)ではないので、大腸菌O157のリスクも低いらしいです。だから、刺身で食べれるのかな。熊本にいらっしゃった時には、ぜひ、ご賞味ください。

 

という事で、私は、結構な高確率で馬肉、馬すじを使うことがあります。馬すじカレー、馬すじシチュー、おでんに入れることもあります。

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 では、最後は、大好きな!『チェリーパイ』です。お店とかでも買いたいですが、なかなか売ってないし、あっても高いです。私の場合、1個だけ買うことは許されないので、お店では、なかなか買えないですね。

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で、実際作ろうにも『生チェリー』って、なかなか売ってないので、なかなか作れません。なかなか尽くしのこのチェリーパイは、とっておきの時やコストコで大量に買えたときに限られます。  

今回は、趣向を変えて、『料理』をテーマにblog書いてみました。いかがだったでしょうか?!Twitterやblogのコメント欄などで反響があればうれしいです。入院中、料理は、作れませんが研究には励んでおります。機会があれば、また、紹介させていただきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

『昭和生まれ。』

古き良き時代とよく言いますが、昔は、あまりピンときませんでした。私も年を取り、30年前の事を語れるようになった時、初めてその意味が分かったような気がします。『昭和』は、私にとってまさにそれでした。

 

オイルショック真っただ中に、この世に生を受ける。

 

 今回は、病気とは関係なく、ざっくばらんに雑談的な話として『昭和』の話を書いていこうかなと思います。

 

今現在の年号は、平成。しかも、29年。びっくりしますよね。もうすぐ、平成になって30年ですよ。この前、平成になったのにって思ってたら、もうすぐ30年。

 

年も取りますね、、、。

 

この前、お見舞いに来てくれた高校時代の友人。みんな、おっさんでした、、、。

髪の毛もだいぶやばいし、白髪も多くなってたし、目じりのしわとかもね。高校卒業してから、もう20年以上過ぎてますから当然といえば当然ですけどね。 

あの頃は、夢や希望もあったけど、会ってみると落ち着くところに落ち着いたって感じで安心しました(笑)お互い様ですけどね。でも、毎回思うけど、ものすごく久しぶりに会うに、普通に喋れるのってすごいなって思いました。

 

それだけ、お互いに居心地が良いのかもしれません。子供の話とか、仕事の話とか、最近は体の調子が悪いとかそんな話で盛り上がりました。病人の前で、不謹慎なって思うような話もありましたけど、それだけ、気を使ってもらえなかったのが嬉しかったですね。

 

では、『昭和』の話をしましょう。 

 

私の年齢は、40代前半です。昭和40代生まれ。色んな新しい文化や技術がドンドン一般家庭に入ってきた時代です。記憶をたどっていくと、冷蔵庫、リモコン付きのカラーテレビ、電子レンジ、コーヒーメーカー、ジューサーなどなど、どんどん新しい家庭電化製品が我が家にもやってきました。

今思えば、とても便利とは言えない者たち、、、。とにかく、メンテナンス性が悪かった記憶があります。洗浄するときとか、片付け方とか。掃除機もホースをケースに収納出来て、本体と合体みたいなのありましたねー。 

当時、幼かった私は、家にそうした家電が来るたびに、目をキラキラ、胸をワクワクさせていました。

 

今度来たのは、どんなことが出来るんだろう?!これって何をする機械なんだろう?!

 ってな具合です。最初のテレビは、記憶があまり定かでは無いですが、ダイアル式で、チャンネルもVHFとUHFに分かれてまして、VHFのチャンネルを観たければVHFのダイアルをガチャガチャと合わせればいいのですが、UHFのチャンネルを観たければ先ずVHFのダイアルをU(ユー)に合わせて、それから、VHFの下にあるUHFのダイアルをぐるぐると回してチューニングしなければいけませんでした。

 

今でこそ熊本市も(私が住んでる)当たり前のように、NHKの2チャンネルと民放各社が観れますが当時は、多分、TBS系列とフジテレビ系列の2局しかなかったと思います。今の時代なら、チャンネル合わせるだけでも、大変でしょうね。

 

よく見ていたテレビは、『ピンポンパン』『スカイライダー』『ニルスの不思議な旅』『魔法少女ララベル』『銀河鉄道999』『未来合体ダルタニアス』『不思議なメルモちゃん』『怪物君』『おじゃまんが山田君』『とんでも戦士ムテキング』『おはよう!スパンク』『ハロー!サンディベル』『花の子ルンルン』『ベルサイユのばら』『機動戦士ガンダム』『あばれはっちゃく』などです。今でも、全部のアニメの主題歌、歌えます。いやー懐かしい。女姉弟なので、チャンネルの主導権は当然姉。 

                     

 私が先に観てても、『何で!〇〇観てるの!かえてよもうっ!』って、理不尽な怒られ方をされつつ、チャンネルを変えられてました。なので当然、女の子が好きそうなアニメなども一緒に観てましたね。

 

しばらくして、うちにリモコン付きのテレビがやってきます。ガチャガチャしなくてよくなります。このリモコン付きテレビの登場によってチャンネル争いの様相も変化しました。

変えられまいと、テレビ側のチャンネルを死守する者。隙あらば、遠くからリモコンで変えようと虎視眈々と狙う者。変えては変えられを何回も繰り返しました。

 

今思い出すと、バカバカしいですが、今みたいにネットもゲーム機も無い時代。

当然テレビも、一家に一台の時代です。熾烈なバトルを毎日繰り返してました。

まあ、毎回、私が力と多数決(女3男1)で負けるんですけどね。←これが私の人格成型に大きく影響与えたんでしょうね。どうしても、趣向が女子っぽいとか。

 

今書いてて思い出しましたが、当時もらったクリスマスプレゼントもリカちゃん人形のボーイフレンド役イサム君でした。(当時は、おそらく『けんちゃんちゃこちゃん』の影響でけんちゃんとよんでました。)姉がリカちゃんの相手役に欲しがっていたのでしょうが何故か私のクリスマスプレゼントとなりました(TOT)/私は、そのころやってた『未来合体ダルタニアス』の超合金が欲しかったんですけどね。

 

弟の意見なんて、姉からしてみれば、そんなもんです。今、当時の話をしても、姉たちは、そろってそんなことないよ。ねーって、またしても多数決で負けてしまうんです。

 

話題を変えましょう。次にやってきたのは、電子レンジでした。今でこそ、ディスカウントスーパーなどで1万円ほどで買えるモデルもある電子レンジ。いくらしたかは、知りませんがおそらく現在の紙幣価値では20万円以上したんじゃないかなぁ。

 

あの『ヘルシオ』より、断然高かったと思います。ナショナルですよナショナル。今の『パナソニック』ですね。私の父が、わさもん(熊本弁で珍しいもの好きな人)だったので、家電、車などは、友達の家よりも家に来るの早かったですね。稼ぎもあったのかなぁ?!

 

この電子レンジで、父がハマったのは、『イチゴジャム作り』当時の説明書にケーキとか蒸しパンとかいろいろ書いてあった記憶があるんですが、作ってくれたのはいつもイチゴジャムでした。全自動洗濯機が今の時代に初めて我が家に来た時のように、父と一緒にイチゴジャム出来るまで眺めていました。

私が料理に興味を持ったのは、この電子レンジが我が家に来たからだといえます。感謝ですね。

 

昭和の話をたくさん書こうと思いましたが、書きながらあふれて来る昭和の思い出に参りそうなので、今回は、この辺で。シリーズ化して書いていこうかなと思います。

読んでいただいた方の中で、一つでも懐かしいと思っていただけることがあれば、幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

今回のテーマは、『母』です。私の母だったり、私の子供の母(妻)がテーマです。私の母も長い闘病生活の果てに空へと旅立っていきました。私にとっての母の存在。男の子にとっては母親とは。夫から見た母親とは。

 

決して、マザコンではありません。

 

 今回は、『母』について書いていこうかと思います。

 

『母』

 

いきなりブログの題材にするには、大きすぎますね(笑)入院生活をはじめて、毎日辛い日々が続きます。痛い思いや苦しい思い、辛い思いが続く日々です。

 手術の時や初めての処置の時、まだ未体験の不安な思いをするときに登場するのは、決まって『母』です。

 

『父』じゃないんですよね。

 

合併症の心膜炎になった時も、緊急手術になり、不安なまま手術台の上に乗りました。

 その時私は、『助けてーお願い。母さん!』と心の中で叫び、手術に臨みました。

 

『父ちゃん、助けて』じゃないんですね。

 

毎回、再入院した時に、首にCVカテーテルという管を付けるのですが、これを付けるときも当然痛い思いをします。その時も、毎回『母さん、頼むよ。』と心の中で言って、痛みに耐えてます。

 

『父』と『母』両方とも親なのに、、、。

 

不思議ですね。

 

決して、私が父と仲が悪いとかじゃないですよ。悪しからず。まあ、母が他界してしまってるのも理由の一つかもしれませんけど、。

 

『母』

 

私にとって、『母』とは、ずっと、ずっと心配をかけてきた存在でした。私が生まれてから、今でもきっと空の上で、心配してくれていることでしょう。私は、生後1歳半くらいの時に『白血病』になったらしいです。

 『悪性リンパ腫』という同じ血液の病気にかかっているので、何かの因果関係があるのかと思いましたが、それはないようですね。(入院時に医師にきっぱりとそれは、関係ありません。と言われました。)

 

血小板が極端に少なくなるという病気だったらしいんです。血小板が少なくなるということは、血が止まりにくいということです。

 

(昔、山口百恵さん主演であった赤いシリーズの主人公と同じらしいです。母がよく言ってました。私は、見たこともありませんが。)

 

血が止まりにくいので、ケガしないようにとか、青あざが出来ないように私は、包帯でベッドに縛られてたという話を幼いころによく聞かされました。ベッドに縛られている。

 

1歳児が?!

 

今、考えただけでもかわいそうです。自分なんですが。もし、今の自分の子がそうだったらと考えたらたまりません。たまらない。耐えられないです。

 

うちの子が3歳の頃、咳が止まらなくて耳鼻科で喉にステロイド(煙みたいなの)を吸入させるのさえ、パパは、可哀想で申し訳なくて泣きそうになったのに。

 

私の病気は、1歳半~3歳になるくらいまで続いたようです。完治したので良かったです。だから、幼い日の私の写真は、病室だったり看護師さんに抱かれた写真ばっかりです。おまけに顔は、薬の影響でパンパンのアンパンマンみたいに膨れてます。

 全く記憶がないのが救いですね。

 

でも、その時の両親の辛さを考えたら、、、。大変だっただろうなぁって思います。

 

ありがとう。父さん。母さん。そして、頑張ったね。私。

 

 

それからというもの病院から退院した私は、元気いっぱい!今までのうっぷんを晴らすかの如くやんちゃになっていきます。

 

野山をかけ、川をかけ(笑)、毎日泥んこで遊びまくりました。(この辺から記憶あり)

 秘密基地を作ったり、粘土遊びしたり、和式のぼっとん便所に落ちたり。(幸い姉に救出されました。)ケガも多く、その度に治ってるといえ病気の影響で余計にハラハラさせたことでしょう。

 

とにかく、やんちゃでした。レストラン行っても、ずっとウロウロしてたし、デパート行っても勝手におもちゃ売り場に行ったり。今の私ならこんな落ち着きのない子、ブチ切れてもおかしくないと思います。

 

でも、『母』は、全て受け入れてくれました。勿論、人に迷惑かけたりしたら、しこたま怒られましたが。

 

学校から帰ってきたら、夏は、冷蔵庫にフルーツ寒天が作ってあったり、冬には、ストーブの上でぜんざいが作ってあったなぁ、、、。

 

今思えば、『母』は、いつも家族、子供の事を考えて、生活してくれてたんだと思います。掃除、洗濯、料理、子供の世話。

 

毎日毎日、文句も言わずにせっせとやってくれました。夜中、怖くてトイレに行けないときは付いてきてくれたし、ご飯の時は、自分の分を私にくれたり、、、。

 

『母』が私にしてくれたことを書き出してたらきりがないですね。まあ、この『母』の行為が姉たちの反感をかって姉にいじめられたりもするんですけどね。

 

『母』が私に甘かったのは、幼き日に辛い思いさせてごめんねっていう母なりの贖罪だったのかなって思います。『母』は、悪くないのに。

 

これこそが『母』なんでしょうね。

 

慈悲の心と申しますか。

 

無条件に子供に自分を犠牲にしてでも施してあげるというか

 

甘やかすこととは違いますが、『母』の母性本能というのは父のそれとは、根本的に違うような気がします。

 

勿論、男性にも母性本能が強い方(私もそのうちの一人だと思います。)もいらっしゃいますが、男性はどこか見返りを求めるというか、ポイントを稼ぎに行くような気がします(笑)

 

あくまでも、、、持論ですが。私もその傾向あります。 

こつこつ子供の世話じゃなくて、プレゼントで一発逆転を狙いに行く傾向(笑)

 でもね、しょうがないんですよ。父じゃ『母』には、勝てないんですもの。

だって、父には『乳』がないんです。いや、医学上はありますよ。 でも、『母』が持ってるそれとは、違うんです。飾りですこれは(笑)

 

うちの子が、まだ、1歳位の頃。ぎゃーぎゃー泣くんです。父は、頑張ってあやしました。おしめも見ました。哺乳瓶を口元まで持っても行きました。でも、泣き止まないんです。父は、オロオロしながら、慌てながらあやします。お願いだから、ご機嫌直してよ。お願いだから泣き止んでよってね。 

でも、、、、無駄なんです。泣き止むこともありますが、まれに。

 

そこで、『母』が登場ですよ。

 

颯爽と。

 

子供は、さっきまであんなに泣いていたのに『母』の『乳』をくわえて、ほうばって必死におっぱいを飲んでます。そして、安心しきっておやすみになられます。

天使のような寝顔で、、、。

 

父は、『母』の『乳』に負けて、呆然とするわけです。

 

まあ、これに勝ち負けを付けてる私は一生『母』には敵わないのでしょうけど。

 くやしかったなー。お風呂の時も、『ママが良いー』と言われ、保育園に迎えに行った時も『ママが良いー』と言われ。

 

くやしかったなー。

 

でも、しょうがないんです。勝てないんですよ。『母』には。

はじめて、子供のおしめ変えたとき。ぎゃーぎゃー泣く子供を前に、おしめをもってオロオロする父(私です。)変え方が分かんない。って『母』(私の妻)に言うと、、、、。

 

『子供産まれるの分かってるのに何にも学んでないね』って言われました。

 

ガーーーーーーーーーーーン!!!!本当にそうだね。10か月準備期間あったのにね。仕事では、準備が大事ってあれほど、部下や後輩に言ってた私。『母』には、勝てないって思いました。 

 

『母』は、大きな器です。

 

全てを包んでくれて、飾ってもくれ、もてなしてもくれる。あふれんばかりの愛情でいつでも迎え入れてくれて、待っててくれる。時には、大きな傘になり、雨や風から守ってくれる。人の道から反れるようなことがあれば、鬼と化しその道を正し、時には一緒に涙を流してくれる。

 

私は、私の『母』にも私の子の『母』にも勝てません。

 

勝負じゃないけど、頭が上がりません。

 

では、最後に息子から『母』へメッセージを送ります。

 

そんな『母』からも子供たちは、いつか巣立ちます。

その時は、そっと見送ってください。見守ってください。

子供たちは、雨や風に濡れて傷つけば、きっと『母』のもとに戻ってきます。

癒しと安らぎと心地よさを求めて、その時は精一杯の手料理で迎え入れてください。

子供たちは、『母』の元で傷をいやし、英気を養い強くなって、また、旅立ちます。

 

 

もう、卒業のシーズンですね。感謝しかないなー。

 

『母』には。

 

ありがとう。お母さん。 

 

思い入れが強いのか体の調子が良すぎるのか、思わぬ長文になってしましました。 

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母が大好きなちゃんぽん。

 

読んでいただきありがとうございました。