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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

患者の気持ち

入院生活って何だろう?!健康な時は考えもしなかった、『入院生活』その生活によって患者は、どうなっていくのか?!

 

 

生活環境が変わるという事は!?人がどんどん変わっていく?!そんなことあるの?!

 

 

今回のは、『入院生活』をテーマに書いていきたいと思います。

 

入院生活って、どんな生活だと思いますか?!入院生活した事無いって方。

OKです!!!

 

実に、羨ましい。私も以前は、そっち側の人間でした。

でも今は、立派なCarrierです。しかも、『悪性リンパ腫』のキャリアです。人生において、経験が大事。と私は、思ってます。だから、自分が関わってない事や参加してない事に口出しは、あまりしません。立場上しなければいけないとき以外はしません。

 

子育て、子供のPTA活動などは、参加しているので口出しします。でも、老人会やどっかの高校の部活動の練習内容に関しては、口出ししません。

 

でも、『入院生活』や『悪性リンパ腫』の事については、一言いいたいことが満載でございます。日々生活しているこの病室。色んな事が毎日起こっております。隣の患者さんがいきなり大声出したり、急性腸炎でICUに運ばれていったり、隣の見舞客が一日中家族の愚痴を言ってるのを聞かされたり、とにかくもう、落ち着けません。

 

身も心も、健康な時であれば、許せることも、身も心も、不健康な時には、許せないこともあります。この入院生活が始まって、恥ずかしながらも、一回だけ私は、切れてしまいました。(申し訳ないと思っております。)

 

それは、去年の12月の事でした。入院して、3週間くらいの時です。毎日、朝晩40度以上の熱が出て、2週間ご飯も食べれず、胸が苦しくて(合併症の心膜炎の為)昼も夜も眠れない日が続きました。(幻覚を見た日々です。)

この頃のブログです。一応、貼っておきます。

入院生活開始 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

普段、温厚な私ですが、この時は、そんな日々が続いた事もあったので、イライラ、カリカリしてしまいました。

 

でも、そんな状況の中でも、発熱しない時間帯があったのです。その頃の私にとっての『ゴールデンタイム』です。まさに、睡眠時間の稼ぎ時です。それは、明け方の午前4時くらいから7時くらいの時間帯でした。夜中12時くらいに出始める熱も、その時に飲む薬(ロキソプロフェン。ジェネリック薬品ではロキソニン)のおかげで、熱も下がり、寝汗の着替え(毎晩3,4回)も終わりぐったりになって、寝れるのでした。

 

でも、6時過ぎには、他の患者さんが、起きてしまうので騒音や声(お年寄りの方は結構、声出す!)で起こされてしまいます。

 

その中でも、よく声を出すというか、常に声を出し、常に音を立てる年配の男性患者がいました。その年配男性は、TV観てる時も、ずっと喋ってる。あー、だー、ちくしょう!、いけいけー!、そうだと思った。とかです。言ってる言葉で何をTVで観ているのか大体検討つきます。スポーツだったり、相撲だったり、クイズ番組だったり。

 

この他にも、この患者さんの奥様。この方がまた、酷い!。毎日のようにお見舞いに来ていらっしゃるんですが、来たら来たで、ずっと、家族の文句言ってました。ずっとです。病室で。4人部屋なので私のほかにも患者さんがいらっしゃるのですが、そんなことは、お構いなしです。

 

この時点でも、うんざりでしょ?!書いてる私も、その時のこと思い出して、うんざりです。もし、このblog読んでる方の中で、入院している方がいらっしゃったら、そんな患者居るって思う方、多いと思います。

 

その方に、私は、キレます。恥ずかしながら。普段、自分に対しての行為などで、切れることなど無い私が、キレます。

 

その日の朝も、いつもの様に、その方は、朝の5時ごろから、シャッと音を立てて、カーテンを開けて、『あっあーーー!』と声をあげ、その日の天気について一言。

この日は、『おっ!はれか。』でした。記憶が鮮明です。(笑)そして、トイレにペタペタ音のなる靴で行かれます。

 

トイレから出ると、『フーーーーッ』と深いため息交じりの声を出し、ペタペタと自分のベットに戻り、ワシャワシャと音を立てて、おそらくビニール袋の中身をどうにかしてます。そこでも、『あれっ?!あーっ!?どこだっけ?!おかしいな?!』などと声を出してました。

 

だいぶ、我慢も限界です。うるさい。うるさい。うるさい。と、ベッドで念仏のように言いながら、大人しくしていただけるのを待ちました。

 

『ああっ!?』その老人が、また、突然、声を出しました。『そうか。』と続きます。

 

なにが?!

 

多分、私は普通に声を出してました。イカンイカンと思って、必死に寝ようとしました。でも続く。ビニール袋のワシャワシャ音。

 

私の我慢も限界です。頼むから静かに、頼むよ寝かせてくれよ

 

と、怒りと願いが交錯していたその時です。

 

『ぷ~~~~~~っ』と、あの音がします。その後に、

 

『あ~~~~~~っ』と気が抜ける声。

 

『いい加減にしてくれませんか!!!』

 

カーテン越しのその方へ私は、大声で言いました。

 

『他の患者さんの事も、考えてください。まだ、朝の5時ですよ。眠らせてください。お願いですほんとに。』

 

聞こえていたのでしょう。音も声も止みました。カーテン越しなので、表情は、分かりませんが、少しは、伝わったようです。結局その方は、次の朝に、また、忙しい音を立てながら、退院されるのですが。

 

大声を出した後。同室の他の患者さんに、突然大声を出したことを謝罪すると、

『よく言ってくれた。』とか『俺も言おうと思ってた。』と言われたので、それほど、自己嫌悪にもならずに、救われました。

 

 

人が変わっていく。そんなことってあるの?!

 

普段、温厚な私が大声で老人に文句を言う。

 

入院していなかったら、無かったと思います。でも、入院生活って、人を変えるんですよ。温厚な人が怒りっぽくなったり、聞き分けいい人がわがままになったり。

 

するんです。

 

不安や苦痛。恐怖や自己嫌悪。そういった人間のさまざまな気持ちが、人格を変えるんです。毎回のことながら、私は、専門家でも何でもありません。ただの患者です。でも、毎日過ごしてるこの病室で人は、どんどん変わっていきます。

 

もう一つの要素として、環境というのもあります。ここでの環境とは、患者がおかれている、場所の環境、気持ちの環境、不安の環境、病状の環境など全てです。

 

私は、結構この『環境』というもので物事を考えます。その時々で、『環境』というのは形を変えますが、例えば、子供の事についても、今子供が置かれている『環境』を考慮して、どういう気持ちなのかとか、どういう風にしてほしいのかとか、変わります。子供の気持ちの環境を考えたり、子供の私に発言する環境について考えたりもします。

 

私が、生活している『場所の環境』は、つまり、ここです。

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目の前は、ずっとカーテン(感染予防もありますが、病気的に皆さん閉鎖的になります。)

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ここです。閉鎖的なこの空間。この中で、私は、日々闘っています。入院患者は、この中で、自分の病気と社会から離れているという疎外感、何やっているんだという自己嫌悪そして、薬の副作用と闘っているのです。

 

こんな閉鎖的な、場所で生活していて、健康的な精神状態になるはずがないです。一時はなれても、ずっとは、無理です。ここで、悩み、苦しみ闘っていくのです。

 

患者の気持ちとは?!

 

このblogを患者の家族に見てほしい。うちは、大丈夫とか言わずに見てほしいです。私の母も患者でした。私も患者です。似てますけど、全然違います。分かってると思ってたけど、全然、分かっていませんでした。

 

入院生活が長くなると、母は、ドンドンわがままになっていきました。あれが食べたい、これが欲しい、あれは嫌だ、これも嫌。いい加減にしてって言うと。もういい、あんたは冷たい人間だね。って言われました。

 

『はぁ~ばあさんは、手に負えない。』どんどん、わがままになっていく母に辟易していました。年寄りだからとか、病気だから、頑固だからとか理由にして、母親がおかれている『環境』を考えませんでした。抗がん剤治療が始まって、どんどん痩せていく母。痛い痛いと言われても、ちゃんと薬飲んでとか、ここ(病院)に居たら大丈夫だとか言っていたような気がします。

 

上で書きました、場所の環境、気持ちの環境、不安の環境、病状の環境一切考えてなかったなぁって。だから、自分が患者の立場になって、初めて気づくことがたくさんあります。もし、このblogを見ている方の中で、患者の家族、友人、恋人、医師、看護師の方いらっしゃいましたら、この『環境』について一度考えてみてください。

 

私は、気づきませんでした。何もしてやれませんでした。その自責の念が、日々私の身に募ります。でも、誰か一人でも、このblogをきっかけに患者の『環境』について考えていただければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。感謝いたします。

 

次回は、多分『はじめてのたいいん その③』を書きます。

 

 

 

 

 

 

 

『はじめてのたいいん その②』

突然の『悪性リンパ腫』告知から、約1か月。風邪だと思って病院に家を出てから、2か月。ようやく家に帰れる日が来た。2か月ぶりに帰る我が家。楽しいことだけが待ってるはずだった。でも、そこには新たな苦悩が待ち構えていた。その②

 

私の身にいったい何が起こったのか?! 

 

前回からの続きになります。まだ読んでない方は、こちら↓

『はじめてのきたく その①』 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

 

前回、退院の手続きも終わり、あとは妻が運転する車に荷物を積んで帰るだけとなった私。妻の車を待つ間、縁石に座りました。しばらくして、妻の車が見えたので立ち上がろうとした時、私の体に想像外の異変が起きたのです。

『よっこらせっっ?!』

 

『へっ?!?!?!』

 

『なにこれ?!?!?!』

 

私は、へたり込みました。私の体に起きた異変とは、簡単にもうしますと、筋力不足による太もも裏の筋肉の痙攣です。立ち上がろうとするも、太ももの裏がプルプルって、震えて立ち上がることが出来ません。何回か、立ち上がろうと試みましたが、無理でした。

 

この2か月の入院生活は、それほど私の体を弱らせていたのです。確かに、2か月間、ふらつきや(抗がん剤の影響で赤血球が減るために、貧血症状が起きる)転倒防止の為に、病院内の移動は、ほとんど車椅子でした。

 

その為に筋力が落ちてしまっていたのです。妻は、車に荷物を積み終えて、私の方を、けげんに見つめています。

『どうしたの?!』

 

『ごめん。立てない。起こして』私は、少し恥ずかしそうに言いました。妻は、両手を差し出し、笑いながら、私を引き起こしてくれました。

『入院で弱くなってるんだから、しょうがないよ。』と妻が言うと、

『こんなに?!こんなに弱る?!』と私が返します。

信じられない。これほど、人間の体って直ぐ弱るものなの?!自分でも信じられないほどの体の弱体化に驚きました。

 

このまま帰っても、大丈夫なのか?!妻や子供が仕事や学校に行っている間、私は家に一人のなります。さっきまで、家に帰れると、喜んでいたんですが、急に不安になりました。もし、一人の時にふらついて、倒れでもしたら。

 

私の母が、肝臓ガンとの闘病生活の中で、夜中にトイレに行くために起きて、ふらつき倒れ、2回救急車で運ばれたことを思い出しました。

 

これだったんだ。当時は、分かりませんでした。単純に体力落ちたから、ふらついたんだと思ってましたが、赤血球が減ることで起きる貧血症状、体力不足、筋力不足。

 

私でも、この状態でもし、ふらつけば、この心持たない足では支えきれないでしょう。

↑かなり重要です

 

(病院に帰った方が良いのかな?!)

それほど深刻です。

 

後に、入院などで寝たきりになった場合どれほど体に影響出るのか調べた結果です。

 

1週間寝たきりで筋力20%低下

2週間寝たきりで筋力約40弱%低下

3週間寝たきりで筋力約70%低下

4週間寝たきりで筋力約90%低下

5週間寝たきりで筋力約100%低下

 

もし、寝たきりになった場合その体力を戻すには、

 

1週間の寝たきりで、回復まで1か月

2週間の寝たきりで、回復まで2か月

1か月の寝たきりで、回復まで6か月

 

びっくりしました。これほどとは。これを見ればこの時の私の状況も頷けます。

私の場合は、1か月半の寝たきりでしたので、筋力は100%超!回復までは、1年を要するでしょう。

 

でも、この日の私は、そんなことなど知る由もなく、妻の運転する車で、自宅へと向かいます。そんな時に、もう一つの異変が起こります。 

 

(あ~気分悪い、、、。)

 

車酔いです。車酔いなんて、小学校の修学旅行以来だと思います。入院中、私の最高速度は押してもらってる車椅子のスピードでした。それが、いきなり車のスピードです。しかも、車椅子で揺れるって、エレベーターに乗る時くらいですが、車は、常時揺れるわけです。

 

『少し、ゆっくり行って。』

 

『そんなに?!』さすがに、妻は、私の状態を気にし始めました。今まで、車酔いなど無かったのに、こういわれれば、そうなりますよね。

 

私は、車の揺れとそのスピード(決して、妻はスピード狂では、ありません。)に恐怖をおぼえながら自宅に向かいます。手のひらは、手汗でべったりでした。距離的には、病院から15分位の距離なので、助かりました。

 

家の駐車場につき、車から降りる前に、家の周りを見渡します。やはり、2か月も姿を見られてないと田舎では、近所で要らぬうわさが持ち上がります。なので、この時は、慎重に家に入りました。

 

『ただいま~!』控えめな声で言うと、トイレの窓からいつも外を見ているうちの飼い猫が身を屈めて、そそくさと逃げていきました。(TOT)/かなしい~

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 ↑この子です。私のアイコンの猫です。

 

まあ、2か月も家を空けてりゃしょうがないですね。犬は人になつき、猫は家になつくといいますからね。まあ、そんなところが好きなんですけどね。

 

家の段差も上がれず(上がれたけど妻にあまえました( *´艸`) )助けを借りて、上げてもらい、早速、自分の部屋へ。どうやら、子供たちが掃除してくれたらしく。すっきりとしていました。空気清浄機も稼働中です。帰ってきた~。もう自宅なので、起き上がれなくてもいいという感じで自部屋の畳に大の字に寝転がりました。あぁ~!大きく伸びをして、ふーっと、深いため息をつきました。

 

すると、小さな足音が聞こえました。

 

『にゃ~~~』少し、怒ってるようなその鳴き声は、先ほどとは違う猫の鳴き声でした。入院するまでは、毎晩一緒に寝てたので、寂しかったのでしょう。お互いに。寄ってきてくれたのがすごくうれしかったので、頭をグリグリと撫でてあげました。

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ここまで、時間はかかりましたが、何とか一つのステップを超えたことは確かでした。

子供が学校から帰ってくるには、まだ時間があるので、昼食を妻ととり、その後、ゆっくりと休むことにしました。

 

(〇〇帰ってきたら、ビックリするだろうなぁー)(私がこの日帰ってくる事を子供は知りません。帰れるか、帰れないかはその日の血液検査の結果次第なので。期待させたくないので言ってませんでした。)

そんなことを思いニヤニヤしながら、2か月ぶりに落ち着く我が家で眠りにつきました。

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↑気が付いたら一緒に寝ててくれてました。思わず。パシャ!📷本当に癒されました。

 

後で聞いた話ですが、昼間から大イビキをかいて寝てたそうです。

 

『あれじゃ、近所にばれるわ』と妻に言われましたからね。

 

 

今回は。ここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

次回は、『はじめてのたいいん その③を書いていきたいと思います。』

 

 

 

 

 

 

 

 

パパ、クッキングの巻

入院生活の日々。どん底から始まった闘病。少しずつ、前を向き、上を向き。余暇を持て余し始めた、blogとTwitter。パソコンを20年ぶりに(妻に睨まれながらも)新調し、ちんぷんかんぷんから、ぼとぼち歩き始めたorangelampさん。

 

 

今回は、スマホに保存されてるの画像を使って、料理について語ります。

 

 

料理好きでよかったー。と思ったことは1度や2度ではありません。逆に何で料理好きになんてなったんだ畜生!と思ったことは、今のところありません。

 

私が、料理好きになったきっかけは、両親の影響です。母は、毎日、多い時には10人分の食事の用意をしてくれ、商売人だった父も、日頃遊んでくれる暇は、ありませんでしたが、休みの日は、お子様ランチ作ってくれたり、イチゴジャム(そのエピソードあり→『昭和生まれ。』 - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

などを作ってくれました。

 

それを見ながら育ったので、小学校2,3年生の時は、自分で焼き飯とか親子丼とか蒸しパン的なものを作れるようになってました。作ってても、ケガしないようにとか火傷しないようにとか注意をされましたが、怒られることはありませんでした。←これが大きいかも。

 

勉強でも、理科が好きだったので、いつも実験のように、色々試しながら楽しんで作ってました。当時、時代的にバニラエッセンスなるものが、流行りました。←多分。

ホットケーキミックスが出だしたからかな?!ホットケーキに2.3滴垂らすとバニラの風味がして良いんですよね。←今思えば、バニラでは、なくてエッセンスなんですけどね。

 

当時、2年生くらいだった私は、『あばれはっちゃく』ばりに閃きます!!!(逆立ちしたかは、覚えてませんが笑)

 

ひらめいた!!!

 

こんだけ、いい匂いのものを食パンにかけたら、すごくおいしいのでは!!!

当時、食パンにマヨネーズが流行ってた私は、ついにその次の手を思いついたのです。

 

早速、食パンに染み渡るほどのたっぷりのバニラエッセンスをかけていきます。まるでカナダ産最高級メイプルハニーのごとく、たっぷりと。

 

じゅるじゅる。ゴクリ。そう言わんばかりに、その美味しそうな匂いがする食パンを『いっただきまーす!』と大きく一口たべました。

 

ぎゃーーーーーーーー!!!

 

まさに、戦慄。です。苦い苦い、今の病気の治療の為に飲んだステロイド位苦い。私は、急いでその一口だけかじった食パンをゴミ箱の奥の奥に捨てて、牛乳に助けを求めました。

今でも覚えてるくらい。強烈な思い出です。

 

それから、匂いは良くてもまずいものはあると学び(笑)私の台所研究室は、どんどん加速していきました。あれから、30年以上。子供の頃、親が夜いないときも、一人暮らしの時も、妻にご飯を作ってもらえないときも、困ったことは、ありません。

 

まさに、芸は身を助ける。ですね。

 

作るのも好きですが、食べに行くのも好きですね。あちこちのお店の好きな料理をどんな素材使っているのか、どんな調味料使っているのかとか、考えて自宅で再現するのが本当に楽しかったりします。良く影響されやすい性格なので、ドラマや映画に出てきた料理を無性に作りたくなったりもします。

 

料理作り好きな人の中でも、ご飯類を作るのは好きだけど、お菓子類は嫌いって方もいらっしゃるでしょう。私もお菓子は、苦手です。好きだから作るんですけど、分量量ったり、温度測ったり、結構めんどくさいと感じます。両方好きな人がうらやましいです。

では、最後に私が作った料理を紹介しましょう。

 

『ロコモコ』です。海外ドラマ『HAWAI FIVEーO』を観てて食べたくなったので、作りました。妻子供にも、評判良かった一品です。

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次は、『枝豆とブロッコリーのペペロンチーノ』です。土曜日とか家に一人置いてけぼりされた時に良くパスタを使った料理するので多分その時に作ったものですね。子供がいるときは、あんまりニンニク入れれないのですが、ニンニクたっぷりが好きです。

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つぎは、『ペスカトーレとコールスロー』ですね。コールスローが大好きなんでけどなかなか食べるところないんで、野菜の残り物でたまーにコールスロー作ります。結構酸味がある方が好きですね。

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次は、家族で去年、潮干狩りに行った時の戦利品で作った。

『ボンゴレビアンコ、蛤の酒蒸し、あさりの酒蒸し、あさりのバター焼きです』子供がいっぱいあさり食べたいといったので、作ったのですが、さすがにこの後、当分あさりは、いいやってなりました。

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次は、『馬肉のビーフシチュー』

熊本県は、知ってる方もいらっしゃると思いますが馬肉を食す県です。馬肉料理って、他県から見れば、敬遠されがちかと思いますが、肉自体に臭みは少なく、とても美味しい食材と思います。栄養価も高く、低カロリー、低脂肪、低コレステロール、低飽和脂肪酸なのに高たんぱく質の優れモノ。

 

しかも、反芻動物(反芻動物は、一回モグモグしたものを反芻胃に入れて、もう一回モグモグすることを繰り返し、消化するを繰り返す動物の事です。牛、ヒツジ、ヤギ、キリン、らくだなど。だから、この子たちは、いつもモグモグしてます。)ではないので、大腸菌O157のリスクも低いらしいです。だから、刺身で食べれるのかな。熊本にいらっしゃった時には、ぜひ、ご賞味ください。

 

という事で、私は、結構な高確率で馬肉、馬すじを使うことがあります。馬すじカレー、馬すじシチュー、おでんに入れることもあります。

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 では、最後は、大好きな!『チェリーパイ』です。お店とかでも買いたいですが、なかなか売ってないし、あっても高いです。私の場合、1個だけ買うことは許されないので、お店では、なかなか買えないですね。

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で、実際作ろうにも『生チェリー』って、なかなか売ってないので、なかなか作れません。なかなか尽くしのこのチェリーパイは、とっておきの時やコストコで大量に買えたときに限られます。  

今回は、趣向を変えて、『料理』をテーマにblog書いてみました。いかがだったでしょうか?!Twitterやblogのコメント欄などで反響があればうれしいです。入院中、料理は、作れませんが研究には励んでおります。機会があれば、また、紹介させていただきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回こそは、『はじめてのたいいん その②』を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

はじめてのたいいん その①

突然の『悪性リンパ腫』告知から、約1か月。風邪だと思って病院に家を出てから、2か月。ようやく家に帰れる日が来た。2か月ぶりに帰る我が家。楽しいことだけが待ってるはずだった。でも、そこには新たな苦悩が待ち構えていた。その①

 

嬉しい。楽しい。喜びも表現FULL MAXで、迎えた一時帰宅の日

 

 その日は、当たり前のように早朝から目が覚めた。副作用も気にするほどでもなく、指先に若干の痺れを感じるほどだった。10時過ぎに妻が迎えに来てくれた。病室で帰宅時の処方薬(常時4種類の薬と発熱、便秘、腹痛用など、合わせて10種類の薬)を薬剤師から受け取る。その後に、看護師から、帰宅時の注意事項の説明があった。

 

一時帰宅時の注意事項

 

・院外は、雑菌などが蔓延している場合もあるので、常時、マスク着用。

・帰宅時は、必ず、手洗い、うがいを十分に行う事。

・室内では、空気清浄機などを使用することが望ましい。

・食事には、十分配慮すること。食材は、十分火を通し、生ものの飲食は厳禁!

 (肉、魚など。刺身、馬刺しは、絶対だめです!)

・温泉などの公衆浴場も雑菌などにさらされる危険性があるため厳禁です。

・園芸、ガーデニングなどは、土中に雑菌があるために厳禁です。

・抗がん剤の副作用で、健康な時に比べて抵抗力が下がっているので、感性症などに

 十分気を付ける事。

・規則正しい生活を行い、もし、体調に異変を感じたらすぐに連絡すること。

 

ざっと、書いてみても、このような内容でした。子供の時の夏休みや修学旅行前の注意事項を聞かされるような感じで、妻と肩を並べて話を聞きました。

(刺身食べれないのか。馬刺しも。温泉もいけないのか。)

一時帰宅は、叶いましたが、正直、楽しみは半減でした。時期は、1月の中旬。クリスマスもお正月も自分の誕生日も病室で一人で過ごした私は、我が家のイベント時の定番料理である刺身、馬刺しが食べれないことに大きな悲しみを覚えました。

 

もし、生ものを食べて、胃や腸で炎症を起こした場合、重篤な感染症を引き起こす恐れがあるそうです。この一時帰宅時だけじゃなく、病気が完治しても、1年間は、食しない方が良いと言われてます。見解は、医師によっても違うと思いますが私の担当医にはそう言われました。

 

一時帰宅時の注意事項が終わったら、『清算書』をもって事務員の方が病室にあらわれました。受け取った妻は絶句です。

 

『こんなにするの!!!』

 

どれどれ、興味津々、半分、戦々恐々。妻の手にある請求書をのぞき込んで、その驚愕の請求額に戦慄をおぼえました。 

 

約100万エーン(つд⊂)エーン

 

こんなにするんだ。母の時もが『ガン』の治療費にびっくりしましたが、わが身となるとその驚きはさらに大きかったです。入院生活が決まった日に、『高額医療費制度』の申請を妻に行ってもらっていたので実際に、病院に支払う金額は、それとは違いますが決して、少ない金額ではありませんでした。

 

実際、支払った金額 

約240,000円。(高額医療費申請後の金額です。)

 

入院期間:11月中旬から1月中旬まで。※入院生活が3か月に、亘っています。

 

1か月分(44,000円)×3か月+入院費=約240,000円。

 

240,000円ー1か月44,000円×3か月=107976円

 

107,976円÷3か月は=35,992円(1か月分の入院費。ベッド代、食費です。)

 

1か月負担分44,000円+35992円=79,992円

 

約1か月8万円の治療費が我が家の家計に重くのしかかってきます。

 

※私の場合、高額医療費制度(高額医療費制度について詳しい内容や試算などはこちらで→全国健康保険協会の申請をしていますので、自己負担限度額は、70歳未満年間所得210万円超~600万円以下ということで、1か月44,400円となります。これに、入院費と食費が足されて、大体1回のクールで約8万円になります。この中には、入院費、薬代、食費、検査費も含まれます。

 

戦慄の支払いを終えて、いよいよ自宅に向かいます。2か月ぶりに外に出ると、

(寒い、うるさい。)

これが私の第一印象でした。2か月も密閉された病棟に居たために、外の騒音、気温とは無関係の生活をしていましたので、何か季節と外の世界とのギャップを感じて、ちょっとだけショックでした。

 

もう、支払いの事など忘れている私は、たくさんの荷物を(一時帰宅とはいえ、一応退院という扱いになるためにの持つはすべて持って帰らなくてはなりません。)積むために、妻が運転する車を待ちました。

 

(遅いなぁ。ちょっと、座るか。)

 

そこにあった縁石に腰を下ろし、妻を待ちます。しばらくすると、妻の車が見えました。

 

(あー来た来た。よっこらっっ?!)

(え?!へっ?!ナニコレ?!)

(ちょっとまって!ナニコレ?!)

 

その時、私に起こったこととは?!このまま、念願の一時帰宅は、叶うのか?!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回は、『はじめてのきたく その②』を書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

出来る事。出来ない事。

突然の告知あなたならどう向き合いますか?!

 

今回は、『悪性リンパ腫』になって、私が少しだけ前向きになったきっかけを書いていきたいと思います。

 

『悪性リンパ腫』という病気。簡単にどういう病気かと言いますと、血液のガンです。血液のガンと言われても、ピンとこないですよね。私もそうでした。まだ、診断結果が出る前に、病院のベッドの上でポチポチとスマホ片手に自分の症状などを入力して何の病気なのか検索していた時です。

 

(高熱、咳、寝汗)・・・検索ポチッ。

 

『悪性リンパ腫』と検索上位に出てきました。はっきり言って、全く聞いたこともありませんでした。調べてみると、俳優の高倉健さんや元相撲力士の時天空さんなどが亡くなった病気とありました。スマホ片手に呆然としながら、(死ぬ病気なんだ。 )私が、初めて死というものを意識した瞬間だったと思います。

 

診断結果が出て、循環器科から血液内科に移動してきて2週間がたち、治療も少しだけ進み、家族のささえもあり、ようやく気持ちも落ち着き少しだけ病気と向き合えるようになったころ、自分の今置かれている状況や将来の事をよく考えるようになりました。

 

家族、仕事、自分、将来。色んな事を考えました。どうしたら、家族の負担を減らすことが出来るか、今の自分にもっと出来ることはないか。

 

そんな余裕などないはずなのに、毎日、申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。何をどうすれば良いのか。改善策は、何かないのか。他にないのか。など毎日考えてました。

 

でも、そんな考え必要ない。今やるべきことはこれ。と気づくきっかけがありました。

 

それは、妻の一言でした。告知されて、『悪性リンパ腫』との闘病生活が始まって2~3週間が過ぎた頃の話です。何気ない会話の中で、『治療に半年かぁ。仕事どうしようかなぁ』と私は呟きました。色んな事で負担をかけてしまっていて、しかも、収入が途絶えてしまったので、申し訳なく思ってました。そんな思いから出た一言でした。

 

『そんな場合じゃないでしょ!』

 

そう言われました。毅然としたその態度に、『そうだね、、、。』というほか言葉がありませんでした。でも、妻が病院を後にした後、一人で考えていた時に(今何をするべきか・・・。一番優先するのはなんだろう?!)そう考え紙に書きだしたのが、下記の内容です。

 

 今の私ができる事、出来ない事(出来なくなった事)

 

出来る事

  • 病気の治療

 

出来ない事(出来なくなった事)

  • 仕事
  • 生モノが食べれなくなった。
  • 一人での行動

こんなものでした。少ないですね。書き出すまでもありません。でも、この時は、精一杯でした。あなたは『悪性リンパ腫』ですって告知された時から私と家族の将来設計は音もなく一瞬で消え去りました。終わった。そう思ったかもしれません。でも、前を向き始めて、自分を奮い立たせるために、すごく大事な作業だったと思います。

 

紙に箇条書きで、出来る事・・・病気の治療って書いたとき。やっぱりこれしかないな、これなら頑張れそうだと思えました。この、これなら頑張れそうだ。この言葉が私に前を向く勇気と前を向く力をくれました。 

 

サラリーマン生活の中で培った自己分析は、この時に非常に役に立ったと思います。まあ、妻の一言がなければ、分析することもなく申し訳ない申し訳ないと自分を悔いてベッドの中で悶々としていたでしょう。

 

前回も書きましたが、ストレスになることって、ものすごく心に負担をかけるんですよね。日常生活をしていれば、色んな事がストレスの原因になると思います。そして、そのストレスを発散するために、カラオケ行ったり、お酒飲んだり、パチンコ行ったりするわけです。たまに、ストレス発散が逆にストレスになったりもします。

 

あれもやって、これもやって。

 

出来れば良いんですけど。出来なければ、ストレスになります。だから、この時、紙に・病気の治療と一番シンプルで分かりやすく、書き出した自分を褒めてあげたいくらいです。よく書いた。しかも、一つだけ。

 

まさに、Simple is best.

 

この時に、もし、ずらずらと書き出していたら、恐らく、それがストレスとなり前も向けず、余裕もなくなり、家族にもツラく当たり、孤独になって行ってたことでしょう。そう考えると、ぞっとします。

 

パニックになった時、色んなことが起きてしまって、どうしていいか分かんなくなった時にこのblogを思い出していただければ、幸いです。

 

シンプルにすることで、より明確に、より正確に、より迅速にできる。

 

私がサラリーマン時代、自分に言い聞かせ、部下や後輩にもよく言ってた言葉です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回は、『はじめてのたいいん』を書いていきます。

 

 

 

『昭和生まれ。』

古き良き時代とよく言いますが、昔は、あまりピンときませんでした。私も年を取り、30年前の事を語れるようになった時、初めてその意味が分かったような気がします。『昭和』は、私にとってまさにそれでした。

 

オイルショック真っただ中に、この世に生を受ける。

 

 今回は、病気とは関係なく、ざっくばらんに雑談的な話として『昭和』の話を書いていこうかなと思います。

 

今現在の年号は、平成。しかも、29年。びっくりしますよね。もうすぐ、平成になって30年ですよ。この前、平成になったのにって思ってたら、もうすぐ30年。

 

年も取りますね、、、。

 

この前、お見舞いに来てくれた高校時代の友人。みんな、おっさんでした、、、。

髪の毛もだいぶやばいし、白髪も多くなってたし、目じりのしわとかもね。高校卒業してから、もう20年以上過ぎてますから当然といえば当然ですけどね。 

あの頃は、夢や希望もあったけど、会ってみると落ち着くところに落ち着いたって感じで安心しました(笑)お互い様ですけどね。でも、毎回思うけど、ものすごく久しぶりに会うに、普通に喋れるのってすごいなって思いました。

 

それだけ、お互いに居心地が良いのかもしれません。子供の話とか、仕事の話とか、最近は体の調子が悪いとかそんな話で盛り上がりました。病人の前で、不謹慎なって思うような話もありましたけど、それだけ、気を使ってもらえなかったのが嬉しかったですね。

 

では、『昭和』の話をしましょう。 

 

私の年齢は、40代前半です。昭和40代生まれ。色んな新しい文化や技術がドンドン一般家庭に入ってきた時代です。記憶をたどっていくと、冷蔵庫、リモコン付きのカラーテレビ、電子レンジ、コーヒーメーカー、ジューサーなどなど、どんどん新しい家庭電化製品が我が家にもやってきました。

今思えば、とても便利とは言えない者たち、、、。とにかく、メンテナンス性が悪かった記憶があります。洗浄するときとか、片付け方とか。掃除機もホースをケースに収納出来て、本体と合体みたいなのありましたねー。 

当時、幼かった私は、家にそうした家電が来るたびに、目をキラキラ、胸をワクワクさせていました。

 

今度来たのは、どんなことが出来るんだろう?!これって何をする機械なんだろう?!

 ってな具合です。最初のテレビは、記憶があまり定かでは無いですが、ダイアル式で、チャンネルもVHFとUHFに分かれてまして、VHFのチャンネルを観たければVHFのダイアルをガチャガチャと合わせればいいのですが、UHFのチャンネルを観たければ先ずVHFのダイアルをU(ユー)に合わせて、それから、VHFの下にあるUHFのダイアルをぐるぐると回してチューニングしなければいけませんでした。

 

今でこそ熊本市も(私が住んでる)当たり前のように、NHKの2チャンネルと民放各社が観れますが当時は、多分、TBS系列とフジテレビ系列の2局しかなかったと思います。今の時代なら、チャンネル合わせるだけでも、大変でしょうね。

 

よく見ていたテレビは、『ピンポンパン』『スカイライダー』『ニルスの不思議な旅』『魔法少女ララベル』『銀河鉄道999』『未来合体ダルタニアス』『不思議なメルモちゃん』『怪物君』『おじゃまんが山田君』『とんでも戦士ムテキング』『おはよう!スパンク』『ハロー!サンディベル』『花の子ルンルン』『ベルサイユのばら』『機動戦士ガンダム』『あばれはっちゃく』などです。今でも、全部のアニメの主題歌、歌えます。いやー懐かしい。女姉弟なので、チャンネルの主導権は当然姉。 

                     

 私が先に観てても、『何で!〇〇観てるの!かえてよもうっ!』って、理不尽な怒られ方をされつつ、チャンネルを変えられてました。なので当然、女の子が好きそうなアニメなども一緒に観てましたね。

 

しばらくして、うちにリモコン付きのテレビがやってきます。ガチャガチャしなくてよくなります。このリモコン付きテレビの登場によってチャンネル争いの様相も変化しました。

変えられまいと、テレビ側のチャンネルを死守する者。隙あらば、遠くからリモコンで変えようと虎視眈々と狙う者。変えては変えられを何回も繰り返しました。

 

今思い出すと、バカバカしいですが、今みたいにネットもゲーム機も無い時代。

当然テレビも、一家に一台の時代です。熾烈なバトルを毎日繰り返してました。

まあ、毎回、私が力と多数決(女3男1)で負けるんですけどね。←これが私の人格成型に大きく影響与えたんでしょうね。どうしても、趣向が女子っぽいとか。

 

今書いてて思い出しましたが、当時もらったクリスマスプレゼントもリカちゃん人形のボーイフレンド役イサム君でした。(当時は、おそらく『けんちゃんちゃこちゃん』の影響でけんちゃんとよんでました。)姉がリカちゃんの相手役に欲しがっていたのでしょうが何故か私のクリスマスプレゼントとなりました(TOT)/私は、そのころやってた『未来合体ダルタニアス』の超合金が欲しかったんですけどね。

 

弟の意見なんて、姉からしてみれば、そんなもんです。今、当時の話をしても、姉たちは、そろってそんなことないよ。ねーって、またしても多数決で負けてしまうんです。

 

話題を変えましょう。次にやってきたのは、電子レンジでした。今でこそ、ディスカウントスーパーなどで1万円ほどで買えるモデルもある電子レンジ。いくらしたかは、知りませんがおそらく現在の紙幣価値では20万円以上したんじゃないかなぁ。

 

あの『ヘルシオ』より、断然高かったと思います。ナショナルですよナショナル。今の『パナソニック』ですね。私の父が、わさもん(熊本弁で珍しいもの好きな人)だったので、家電、車などは、友達の家よりも家に来るの早かったですね。稼ぎもあったのかなぁ?!

 

この電子レンジで、父がハマったのは、『イチゴジャム作り』当時の説明書にケーキとか蒸しパンとかいろいろ書いてあった記憶があるんですが、作ってくれたのはいつもイチゴジャムでした。全自動洗濯機が今の時代に初めて我が家に来た時のように、父と一緒にイチゴジャム出来るまで眺めていました。

私が料理に興味を持ったのは、この電子レンジが我が家に来たからだといえます。感謝ですね。

 

昭和の話をたくさん書こうと思いましたが、書きながらあふれて来る昭和の思い出に参りそうなので、今回は、この辺で。シリーズ化して書いていこうかなと思います。

読んでいただいた方の中で、一つでも懐かしいと思っていただけることがあれば、幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

『言わせていただきたい』~病気の原因について

『悪性リンパ腫』になってしまった私。原因は、いったい何なのでしょう?!考えに考えた結果、出た答えは?!

 

果たして答えは出たのか?!

 

 お題に『言わせていただきたい』と書いておりますが、今回は、闘病日記ではなく。『病気の原因』について客観的な意見、感想を書いていきたいと思います。 

 

まあ、『悪性リンパ腫』に限らず、ケガや病気、いろいろな傷病で病院に通われる方いらっしゃると思います。私のように『悪性リンパ腫』です。とか『〇〇ガン』です。とか言われた時、(言われないようにと祈っております。)皆さんきっとこう思うはずです。

 

(何で?!何で〇〇になったんだろう?!)って。 

 

私も思いました。考えに考え抜きました。幾日も幾日も。ケガの原因は、恐らく分かってると思います。私が3歳の時、右肩を脱臼したのは、母親が無理に手を引っ張ったからですし、5歳の時に頭を切ったのは、姉に投げ飛ばされて箪笥の角で頭を打ったからですし、頭の正面にある桃太郎侍の様な三日月ハゲの原因は、母親のバイクから落とされた時に出来たものですし、、、。痛い話恨み話は、この位で。 

 

というように、ケガには、原因ってあるのでしょうけど、『病気』にはあるのでしょうか『原因』?!まあ、お酒が原因で、肝硬変とか。たばこが原因で、肺炎、気管支炎になる。分かります。多分そうでしょう。恐らくそうでしょう。何か腑に落ちませんけどね。一般的にそういわれてるから、そうでしょう。どっかデカい研究施設の偉い人たちがそう言うのだから、そうなんでしょう。

  

そうでいいじゃん。

 

、、、。 

 

、、、、、、。

 

だってさ、、、。

 

だってさ、ならない人いるじゃん!

 

 だって、たばこ、スパスパ吸って、100歳超えました。たばこ歴80年とか言うおばあちゃんや焼酎、グビグビ飲みながら、毎晩毎晩、晩酌して、これやんないと生きた心地がしないわよって言う100歳超えたおばあちゃんいるじゃん。(テレビで観る100歳超えました、おめでとうございます!って、おばあちゃんしかイメージ湧かないんですけど、、、。)関係ない話でした、、、。

  

そうなんです。なにが?!同じような生活してても、なる人とならない人がいるんですよ。 

私の母は、『肝臓ガン』で亡くなりました。(医学的には、肝臓ガンが原因でうんたらかんたらの他臓器うんたらっていうのでしょうが。)でも、ほぼお酒飲まない人でした。たばこは、スパスパやってたから、なるなら肺ガンでしょ!他にも、いっぱい、いらっしゃると思うんですよ。ならない人。いいなーって思いますよ。好きなことやって、死んでいく。表現悪いですけど。

 

カッコイイです。

 

好きな酒飲んで、好きなたばこ吸って、好きなもの食べて、死んだら、棺桶にそれ入れて天国に持っていける。いいなーって思いますよ。 

まあ、うちの母の時も、ちゃんぽん好きだったので入れてあげましたけどね。あと、パチンコ好きだったから、パチンコ玉入れようかって話してたんですけど、この世に未練残るからとか、燃えないから火葬場の人に迷惑になるということで、却下になりましたけどね。なに書いてるんだろ(笑) 

 

なんで、今回は、この題材にしたかっていうと、私は、いつも体の調子が良い時は、病棟ウロウロしてるんですけど、そんな時にいつも話したりする奥様達がいらっしゃいます。皆さん、旦那さんが患者さんで、いつも付き添ってらっしゃるんですね。中には、一緒に泊まってる方もいらっしゃいます。その奥様達と話してたんです。

 

『病気の原因』について

 

そしたら、食生活がどうこうとか言う方がいて結構強めに。まあ、病気になる要因の一つかもしれませんけど、原因って程じゃないと思うんですよ。 

私は、『食』が大好きで、体に良いと言われる食材や調理法の勉強もしましたし、食材のバランスも体調や季節に合わせて料理してました。妻も当然、同じ冷蔵庫使うので同じような材料で料理してました。だから、食生活って言われるとちょっと『イラッ』ってするんですよね。

 

スミマセン。

 

だって、私の母だって私の事を思って、料理作ってくれてたはずですし、嫌いなものだって食べなさいって言われるのも体の事を思っての事だったわけで、、、。皆さんもそうだと思うんですけど。

 

どうでしょう?!

 

お母さんの料理。

 

おいしかったですよね。子供の時は、当たり前でも社会に出るとなかなか食べれなくて、、、。でも、実家に帰ると親の笑顔と好きなお母さんの手料理が迎えてくれる。幸せなことだと思います。 

子供たちもやがて巣立って、社会に立ち、巡り合い家庭をきずき、夫、妻となって父、母となって、料理を作るわけです。男、女関係なく、愛する人の為に。(私が子供の時とは料理を作る人も環境も変わりました。)幸せな気分で(たまにそうじゃない日もありますが) 

 

最近、『NK細胞』というものが色々言われてます。

 

母がガンになった時も姉が色々言ってました。どういうものかと言いますと、人は感謝したり、幸せを感じるとNK細胞というものが生成されるそうです。

 

『ナチュラルキラー細胞』なんかカッコいいですね。

 

で、このNK細胞というものが、ガン細胞をやっつけるということも言われているのですが、お母さんや愛する人が作った料理食べた時って皆さん幸せですよね。ということは、そんな食生活の中で過ごしている人は、『悪性リンパ腫』『ガン』にならないか?!

 

なります。

 

悲しいことですが、なるんですよ。だから、食生活が『病気の原因』ってことは、無いんじゃないのって思います。偉い学者様が何十年も研究して、分かんないって言ってるのに、『食生活』が原因って断言しないでほしいと思いました。 

だってさ、何十年も連れ添って、旦那さんや子供の為に色々考えてご飯作ってくれたお母さんにあなたの料理で家族が『悪性リンパ腫』や『ガン』になったって言われたら、、、。

 

悲しすぎます。 

 

あと、きっかけとしてはもう一つありました。病室で隣の年配の患者さんの奥様が病院食に対して、熱く語っていらっしゃってたんです。

この料理、全部食べると何カロリーで、管理栄養士さんがあなたの事を思って、メニューからカロリー計算からきちんと考えて作ったメニューなのよ、、、。

だから、残さず食べなさい的な感じで。逃げました。私は、病室から。いたたまれませんでした。

 

だって、その旦那さん、頑張っていらっしゃっるんですよ。毎日毎日。痛い思いしてても、大丈夫、大丈夫って。看護師さんが点滴の針刺すの失敗しても、大丈夫、大丈夫って。(私の場合は、大丈夫と言いながら、1回だけだぞ次やったら許さんぞって思ってます。)それなのに、食べなさい。残したら、病気治らないわよって。分かります。分かるんですけどね。治ってほしい気持ちも勇気づけたい気持ちも。でも、好きにさせてよって思います。 

  

私は、この『悪性リンパ腫の病気の原因』分かってます。

 

それは、、、、。『ストレス』です!間違いないです。血液病棟のいろんな方とお話しさせていただきましたが、みんな良い人。まじめで、素直で、思いやりがある人。私がそうです。イエーイってわけじゃないんです。そう思います。思いやりがあるから、いろんな人や色んな事抱え込んじゃって、ストレスになるんです。昔から、ストレスで血が濁るって言うじゃないですか。たぶん、、、。どっかで聞いたような気がします。

 

そのストレスの原因は色々あると思います。仕事だったり、家庭だったり、子育てだったり、お金の事だったり。でも、しょうがないんです。なったものは。私もそうです。

 今は、そのストレスが何だったかとか、どうでもいいですし、病気の原因が何だったかとかどうでもいいです。 

 

Twitterとか見てても、家族が大病患ったのは私のせいだとか、私が大病になったのはあいつのせいだとか、書き込みがあります。それで、ストレスが発散されるのであれば、いいかもしれません。私のせい、あいつのせいで病気が治り、誰かが救われれば良いと思います。

 

大丈夫ですよ。

 

あなたのせいじゃないです。

 

あいつのせいじゃないです。

 

 

ストレスのせいです。

 

原因が何か?!

 

そんなのどうでもいいんです。

 

だからね。病気治したらね。肉いっぱい食べて、刺身いっぱい食べて、酒浴びるほど飲むんですよ。

 

愛する人たちと一緒に。

  

最後まで、読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

今回のblogは、誰かを責めるわけでも非難するわけでもありません。一患者の率直に感じた意見、感想です。私は、医者でもないですし専門知識もありません。そこをご留意いただければ幸いです。

 

 

次回は、番外編『昭和生まれ。』を書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『R=CHOP療法』1クール回復期~一時帰宅まで。

 今回は、『悪性リンパ腫』の『R-CHOP療法』1クール目の抗がん剤投与が終わり、死滅した良い細胞を新しく薬の力で生成させていき、一時帰宅に向かった時のお話です。

 

入院して、早3か月。

 

秋に入院したのに、クリスマス、大晦日、お正月、私の誕生日と順調に(?!)月日を重ねた頃の話です。

 

この頃のストレスは、MAX。食欲もMAX。

 

先も見えず、帰りたい。帰りたい、帰りたい。

 

と、ベッドで呪文を唱えてました。

 

夜も寝れず、真夜中に、タブレットで『ウォーキングデッド』を観ながら、私もゾンビのようにトイレに向かう日々。

 

病院食じゃもの足らず、売店でカップラーメンを買っては病室ですすり、看護師に怒られる日々。(当たり前です!今、そんなんされたらニオイで出ます!色んなものが)

 

体の方は、血液検査の結果、入院当初LDHという酵素の数値は、1600を超えていたのが抗がん剤投与終了直後に800弱(基準値120~240IU/L)になり、抗がん剤投与終了後1~2週間で500IU/L位まで下がってきました。

 

この『悪性リンパ腫』で入院するまでは、会社などで健康診断した時も血液検査の結果なんてほとんど気にしませんでした。

 

再検査とか言われたこともありませんでしたし、気にしてたのはここ最近、上昇中の中性脂肪位でした。(みんなそうですよね!)

 

 

はっきり言って、健康でしたし、風邪もほとんどひいたことがありませんでしたから。

 

なのに、、、。

 

こんな病気になるなんて、、、。

 

 

この時になって、血液検査の重要性を知りましたし、こまめに健康診断を行っていれば、もっと早く気づけたかもしれないなって反省しました。

 

なぜなら、血液検査の結果を元に、医師の話を聞けば聞くほど、自分の体の状態が分かるのです。

 

 

例えば、上に書いたLDHという酵素は、肝臓、心臓、腎臓、赤血球などで作られる酵素で、幹細胞に多く存在し、糖質をエネルギーに変える働きをするそうです。

 

でも、何らかの原因で破壊されると血中に流れ出し、この数値が上がります。上がったということは肝臓がダメージを受けている状態ということらしいです。

 

主に、進行したガンや転移性の肝臓ガンで上昇するそうです。

 

 

基準値120~240IU/LのLDHの値が1600!

 

驚愕の数値です!

 

120円の缶ジュースを1600円で買わされた!

 

怒りますよね、、、。

 

当然です。怒ります。

 

それ位、常識はずれの数値だったんです。

 

入院当初の血液検査で医師たちは、もう、分かってたんですね。

 

きっと。

 

こいつ『ガン』だって、、、。

 

この時は、まだ、あんまり理解してなくて(頭も体もついていかない)はぁー、と気のない返事をするだけだったんですが、今思えば、しっかり普段から気を付けてれば、早期発見につなげられたのに、、、って学びました。

 

他にも、

 

CRP(基準値0.3mg/dl以下)・・・肝臓で作られ体内に炎症や組織細胞の破壊が起きると血清中に増加するたんぱく質

 

これが、5.18mg/dl

(ウイルス感染や酷い火傷でも上がる数値で風邪でも酷い高熱が出ると1.0~2.0位の値が出る場合もあるそうです。)

 

これも、驚愕の数値でした。

 

風邪などの時もこのCRPの数値は、上がるそうなので調子が悪くて病院で血液検査をしてみてもこの数値が上がってて風邪です。と診断されるケースは多そうです。←ここ重要です!(他の『悪性リンパ腫』の患者さんも最初は風邪ですって言われたケースが多い。)

 

特に悪性リンパ腫ではこの数値の上昇がみられるそうです。

 

風邪でも上がる。『悪性リンパ腫』でも上がる。医師にとっても、判断しづらいところかなって思いました。私の場合も、最初は風邪って診断されて、他の病院でレントゲンなどの検査で異常に気づいので、、、。

 

このように、血液検査の結果で私の病気のおおよその判断は、出来てたのかなって思います。結果論ですが、、、。

 

(血液検査の数値など詳しいことは※基準値などは私が入院している病院の基準値と若干違います。→血液検査 | 検査結果の見方 | 一般財団法人日本予防医学協会ホームページ

 

まあ、でも、血液検査の結果を聞いて安心はしましたかね。

 

若干ですが、、、。

 

若干です。

 

数値がまだまだ、基準値以上あるとは言え、下がっていたのですからね。

 

ようやくですが、この時くらいから、少しずつ気持ちにも余裕ができ、自分で『悪性リンパ腫』をインターネットで調べては、一喜一憂し、この厄介な病気を真正面で向き合えるようになったような気がします。

 

ここまでは、本当に行けと言われて、舟を漕ぎだしたものの行く先も目的もないままに、ただ流れに身を委ねていただけでしたから。

 

今思えば、、、ここに、たどり着くまでに家族には苦労かけたな、、、。

 

特に妻は、本当に大変だったと思います。

 

寝汗が酷かったために、毎日、毎日、3,4回着替えが必要でしたし、あれ食べたい。これが欲しいとわがままを言ってしまっていましたから。

 

夫婦共働きで、まだまだ幼い子供の世話もあるのに、、、。

 

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

でも、いつも『大丈夫よ。』って言ってくれて。

 

色んな検査の結果を言ったら『良かったじゃん。』

 

と言ってくれました。

 

本当に救われました。

 

この病気は、一人では、乗り越えられません。

 

色んな人、もの、目に見えない何かが手助けをしてくれないと乗り越えられないんだなって思いました。

 

家族が一緒に戦ってくれるんだな。

 

子供も幼いながらお守り作ってくれたり、誕生日に手紙書いてくれたり、いろんな形でこの『悪性リンパ腫』と闘う戦場に参加してくれています。

 

心強い。本当にありがたい。

 

その手紙の一文です。

 

パパへ

 

 おたんじょう日おめでとう。じんじゃで、はやく元気になってたいいんできますようにと、おねがいしました。

パパが帰ってくるまでにいえをきれいにしておきます。

たんじょう日なのにつらいね。

元気になってたくさんあそんだり、3人でおふろに入ったりたべたりしゃべったりしようね。、、、、、、

 

涙が止まりませんでした。

 

嬉しくて。

 

自分が情けなくて。

 

あんなに小さい子が一緒に闘ってくれている。

 

私の帰りを待っててくれている。

 

なのに自分は、、、。

 

闘おう!

 

一人じゃない!

 

、、、。つらいねって。

 

あの年の子が知ってるなんて。

 

子供ってすごいなぁ。とか思いました。

 

いろんな支えのおかげで、私の体も心も少しずつですが、病気と闘える状態になり、血液検査の数値も、徐々にですが良くなって行った頃、、、。

 

『来週の血液検査の結果次第では、一時帰宅を考えましょうか。』と医師から、予想もしない嬉しいお言葉。

 

え?!帰っていいの?!

 

まだ、この時は、1クールごとに状態が良ければ帰宅ができるということも知らずにいたので、きょとんとしてしましました。

 

急いで、妻に連絡し、『来週、帰れるかもしれない!』と報告しました。

 

『良かったね。』って、言ってくれはしたけど。(家片付けないとね、、、。)と少し嫌そうだったのも覚えてます。←感染症対策のためです。

 

子供には、期待させたくなかったので内緒にしておきました。

 

そして、週明けの朝、血液検査の採血の時が来ました。

 

『〇〇さん、採血します。』と看護師さん

 

『お願いします!』と満面の笑みで迎える私。気持ち悪かったと思います(笑)

 

いつもは、嫌な針を刺される瞬間も、(頑張れ!私の細胞たち!)と念を送りました。

 

そして、数時間後、、、。

 

担当医が私の病室へ。

 

固唾を飲む私。

 

『赤血球が、、、。』

 

『白血球が、、、。』

 

正直、その辺は、聞いちゃいないです。

 

『、、、ということで、、、明日、一時退院していただいても大丈夫ですよ。』

 

 

キターーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

\(^_^)/\(^_^)/\(^_^)/ーーーーーーーーーー!!!!!

 

電車男のように

 

私の頭の中は、一瞬でお花畑満開。一斉に小人たちがパレードを始めました。

 

帰れる、、、。

 

嬉しかったなぁ。ほんと嬉しかった。

 

帰れる。子供と会える。

 

一緒にご飯食べたり、お風呂入ったり。

 

ルンルンです。

 

ということで、次回は番外編『言わせていただきたい』です。お楽しみに。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のテーマは、『母』です。私の母だったり、私の子供の母(妻)がテーマです。私の母も長い闘病生活の果てに空へと旅立っていきました。私にとっての母の存在。男の子にとっては母親とは。夫から見た母親とは。

 

決して、マザコンではありません。

 

 今回は、『母』について書いていこうかと思います。

 

『母』

 

いきなりブログの題材にするには、大きすぎますね(笑)入院生活をはじめて、毎日辛い日々が続きます。痛い思いや苦しい思い、辛い思いが続く日々です。

 手術の時や初めての処置の時、まだ未体験の不安な思いをするときに登場するのは、決まって『母』です。

 

『父』じゃないんですよね。

 

合併症の心膜炎になった時も、緊急手術になり、不安なまま手術台の上に乗りました。

 その時私は、『助けてーお願い。母さん!』と心の中で叫び、手術に臨みました。

 

『父ちゃん、助けて』じゃないんですね。

 

毎回、再入院した時に、首にCVカテーテルという管を付けるのですが、これを付けるときも当然痛い思いをします。その時も、毎回『母さん、頼むよ。』と心の中で言って、痛みに耐えてます。

 

『父』と『母』両方とも親なのに、、、。

 

不思議ですね。

 

決して、私が父と仲が悪いとかじゃないですよ。悪しからず。まあ、母が他界してしまってるのも理由の一つかもしれませんけど、。

 

『母』

 

私にとって、『母』とは、ずっと、ずっと心配をかけてきた存在でした。私が生まれてから、今でもきっと空の上で、心配してくれていることでしょう。私は、生後1歳半くらいの時に『白血病』になったらしいです。

 『悪性リンパ腫』という同じ血液の病気にかかっているので、何かの因果関係があるのかと思いましたが、それはないようですね。(入院時に医師にきっぱりとそれは、関係ありません。と言われました。)

 

血小板が極端に少なくなるという病気だったらしいんです。血小板が少なくなるということは、血が止まりにくいということです。

 

(昔、山口百恵さん主演であった赤いシリーズの主人公と同じらしいです。母がよく言ってました。私は、見たこともありませんが。)

 

血が止まりにくいので、ケガしないようにとか、青あざが出来ないように私は、包帯でベッドに縛られてたという話を幼いころによく聞かされました。ベッドに縛られている。

 

1歳児が?!

 

今、考えただけでもかわいそうです。自分なんですが。もし、今の自分の子がそうだったらと考えたらたまりません。たまらない。耐えられないです。

 

うちの子が3歳の頃、咳が止まらなくて耳鼻科で喉にステロイド(煙みたいなの)を吸入させるのさえ、パパは、可哀想で申し訳なくて泣きそうになったのに。

 

私の病気は、1歳半~3歳になるくらいまで続いたようです。完治したので良かったです。だから、幼い日の私の写真は、病室だったり看護師さんに抱かれた写真ばっかりです。おまけに顔は、薬の影響でパンパンのアンパンマンみたいに膨れてます。

 全く記憶がないのが救いですね。

 

でも、その時の両親の辛さを考えたら、、、。大変だっただろうなぁって思います。

 

ありがとう。父さん。母さん。そして、頑張ったね。私。

 

 

それからというもの病院から退院した私は、元気いっぱい!今までのうっぷんを晴らすかの如くやんちゃになっていきます。

 

野山をかけ、川をかけ(笑)、毎日泥んこで遊びまくりました。(この辺から記憶あり)

 秘密基地を作ったり、粘土遊びしたり、和式のぼっとん便所に落ちたり。(幸い姉に救出されました。)ケガも多く、その度に治ってるといえ病気の影響で余計にハラハラさせたことでしょう。

 

とにかく、やんちゃでした。レストラン行っても、ずっとウロウロしてたし、デパート行っても勝手におもちゃ売り場に行ったり。今の私ならこんな落ち着きのない子、ブチ切れてもおかしくないと思います。

 

でも、『母』は、全て受け入れてくれました。勿論、人に迷惑かけたりしたら、しこたま怒られましたが。

 

学校から帰ってきたら、夏は、冷蔵庫にフルーツ寒天が作ってあったり、冬には、ストーブの上でぜんざいが作ってあったなぁ、、、。

 

今思えば、『母』は、いつも家族、子供の事を考えて、生活してくれてたんだと思います。掃除、洗濯、料理、子供の世話。

 

毎日毎日、文句も言わずにせっせとやってくれました。夜中、怖くてトイレに行けないときは付いてきてくれたし、ご飯の時は、自分の分を私にくれたり、、、。

 

『母』が私にしてくれたことを書き出してたらきりがないですね。まあ、この『母』の行為が姉たちの反感をかって姉にいじめられたりもするんですけどね。

 

『母』が私に甘かったのは、幼き日に辛い思いさせてごめんねっていう母なりの贖罪だったのかなって思います。『母』は、悪くないのに。

 

これこそが『母』なんでしょうね。

 

慈悲の心と申しますか。

 

無条件に子供に自分を犠牲にしてでも施してあげるというか

 

甘やかすこととは違いますが、『母』の母性本能というのは父のそれとは、根本的に違うような気がします。

 

勿論、男性にも母性本能が強い方(私もそのうちの一人だと思います。)もいらっしゃいますが、男性はどこか見返りを求めるというか、ポイントを稼ぎに行くような気がします(笑)

 

あくまでも、、、持論ですが。私もその傾向あります。 

こつこつ子供の世話じゃなくて、プレゼントで一発逆転を狙いに行く傾向(笑)

 でもね、しょうがないんですよ。父じゃ『母』には、勝てないんですもの。

だって、父には『乳』がないんです。いや、医学上はありますよ。 でも、『母』が持ってるそれとは、違うんです。飾りですこれは(笑)

 

うちの子が、まだ、1歳位の頃。ぎゃーぎゃー泣くんです。父は、頑張ってあやしました。おしめも見ました。哺乳瓶を口元まで持っても行きました。でも、泣き止まないんです。父は、オロオロしながら、慌てながらあやします。お願いだから、ご機嫌直してよ。お願いだから泣き止んでよってね。 

でも、、、、無駄なんです。泣き止むこともありますが、まれに。

 

そこで、『母』が登場ですよ。

 

颯爽と。

 

子供は、さっきまであんなに泣いていたのに『母』の『乳』をくわえて、ほうばって必死におっぱいを飲んでます。そして、安心しきっておやすみになられます。

天使のような寝顔で、、、。

 

父は、『母』の『乳』に負けて、呆然とするわけです。

 

まあ、これに勝ち負けを付けてる私は一生『母』には敵わないのでしょうけど。

 くやしかったなー。お風呂の時も、『ママが良いー』と言われ、保育園に迎えに行った時も『ママが良いー』と言われ。

 

くやしかったなー。

 

でも、しょうがないんです。勝てないんですよ。『母』には。

はじめて、子供のおしめ変えたとき。ぎゃーぎゃー泣く子供を前に、おしめをもってオロオロする父(私です。)変え方が分かんない。って『母』(私の妻)に言うと、、、、。

 

『子供産まれるの分かってるのに何にも学んでないね』って言われました。

 

ガーーーーーーーーーーーン!!!!本当にそうだね。10か月準備期間あったのにね。仕事では、準備が大事ってあれほど、部下や後輩に言ってた私。『母』には、勝てないって思いました。 

 

『母』は、大きな器です。

 

全てを包んでくれて、飾ってもくれ、もてなしてもくれる。あふれんばかりの愛情でいつでも迎え入れてくれて、待っててくれる。時には、大きな傘になり、雨や風から守ってくれる。人の道から反れるようなことがあれば、鬼と化しその道を正し、時には一緒に涙を流してくれる。

 

私は、私の『母』にも私の子の『母』にも勝てません。

 

勝負じゃないけど、頭が上がりません。

 

では、最後に息子から『母』へメッセージを送ります。

 

そんな『母』からも子供たちは、いつか巣立ちます。

その時は、そっと見送ってください。見守ってください。

子供たちは、雨や風に濡れて傷つけば、きっと『母』のもとに戻ってきます。

癒しと安らぎと心地よさを求めて、その時は精一杯の手料理で迎え入れてください。

子供たちは、『母』の元で傷をいやし、英気を養い強くなって、また、旅立ちます。

 

 

もう、卒業のシーズンですね。感謝しかないなー。

 

『母』には。

 

ありがとう。お母さん。 

 

思い入れが強いのか体の調子が良すぎるのか、思わぬ長文になってしましました。

読んでいただきありがとうございました。

 

次回は、『R-CHOP療法1クール回復期』を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抗がん剤投与後~2週間

初めての抗がん剤。その投与が終わって1週間。点滴の機器や点滴から解放はされたものの。体内では、抗がん剤が、悪性細胞と闘ってる。良性細胞とも。そんな中、私の体に起こったこととは。

 

抗がん剤投与後~2週間。

 

 前回のブログでは、初めて抗がん剤を投与されてからの体験を書きましたが、今回は、その後の1~2週間について書いていきたいと思います。抗がん剤投与後の1~2週間は、回復期と言って抗がん剤で死滅させた良い細胞の回復を図ります。

 

私の場合は、皮下注射によって血中の白血球や好中球を上げるという処置を行いました。毎日毎日、皮下注射されるわけです(泣)注射好きっていう人は居ないと思いますが、毎日打つんですよ!!!

 

しょうがないですけど。でも、少し痛くない方法あります。 

針刺すときに、ぎゅーっとつねりながら刺してもらうと、あんまり痛くないです。 

ぜひ、試してみてください(笑) 

この注射を繰り返し行うことで、抗がん剤の投与によって下がってしまった免疫力の回復を図り、一時退院に向かうわけです。

 

はっきり言って、『悪性リンパ腫』や血液の病気で治療している方たちの日々の目標はこの一時退院なんです!!! 

若い子だろうとお年寄りだろうとこれは、間違いありません!おじいちゃんだって、血液検査の結果悪くて一時退院が長引くと駄々っ子になるんですから。

 

私も当然なります。

 

だから、この時期の感染は厳禁!!!です。

 

もちろん、普段から気を付けてはいるんですけど、腸炎、胃炎、肺炎などの感染症に感染してしまうと一時退院どころか、本来の治療も長引いてしまいます。

なので、血液内科の病棟は一般的に要マスク着用ですし、子供の入室禁止のところが多いと思います。※子供は、泥遊びなどして雑菌を持っていることがあるためらしいです。

 

お見舞い品も生もの、生花などは駄目らしいです。当然私も知りませんでした。 

感染症怖いです。当然、この時期も抗がん剤の影響は、あるので副作用も当然あります。

 

私の場合は、

 

主な症状として

  • 胸の苦しみ
  • 胃のあたりのモヤモヤ
  • 手の痺れ
  • 食欲不振
  • 不眠

でした。

 

他にも、こまごまとした症状はあるんですけど、きりがないので。 

食欲がないというのは、肉体的にも辛いですけど、精神的にも辛かった。 

折角作っていただいたものを残すなんて、、、。もったいない。

このようなことを食事のたびに感じてしまい、、、。

 

辛かった。

 

眠れないというのも、辛かった。体は、きついし、薬の影響で弱っているのは間違いないのに、眠れない。

 

なんでだろう?!

 

薬の影響だろうか?!

 

不安だから?!

 

その両方なんでしょうけど、眠れない日々が続きました。 

その後しばらくすると、薬が体から抜けたのか、食欲も戻ってきましたし、睡眠もとれるようになりました。

 

結局は、この苦しみにも辛さにも慣れろってことでしょうけどね(涙)

 

はたして、なれるんだろうか?!

 

でも、1クールの流れが分かったので自分の中で治療は進んでるって実感が湧いて少しだけ前を向くことが出来るようになったかとは思います。

 

まだまだ、この時期は、夜寝れないときに毎晩泣いてましたし、自分を責めてばかりいました。

 

何で?!何で?!って

 

でも、少しづつ、少しづつ前を上を見なきゃって思えるようになった時期です。

ずっと前のような気がしますが実際は、まだそんなに時間は経ってませんが。

 

がんばろっと!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

次回は、『母』をテーマに書いていこうかと思います。