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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

患者の気持ち

入院生活って何だろう?!健康な時は考えもしなかった、『入院生活』その生活によって患者は、どうなっていくのか?!

 

 

生活環境が変わるという事は!?人がどんどん変わっていく?!そんなことあるの?!

 

 

今回のは、『入院生活』をテーマに書いていきたいと思います。

 

入院生活って、どんな生活だと思いますか?!入院生活した事無いって方。

OKです!!!

 

実に、羨ましい。私も以前は、そっち側の人間でした。

でも今は、立派なCarrierです。しかも、『悪性リンパ腫』のキャリアです。人生において、経験が大事。と私は、思ってます。だから、自分が関わってない事や参加してない事に口出しは、あまりしません。立場上しなければいけないとき以外はしません。

 

子育て、子供のPTA活動などは、参加しているので口出しします。でも、老人会やどっかの高校の部活動の練習内容に関しては、口出ししません。

 

でも、『入院生活』や『悪性リンパ腫』の事については、一言いいたいことが満載でございます。日々生活しているこの病室。色んな事が毎日起こっております。隣の患者さんがいきなり大声出したり、急性腸炎でICUに運ばれていったり、隣の見舞客が一日中家族の愚痴を言ってるのを聞かされたり、とにかくもう、落ち着けません。

 

身も心も、健康な時であれば、許せることも、身も心も、不健康な時には、許せないこともあります。この入院生活が始まって、恥ずかしながらも、一回だけ私は、切れてしまいました。(申し訳ないと思っております。)

 

それは、去年の12月の事でした。入院して、3週間くらいの時です。毎日、朝晩40度以上の熱が出て、2週間ご飯も食べれず、胸が苦しくて(合併症の心膜炎の為)昼も夜も眠れない日が続きました。(幻覚を見た日々です。)

この頃のブログです。一応、貼っておきます。

入院生活開始 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

普段、温厚な私ですが、この時は、そんな日々が続いた事もあったので、イライラ、カリカリしてしまいました。

 

でも、そんな状況の中でも、発熱しない時間帯があったのです。その頃の私にとっての『ゴールデンタイム』です。まさに、睡眠時間の稼ぎ時です。それは、明け方の午前4時くらいから7時くらいの時間帯でした。夜中12時くらいに出始める熱も、その時に飲む薬(ロキソプロフェン。ジェネリック薬品ではロキソニン)のおかげで、熱も下がり、寝汗の着替え(毎晩3,4回)も終わりぐったりになって、寝れるのでした。

 

でも、6時過ぎには、他の患者さんが、起きてしまうので騒音や声(お年寄りの方は結構、声出す!)で起こされてしまいます。

 

その中でも、よく声を出すというか、常に声を出し、常に音を立てる年配の男性患者がいました。その年配男性は、TV観てる時も、ずっと喋ってる。あー、だー、ちくしょう!、いけいけー!、そうだと思った。とかです。言ってる言葉で何をTVで観ているのか大体検討つきます。スポーツだったり、相撲だったり、クイズ番組だったり。

 

この他にも、この患者さんの奥様。この方がまた、酷い!。毎日のようにお見舞いに来ていらっしゃるんですが、来たら来たで、ずっと、家族の文句言ってました。ずっとです。病室で。4人部屋なので私のほかにも患者さんがいらっしゃるのですが、そんなことは、お構いなしです。

 

この時点でも、うんざりでしょ?!書いてる私も、その時のこと思い出して、うんざりです。もし、このblog読んでる方の中で、入院している方がいらっしゃったら、そんな患者居るって思う方、多いと思います。

 

その方に、私は、キレます。恥ずかしながら。普段、自分に対しての行為などで、切れることなど無い私が、キレます。

 

その日の朝も、いつもの様に、その方は、朝の5時ごろから、シャッと音を立てて、カーテンを開けて、『あっあーーー!』と声をあげ、その日の天気について一言。

この日は、『おっ!はれか。』でした。記憶が鮮明です。(笑)そして、トイレにペタペタ音のなる靴で行かれます。

 

トイレから出ると、『フーーーーッ』と深いため息交じりの声を出し、ペタペタと自分のベットに戻り、ワシャワシャと音を立てて、おそらくビニール袋の中身をどうにかしてます。そこでも、『あれっ?!あーっ!?どこだっけ?!おかしいな?!』などと声を出してました。

 

だいぶ、我慢も限界です。うるさい。うるさい。うるさい。と、ベッドで念仏のように言いながら、大人しくしていただけるのを待ちました。

 

『ああっ!?』その老人が、また、突然、声を出しました。『そうか。』と続きます。

 

なにが?!

 

多分、私は普通に声を出してました。イカンイカンと思って、必死に寝ようとしました。でも続く。ビニール袋のワシャワシャ音。

 

私の我慢も限界です。頼むから静かに、頼むよ寝かせてくれよ

 

と、怒りと願いが交錯していたその時です。

 

『ぷ~~~~~~っ』と、あの音がします。その後に、

 

『あ~~~~~~っ』と気が抜ける声。

 

『いい加減にしてくれませんか!!!』

 

カーテン越しのその方へ私は、大声で言いました。

 

『他の患者さんの事も、考えてください。まだ、朝の5時ですよ。眠らせてください。お願いですほんとに。』

 

聞こえていたのでしょう。音も声も止みました。カーテン越しなので、表情は、分かりませんが、少しは、伝わったようです。結局その方は、次の朝に、また、忙しい音を立てながら、退院されるのですが。

 

大声を出した後。同室の他の患者さんに、突然大声を出したことを謝罪すると、

『よく言ってくれた。』とか『俺も言おうと思ってた。』と言われたので、それほど、自己嫌悪にもならずに、救われました。

 

 

人が変わっていく。そんなことってあるの?!

 

普段、温厚な私が大声で老人に文句を言う。

 

入院していなかったら、無かったと思います。でも、入院生活って、人を変えるんですよ。温厚な人が怒りっぽくなったり、聞き分けいい人がわがままになったり。

 

するんです。

 

不安や苦痛。恐怖や自己嫌悪。そういった人間のさまざまな気持ちが、人格を変えるんです。毎回のことながら、私は、専門家でも何でもありません。ただの患者です。でも、毎日過ごしてるこの病室で人は、どんどん変わっていきます。

 

もう一つの要素として、環境というのもあります。ここでの環境とは、患者がおかれている、場所の環境、気持ちの環境、不安の環境、病状の環境など全てです。

 

私は、結構この『環境』というもので物事を考えます。その時々で、『環境』というのは形を変えますが、例えば、子供の事についても、今子供が置かれている『環境』を考慮して、どういう気持ちなのかとか、どういう風にしてほしいのかとか、変わります。子供の気持ちの環境を考えたり、子供の私に発言する環境について考えたりもします。

 

私が、生活している『場所の環境』は、つまり、ここです。

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目の前は、ずっとカーテン(感染予防もありますが、病気的に皆さん閉鎖的になります。)

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ここです。閉鎖的なこの空間。この中で、私は、日々闘っています。入院患者は、この中で、自分の病気と社会から離れているという疎外感、何やっているんだという自己嫌悪そして、薬の副作用と闘っているのです。

 

こんな閉鎖的な、場所で生活していて、健康的な精神状態になるはずがないです。一時はなれても、ずっとは、無理です。ここで、悩み、苦しみ闘っていくのです。

 

患者の気持ちとは?!

 

このblogを患者の家族に見てほしい。うちは、大丈夫とか言わずに見てほしいです。私の母も患者でした。私も患者です。似てますけど、全然違います。分かってると思ってたけど、全然、分かっていませんでした。

 

入院生活が長くなると、母は、ドンドンわがままになっていきました。あれが食べたい、これが欲しい、あれは嫌だ、これも嫌。いい加減にしてって言うと。もういい、あんたは冷たい人間だね。って言われました。

 

『はぁ~ばあさんは、手に負えない。』どんどん、わがままになっていく母に辟易していました。年寄りだからとか、病気だから、頑固だからとか理由にして、母親がおかれている『環境』を考えませんでした。抗がん剤治療が始まって、どんどん痩せていく母。痛い痛いと言われても、ちゃんと薬飲んでとか、ここ(病院)に居たら大丈夫だとか言っていたような気がします。

 

上で書きました、場所の環境、気持ちの環境、不安の環境、病状の環境一切考えてなかったなぁって。だから、自分が患者の立場になって、初めて気づくことがたくさんあります。もし、このblogを見ている方の中で、患者の家族、友人、恋人、医師、看護師の方いらっしゃいましたら、この『環境』について一度考えてみてください。

 

私は、気づきませんでした。何もしてやれませんでした。その自責の念が、日々私の身に募ります。でも、誰か一人でも、このblogをきっかけに患者の『環境』について考えていただければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。感謝いたします。

 

次回は、多分『はじめてのたいいん その③』を書きます。

 

 

 

 

 

 

 

『はじめてのたいいん その②』

突然の『悪性リンパ腫』告知から、約1か月。風邪だと思って病院に家を出てから、2か月。ようやく家に帰れる日が来た。2か月ぶりに帰る我が家。楽しいことだけが待ってるはずだった。でも、そこには新たな苦悩が待ち構えていた。その②

 

私の身にいったい何が起こったのか?! 

 

前回からの続きになります。まだ読んでない方は、こちら↓

『はじめてのきたく その①』 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

 

前回、退院の手続きも終わり、あとは妻が運転する車に荷物を積んで帰るだけとなった私。妻の車を待つ間、縁石に座りました。しばらくして、妻の車が見えたので立ち上がろうとした時、私の体に想像外の異変が起きたのです。

『よっこらせっっ?!』

 

『へっ?!?!?!』

 

『なにこれ?!?!?!』

 

私は、へたり込みました。私の体に起きた異変とは、簡単にもうしますと、筋力不足による太もも裏の筋肉の痙攣です。立ち上がろうとするも、太ももの裏がプルプルって、震えて立ち上がることが出来ません。何回か、立ち上がろうと試みましたが、無理でした。

 

この2か月の入院生活は、それほど私の体を弱らせていたのです。確かに、2か月間、ふらつきや(抗がん剤の影響で赤血球が減るために、貧血症状が起きる)転倒防止の為に、病院内の移動は、ほとんど車椅子でした。

 

その為に筋力が落ちてしまっていたのです。妻は、車に荷物を積み終えて、私の方を、けげんに見つめています。

『どうしたの?!』

 

『ごめん。立てない。起こして』私は、少し恥ずかしそうに言いました。妻は、両手を差し出し、笑いながら、私を引き起こしてくれました。

『入院で弱くなってるんだから、しょうがないよ。』と妻が言うと、

『こんなに?!こんなに弱る?!』と私が返します。

信じられない。これほど、人間の体って直ぐ弱るものなの?!自分でも信じられないほどの体の弱体化に驚きました。

 

このまま帰っても、大丈夫なのか?!妻や子供が仕事や学校に行っている間、私は家に一人のなります。さっきまで、家に帰れると、喜んでいたんですが、急に不安になりました。もし、一人の時にふらついて、倒れでもしたら。

 

私の母が、肝臓ガンとの闘病生活の中で、夜中にトイレに行くために起きて、ふらつき倒れ、2回救急車で運ばれたことを思い出しました。

 

これだったんだ。当時は、分かりませんでした。単純に体力落ちたから、ふらついたんだと思ってましたが、赤血球が減ることで起きる貧血症状、体力不足、筋力不足。

 

私でも、この状態でもし、ふらつけば、この心持たない足では支えきれないでしょう。

↑かなり重要です

 

(病院に帰った方が良いのかな?!)

それほど深刻です。

 

後に、入院などで寝たきりになった場合どれほど体に影響出るのか調べた結果です。

 

1週間寝たきりで筋力20%低下

2週間寝たきりで筋力約40弱%低下

3週間寝たきりで筋力約70%低下

4週間寝たきりで筋力約90%低下

5週間寝たきりで筋力約100%低下

 

もし、寝たきりになった場合その体力を戻すには、

 

1週間の寝たきりで、回復まで1か月

2週間の寝たきりで、回復まで2か月

1か月の寝たきりで、回復まで6か月

 

びっくりしました。これほどとは。これを見ればこの時の私の状況も頷けます。

私の場合は、1か月半の寝たきりでしたので、筋力は100%超!回復までは、1年を要するでしょう。

 

でも、この日の私は、そんなことなど知る由もなく、妻の運転する車で、自宅へと向かいます。そんな時に、もう一つの異変が起こります。 

 

(あ~気分悪い、、、。)

 

車酔いです。車酔いなんて、小学校の修学旅行以来だと思います。入院中、私の最高速度は押してもらってる車椅子のスピードでした。それが、いきなり車のスピードです。しかも、車椅子で揺れるって、エレベーターに乗る時くらいですが、車は、常時揺れるわけです。

 

『少し、ゆっくり行って。』

 

『そんなに?!』さすがに、妻は、私の状態を気にし始めました。今まで、車酔いなど無かったのに、こういわれれば、そうなりますよね。

 

私は、車の揺れとそのスピード(決して、妻はスピード狂では、ありません。)に恐怖をおぼえながら自宅に向かいます。手のひらは、手汗でべったりでした。距離的には、病院から15分位の距離なので、助かりました。

 

家の駐車場につき、車から降りる前に、家の周りを見渡します。やはり、2か月も姿を見られてないと田舎では、近所で要らぬうわさが持ち上がります。なので、この時は、慎重に家に入りました。

 

『ただいま~!』控えめな声で言うと、トイレの窓からいつも外を見ているうちの飼い猫が身を屈めて、そそくさと逃げていきました。(TOT)/かなしい~

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 ↑この子です。私のアイコンの猫です。

 

まあ、2か月も家を空けてりゃしょうがないですね。犬は人になつき、猫は家になつくといいますからね。まあ、そんなところが好きなんですけどね。

 

家の段差も上がれず(上がれたけど妻にあまえました( *´艸`) )助けを借りて、上げてもらい、早速、自分の部屋へ。どうやら、子供たちが掃除してくれたらしく。すっきりとしていました。空気清浄機も稼働中です。帰ってきた~。もう自宅なので、起き上がれなくてもいいという感じで自部屋の畳に大の字に寝転がりました。あぁ~!大きく伸びをして、ふーっと、深いため息をつきました。

 

すると、小さな足音が聞こえました。

 

『にゃ~~~』少し、怒ってるようなその鳴き声は、先ほどとは違う猫の鳴き声でした。入院するまでは、毎晩一緒に寝てたので、寂しかったのでしょう。お互いに。寄ってきてくれたのがすごくうれしかったので、頭をグリグリと撫でてあげました。

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ここまで、時間はかかりましたが、何とか一つのステップを超えたことは確かでした。

子供が学校から帰ってくるには、まだ時間があるので、昼食を妻ととり、その後、ゆっくりと休むことにしました。

 

(〇〇帰ってきたら、ビックリするだろうなぁー)(私がこの日帰ってくる事を子供は知りません。帰れるか、帰れないかはその日の血液検査の結果次第なので。期待させたくないので言ってませんでした。)

そんなことを思いニヤニヤしながら、2か月ぶりに落ち着く我が家で眠りにつきました。

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↑気が付いたら一緒に寝ててくれてました。思わず。パシャ!📷本当に癒されました。

 

後で聞いた話ですが、昼間から大イビキをかいて寝てたそうです。

 

『あれじゃ、近所にばれるわ』と妻に言われましたからね。

 

 

今回は。ここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

次回は、『はじめてのたいいん その③を書いていきたいと思います。』

 

 

 

 

 

 

 

 

パパ、クッキングの巻

入院生活の日々。どん底から始まった闘病。少しずつ、前を向き、上を向き。余暇を持て余し始めた、blogとTwitter。パソコンを20年ぶりに(妻に睨まれながらも)新調し、ちんぷんかんぷんから、ぼとぼち歩き始めたorangelampさん。

 

 

今回は、スマホに保存されてるの画像を使って、料理について語ります。

 

 

料理好きでよかったー。と思ったことは1度や2度ではありません。逆に何で料理好きになんてなったんだ畜生!と思ったことは、今のところありません。

 

私が、料理好きになったきっかけは、両親の影響です。母は、毎日、多い時には10人分の食事の用意をしてくれ、商売人だった父も、日頃遊んでくれる暇は、ありませんでしたが、休みの日は、お子様ランチ作ってくれたり、イチゴジャム(そのエピソードあり→『昭和生まれ。』 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

などを作ってくれました。

 

それを見ながら育ったので、小学校2,3年生の時は、自分で焼き飯とか親子丼とか蒸しパン的なものを作れるようになってました。作ってても、ケガしないようにとか火傷しないようにとか注意をされましたが、怒られることはありませんでした。←これが大きいかも。

 

勉強でも、理科が好きだったので、いつも実験のように、色々試しながら楽しんで作ってました。当時、時代的にバニラエッセンスなるものが、流行りました。←多分。

ホットケーキミックスが出だしたからかな?!ホットケーキに2.3滴垂らすとバニラの風味がして良いんですよね。←今思えば、バニラでは、なくてエッセンスなんですけどね。

 

当時、2年生くらいだった私は、『あばれはっちゃく』ばりに閃きます!!!(逆立ちしたかは、覚えてませんが笑)

 

ひらめいた!!!

 

こんだけ、いい匂いのものを食パンにかけたら、すごくおいしいのでは!!!

当時、食パンにマヨネーズが流行ってた私は、ついにその次の手を思いついたのです。

 

早速、食パンに染み渡るほどのたっぷりのバニラエッセンスをかけていきます。まるでカナダ産最高級メイプルハニーのごとく、たっぷりと。

 

じゅるじゅる。ゴクリ。そう言わんばかりに、その美味しそうな匂いがする食パンを『いっただきまーす!』と大きく一口たべました。

 

ぎゃーーーーーーーー!!!

 

まさに、戦慄。です。苦い苦い、今の病気の治療の為に飲んだステロイド位苦い。私は、急いでその一口だけかじった食パンをゴミ箱の奥の奥に捨てて、牛乳に助けを求めました。

今でも覚えてるくらい。強烈な思い出です。

 

それから、匂いは良くてもまずいものはあると学び(笑)私の台所研究室は、どんどん加速していきました。あれから、30年以上。子供の頃、親が夜いないときも、一人暮らしの時も、妻にご飯を作ってもらえないときも、困ったことは、ありません。

 

まさに、芸は身を助ける。ですね。

 

作るのも好きですが、食べに行くのも好きですね。あちこちのお店の好きな料理をどんな素材使っているのか、どんな調味料使っているのかとか、考えて自宅で再現するのが本当に楽しかったりします。良く影響されやすい性格なので、ドラマや映画に出てきた料理を無性に作りたくなったりもします。

 

料理作り好きな人の中でも、ご飯類を作るのは好きだけど、お菓子類は嫌いって方もいらっしゃるでしょう。私もお菓子は、苦手です。好きだから作るんですけど、分量量ったり、温度測ったり、結構めんどくさいと感じます。両方好きな人がうらやましいです。

では、最後に私が作った料理を紹介しましょう。

 

『ロコモコ』です。海外ドラマ『HAWAI FIVEーO』を観てて食べたくなったので、作りました。妻子供にも、評判良かった一品です。

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次は、『枝豆とブロッコリーのペペロンチーノ』です。土曜日とか家に一人置いてけぼりされた時に良くパスタを使った料理するので多分その時に作ったものですね。子供がいるときは、あんまりニンニク入れれないのですが、ニンニクたっぷりが好きです。

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つぎは、『ペスカトーレとコールスロー』ですね。コールスローが大好きなんでけどなかなか食べるところないんで、野菜の残り物でたまーにコールスロー作ります。結構酸味がある方が好きですね。

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次は、家族で去年、潮干狩りに行った時の戦利品で作った。

『ボンゴレビアンコ、蛤の酒蒸し、あさりの酒蒸し、あさりのバター焼きです』子供がいっぱいあさり食べたいといったので、作ったのですが、さすがにこの後、当分あさりは、いいやってなりました。

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次は、『馬肉のビーフシチュー』

熊本県は、知ってる方もいらっしゃると思いますが馬肉を食す県です。馬肉料理って、他県から見れば、敬遠されがちかと思いますが、肉自体に臭みは少なく、とても美味しい食材と思います。栄養価も高く、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、低飽和脂肪酸なのに高たんぱく質の優れモノ。

 

しかも、反芻動物(反芻動物は、一回モグモグしたものを反芻胃に入れて、もう一回モグモグすることを繰り返し、消化するを繰り返す動物の事です。牛、ヒツジ、ヤギ、キリン、らくだなど。だから、この子たちは、いつもモグモグしてます。)ではないので、大腸菌O157のリスクも低いらしいです。だから、刺身で食べれるのかな。熊本にいらっしゃった時には、ぜひ、ご賞味ください。

 

という事で、私は、結構な高確率で馬肉、馬すじを使うことがあります。馬すじカレー、馬すじシチュー、おでんに入れることもあります。

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 では、最後は、大好きな!『チェリーパイ』です。お店とかでも買いたいですが、なかなか売ってないし、あっても高いです。私の場合、1個だけ買うことは許されないので、お店では、なかなか買えないですね。

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で、実際作ろうにも『生チェリー』って、なかなか売ってないので、なかなか作れません。なかなか尽くしのこのチェリーパイは、とっておきの時やコストコで大量に買えたときに限られます。  

今回は、趣向を変えて、『料理』をテーマにblog書いてみました。いかがだったでしょうか?!Twitterやblogのコメント欄などで反響があればうれしいです。入院中、料理は、作れませんが研究には励んでおります。機会があれば、また、紹介させていただきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回こそは、『はじめてのたいいん その②』を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

はじめてのたいいん その①

突然の『悪性リンパ腫』告知から、約1か月。風邪だと思って病院に家を出てから、2か月。ようやく家に帰れる日が来た。2か月ぶりに帰る我が家。楽しいことだけが待ってるはずだった。でも、そこには新たな苦悩が待ち構えていた。その①

 

嬉しい。楽しい。喜びも表現FULL MAXで、迎えた一時帰宅の日

 

 その日は、当たり前のように早朝から目が覚めた。副作用も気にするほどでもなく、指先に若干の痺れを感じるほどだった。10時過ぎに妻が迎えに来てくれた。病室で帰宅時の処方薬(常時4種類の薬と発熱、便秘、腹痛用など、合わせて10種類の薬)を薬剤師から受け取る。その後に、看護師から、帰宅時の注意事項の説明があった。

 

一時帰宅時の注意事項

 

・院外は、雑菌などが蔓延している場合もあるので、常時、マスク着用。

・帰宅時は、必ず、手洗い、うがいを十分に行う事。

・室内では、空気清浄機などを使用することが望ましい。

・食事には、十分配慮すること。食材は、十分火を通し、生ものの飲食は厳禁!

 (肉、魚など。刺身、馬刺しは、絶対だめです!)

・温泉などの公衆浴場も雑菌などにさらされる危険性があるため厳禁です。

・園芸、ガーデニングなどは、土中に雑菌があるために厳禁です。

・抗がん剤の副作用で、健康な時に比べて抵抗力が下がっているので、感性症などに

 十分気を付ける事。

・規則正しい生活を行い、もし、体調に異変を感じたらすぐに連絡すること。

 

ざっと、書いてみても、このような内容でした。子供の時の夏休みや修学旅行前の注意事項を聞かされるような感じで、妻と肩を並べて話を聞きました。

(刺身食べれないのか。馬刺しも。温泉もいけないのか。)

一時帰宅は、叶いましたが、正直、楽しみは半減でした。時期は、1月の中旬。クリスマスもお正月も自分の誕生日も病室で一人で過ごした私は、我が家のイベント時の定番料理である刺身、馬刺しが食べれないことに大きな悲しみを覚えました。

 

もし、生ものを食べて、胃や腸で炎症を起こした場合、重篤な感染症を引き起こす恐れがあるそうです。この一時帰宅時だけじゃなく、病気が完治しても、1年間は、食しない方が良いと言われてます。見解は、医師によっても違うと思いますが私の担当医にはそう言われました。

 

一時帰宅時の注意事項が終わったら、『清算書』をもって事務員の方が病室にあらわれました。受け取った妻は絶句です。

 

『こんなにするの!!!』

 

どれどれ、興味津々、半分、戦々恐々。妻の手にある請求書をのぞき込んで、その驚愕の請求額に戦慄をおぼえました。 

 

約100万エーン(つд⊂)エーン

 

こんなにするんだ。母の時もが『ガン』の治療費にびっくりしましたが、わが身となるとその驚きはさらに大きかったです。入院生活が決まった日に、『高額医療費制度』の申請を妻に行ってもらっていたので実際に、病院に支払う金額は、それとは違いますが決して、少ない金額ではありませんでした。

 

実際、支払った金額 

約240,000円。(高額医療費申請後の金額です。)

 

入院期間:11月中旬から1月中旬まで。※入院生活が3か月に、亘っています。

 

1か月分(44,000円)×3か月+入院費=約240,000円。

 

240,000円ー1か月44,000円×3か月=107976円

 

107,976円÷3か月は=35,992円(1か月分の入院費。ベッド代、食費です。)

 

1か月負担分44,000円+35992円=79,992円

 

約1か月8万円の治療費が我が家の家計に重くのしかかってきます。

 

※私の場合、高額医療費制度(高額医療費制度について詳しい内容や試算などはこちらで→全国健康保険協会の申請をしていますので、自己負担限度額は、70歳未満年間所得210万円超~600万円以下ということで、1か月44,400円となります。これに、入院費と食費が足されて、大体1回のクールで約8万円になります。この中には、入院費、薬代、食費、検査費も含まれます。

 

戦慄の支払いを終えて、いよいよ自宅に向かいます。2か月ぶりに外に出ると、

(寒い、うるさい。)

これが私の第一印象でした。2か月も密閉された病棟に居たために、外の騒音、気温とは無関係の生活をしていましたので、何か季節と外の世界とのギャップを感じて、ちょっとだけショックでした。

 

もう、支払いの事など忘れている私は、たくさんの荷物を(一時帰宅とはいえ、一応退院という扱いになるためにの持つはすべて持って帰らなくてはなりません。)積むために、妻が運転する車を待ちました。

 

(遅いなぁ。ちょっと、座るか。)

 

そこにあった縁石に腰を下ろし、妻を待ちます。しばらくすると、妻の車が見えました。

 

(あー来た来た。よっこらっっ?!)

(え?!へっ?!ナニコレ?!)

(ちょっとまって!ナニコレ?!)

 

その時、私に起こったこととは?!このまま、念願の一時帰宅は、叶うのか?!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回は、『はじめてのきたく その②』を書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

出来る事。出来ない事。

突然の告知あなたならどう向き合いますか?!

 

今回は、『悪性リンパ腫』になって、私が少しだけ前向きになったきっかけを書いていきたいと思います。

 

『悪性リンパ腫』という病気。簡単にどういう病気かと言いますと、血液のガンです。血液のガンと言われても、ピンとこないですよね。私もそうでした。まだ、診断結果が出る前に、病院のベッドの上でポチポチとスマホ片手に自分の症状などを入力して何の病気なのか検索していた時です。

 

(高熱、咳、寝汗)・・・検索ポチッ。

 

『悪性リンパ腫』と検索上位に出てきました。はっきり言って、全く聞いたこともありませんでした。調べてみると、俳優の高倉健さんや元相撲力士の時天空さんなどが亡くなった病気とありました。スマホ片手に呆然としながら、(死ぬ病気なんだ。 )私が、初めて死というものを意識した瞬間だったと思います。

 

診断結果が出て、循環器科から血液内科に移動してきて2週間がたち、治療も少しだけ進み、家族のささえもあり、ようやく気持ちも落ち着き少しだけ病気と向き合えるようになったころ、自分の今置かれている状況や将来の事をよく考えるようになりました。

 

家族、仕事、自分、将来。色んな事を考えました。どうしたら、家族の負担を減らすことが出来るか、今の自分にもっと出来ることはないか。

 

そんな余裕などないはずなのに、毎日、申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。何をどうすれば良いのか。改善策は、何かないのか。他にないのか。など毎日考えてました。

 

でも、そんな考え必要ない。今やるべきことはこれ。と気づくきっかけがありました。

 

それは、妻の一言でした。告知されて、『悪性リンパ腫』との闘病生活が始まって2~3週間が過ぎた頃の話です。何気ない会話の中で、『治療に半年かぁ。仕事どうしようかなぁ』と私は呟きました。色んな事で負担をかけてしまっていて、しかも、収入が途絶えてしまったので、申し訳なく思ってました。そんな思いから出た一言でした。

 

『そんな場合じゃないでしょ!』

 

そう言われました。毅然としたその態度に、『そうだね、、、。』というほか言葉がありませんでした。でも、妻が病院を後にした後、一人で考えていた時に(今何をするべきか・・・。一番優先するのはなんだろう?!)そう考え紙に書きだしたのが、下記の内容です。

 

 今の私ができる事、出来ない事(出来なくなった事)

 

出来る事

  • 病気の治療

 

出来ない事(出来なくなった事)

  • 仕事
  • 生モノが食べれなくなった。
  • 一人での行動

こんなものでした。少ないですね。書き出すまでもありません。でも、この時は、精一杯でした。あなたは『悪性リンパ腫』ですって告知された時から私と家族の将来設計は音もなく一瞬で消え去りました。終わった。そう思ったかもしれません。でも、前を向き始めて、自分を奮い立たせるために、すごく大事な作業だったと思います。

 

紙に箇条書きで、出来る事・・・病気の治療って書いたとき。やっぱりこれしかないな、これなら頑張れそうだと思えました。この、これなら頑張れそうだ。この言葉が私に前を向く勇気と前を向く力をくれました。 

 

サラリーマン生活の中で培った自己分析は、この時に非常に役に立ったと思います。まあ、妻の一言がなければ、分析することもなく申し訳ない申し訳ないと自分を悔いてベッドの中で悶々としていたでしょう。

 

前回も書きましたが、ストレスになることって、ものすごく心に負担をかけるんですよね。日常生活をしていれば、色んな事がストレスの原因になると思います。そして、そのストレスを発散するために、カラオケ行ったり、お酒飲んだり、パチンコ行ったりするわけです。たまに、ストレス発散が逆にストレスになったりもします。

 

あれもやって、これもやって。

 

出来れば良いんですけど。出来なければ、ストレスになります。だから、この時、紙に・病気の治療と一番シンプルで分かりやすく、書き出した自分を褒めてあげたいくらいです。よく書いた。しかも、一つだけ。

 

まさに、Simple is best.

 

この時に、もし、ずらずらと書き出していたら、恐らく、それがストレスとなり前も向けず、余裕もなくなり、家族にもツラく当たり、孤独になって行ってたことでしょう。そう考えると、ぞっとします。

 

パニックになった時、色んなことが起きてしまって、どうしていいか分かんなくなった時にこのblogを思い出していただければ、幸いです。

 

シンプルにすることで、より明確に、より正確に、より迅速にできる。

 

私がサラリーマン時代、自分に言い聞かせ、部下や後輩にもよく言ってた言葉です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回は、『はじめてのたいいん』を書いていきます。