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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

抗がん剤治療 2クール目 その⑦

先日会いに来てくれた友人の働きかけで続々と私の携帯には友人からの便りが来た。別にこの病気の事も何も隠すことなど無い。

 

『みんなにこの事言っても良いか?!』と訊いて来たとき私は快く承諾した。

 

今回のブログはシリーズものです。まだ読んでない方はこちら↓

 

抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

久しぶりの笑顔。抗がん剤治療 2クール目 その⑥ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

   みんな口々に言った。なんでもっと早くに知らせなかったんだ。私も逆の立場ならば、きっとそう言うだろう。彼との再会がなかったらこんなやり取りさえわずらわしかっただろう。でも、彼が救ってくれた。私を死の淵というか絶望の沼から連れ出してくれた。決して、手は差し伸べず、俺はここにいるからお前の足で来いと力強く、待っててくれたような気がする。そして最後に手の届く範囲で私の手をこの掌を握ってくれた。

 

ありがとう。今でも思う。その後に高校時代からの友人やバスケ仲間がお見舞いに来てくれた。先の友人と同じようにみんな屈託のない笑顔にいつもと変わらない話が出来た。ここに戻りたい。みんなと同じように以前の私の様に楽しく、笑い、肩をペしぺし叩きながら昔話をしたり、お互いの近況を話したり。美味しい料理に囲まれながら酒を組みかわしたい。

 

戻りたい。本気で思った。

 

みんなが言う。 

『お前なら大丈夫な気がする』『俺たちの誰かじゃ分かんないけどお前なら大丈夫。』

なんの説得力もないが昔から彼らは私を必要としてくれて期待してくれた。遊ぶ時も悪ふざけするときも。先生にきつく怒られる時だって一緒だった。

 

竹馬の友とはこういうものなのかもしれない。そう思った。竹馬乗るほど幼くはなかったがバイクに乗ったり10キロ以上ある家から学校までの距離を一緒にバスで通学した仲間もいる。あの時に一緒にかいた汗、一緒に先生に殴られたげんこつの痛み。

 

一人ではひょっとしたら立ち直れなかったかもしれない。何で私ばっかりと考えもしたが彼らと会った今は私が彼らの先頭に立ち、もし彼らがガンや辛い局面に対峙した時、私の経験が生かせれればとさえ思うようになってきた。

 

この時の私の体調は決して良くは無かった。抗がん剤の副作用か髪の毛はごっそりと抜け出した。お風呂からあがる時も以前は髪をタオルで拭き、次に顔、最後に体だったが、髪の毛がごっそり抜けるようになってからは順番が逆になった。以前と同じようにしてしまったら最後体を拭く時に体中に髪の毛が大量に付着するからだ。

 

毎日、シャワーを浴びて毎日このような状態になり煩わしかった。逆にすればいいじゃんと思うが友人たちと会うまではそんなまで気が回らなかったのである。

 

 

薄くなった私の髪の毛。白髪も一気に増えた。

 

↓まだまだ毛はあります。でも念のためリンクにしました。見たい方はどうぞ。

抗がん剤治療2クール開始前の側頭部 https://goo.gl/zexR1H

 

↓部分部分に円形脱毛症みたいになってきました。

抗がん剤治療2クール終了時1~2週間の側頭部 https://goo.gl/OpcZfW

 

 

周りが見えてなかった。自分の事さえも。

 

副作用は他にもあり食欲が全くなかった。友人と会う時はおそらく一週間ほど殆ど食事が出来てない時だった。食事が出来なくても辛いということは無く、只々、白飯の匂いや味噌汁の匂い、魚の匂いが嫌で嫌でしょうがなかった。酷い時には吐き気をもよおすまでになった。

 

食が進まないのに排尿、排便、寝汗はあったので体重もどんどん減っていった。おそらく、友人達もやせ細った私の姿を見て唖然としたのではないだろうか。

そういうそぶりを見せることもなく、いつも通りに接してくれた友人達に感謝したい。あの時にもし、げっそり瘦せたねとか、以前の見る影もないねなどと言われれば勝手ながら友人関係を解消していたところだったかもしれない。

まあ、そんなことを言う人とは友人にはなってないだろうが。

 

色んな力を借りて何とか乗り切った第2クール。これが最低でもあと4回。この先、治療はもっと辛くなることは分かっている。また挫けそうになるのか。それとも、今を乗り切ることが出来たから、この先も乗り切れるのか。

 

それはやってみなければ誰にも判らない。医師にも私にも。

私は占いは信じない。でも、おまじないの類は信じてしまう。この足首に巻かれた子供が作ってくれたミサンガに私は改めて願いを誓った。元気な姿になりたいと。

 ↓汚い足ですみません。

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私の車の中に最後に使った日に置いたままの私のバスケットシューズとバスケットボール。

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以前と同じようなプレイは出来ないかもしれないが何とか頑張ってスリーポイントラインの外側からシュートを放ちボールがリングに一切触ることなくネットをくぐる時の音をまた聞きたい。スパッと言うあの音。

 

『Swish!』

 

英語ではあの音をスウィッシュという。ゴールのボードやリングに邪魔されない自分の距離感、力加減が一致した時だけに聞ける音。

 

私もバスケットボールの様に誰にも邪魔されず、横にぶれないように寛解というゴールを目指したい。

 

私は9000回以上シュートを外し300試合に敗れた。決勝のシュート(決めたら勝ち)も26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ。

 

これは私が大好きなバスケットボールプレイヤーマイケルジョーダンの言葉だ。

ジョーダンと言えばおそらくほとんどの方がご存じだろう。でも、彼のハイライトシーンや偉業はTVや雑誌で取り上げられたが彼の失敗や負けた試合はあまり取り上げられない。彼は神とも呼ばれた男だ。そんな彼でも当たり前のように失敗から学んだと言っている。私も自分の失敗、間違いから多くの事を学んできた。これからもそうしよう。

 

焦りもあった、偽りもあったかもしれない。

 

でも、前に進もう。また挫けてもいいさ。そこから学び立ち上がれば.....。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの笑顔。抗がん剤治療 2クール目 その⑥

誰にも会いたくない。支えてくれている家族にも。そう伝えた数日後に来た久しぶりの友からの連絡。私は戸惑いながらも会う事にした。こんな姿を見たらどんな顔をするだろう。悲しい思いはさせたくないし、自分が哀れな姿も見せたくないな。そんな気持ちで迎えた朝だった。

 

突然舞い込んだメールによって私はほとんど寝付けずに朝を迎えた。

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抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

その日は朝からそわそわしていた。女の子がデート前に感じる思いとはこういうことかもしれない。

 

期待と不安。そして、少しばかりの恥じらい。

 

昨日までは締め切っていたカーテンも今朝は開けていた。朝のバイタルチェックに来た看護師が言う。

『おはようございます。今日は珍しく明るいですね。』

私は『たまにはね』と無愛想に答えた。自分が何か恥ずかしくなった。

もしかして私はウキウキしているんじゃないのか?!友達に会う事に?!そんなことを考えながらも、あっという間にその時は来た。友人からの着信である。

『今駐車場についたけどどこに行けばいい?!』いつものアイツの声。

私は自分の病棟名と階数を教えた。恥ずかしさが増す。まるで夏休み明けのような感覚。

 

友人を病室で待っていると(コンコン!)とドアをノックする音が聞こえた。

『どうぞ~』私が言う。

『久しぶり~。よっ!』と友人の彼はいつもの屈託のない笑顔で手を挙げながら部屋に入ってきた。いつもの彼だ。

『どうなの~』彼が大物司会者の様にきいてくる。

『少し前までは大変だったけど今は何とかね。』体調的にはそんな事無いのだけど友人に気を遣わせるのも嫌なので少し気丈にふるまった。

『そうかそうか、それは良かった。安心したよ。思ったより元気そうだし。』

彼はそう言うとお見舞いの品を差し出した。

『ありがとう。わざわざ申し訳ないね。』私は今まで彼に言ったことのない言葉でお礼を述べた。

『後これも。』そういったっ彼の手のひらにはお年玉のポチ袋が置かれていた。

この時はまだ正月明けて間もない時だった

 

『〇〇ちゃんに。久しく会ってないけど。』私にじゃないのか←当たり前。と慌てて受け取る。

『ありがとう。タイミングが良かったね(笑)』

『本当だよ(笑)』二人で顔を見合わせながら笑った。

『なんか飲む?!』私が訊くと『外に出れないの?!』と彼が訊いてきた。

入院して2か月。私はほとんど病室から出たことなかった。

『出ようか。』私はいい機会だと思い彼と談話室へ向かった。

 

二人で面と向き合いコーヒーを飲んだ。古くからの友人とはいえ、こうやって面と向かってコーヒーを飲んだことあっただろうか。そう思いながら、色々な事を話した。

 

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私の病気の事、病状、副作用、入院生活、夫婦の事、子供の事、仕事の事、そして、これからの事。

 

私が一方的に話すのをうんうんと黙って彼は聞いてくれた。私も調子に乗って喋り、あっという間に時間は過ぎていった。

 

『安心したよ。それだけ喋れれば大丈夫。』

 

彼は満面の笑顔で満足そうに言ってくれた。この大丈夫という言葉になんの医学的な根拠もないが、今思えば私はすごく救われた気がした。

 

『最初、悪性リンパ腫で入院してるって聞いたとき正直会おうかどうか悩んだよ。お前が弱っているところも見たくないし、お前もそんな姿見せたくないだろうし。でも、お前は頑張っているだろうから。応援しないといけないなって思ってここに来たんだ。』私はこの時に初めて彼の涙を見た。

 

『ありがとう。』私は声にならずに嗚咽混じりな礼を言った。

 

『辛いよな。でも、頑張れよ。俺たちがついている。俺が知っているお前なら絶対大丈夫だから。』彼はそう言いながら私の手を握ってくれた。

私が高校を卒業して、県外に行くときも彼は餞別をくれて私の手を握ってこう言ってくれた。

 

『頑張れよ。』この時と同じ言葉で。

 

あの時と同じ、私とは違うごっつい手。男らしく、日焼けしたその肌。やせ細って、白い私の病弱な肌とは違って生命力がみなぎっているようだ。

 

この握手にまたしても、私は力と勇気と仲間という掛けがえのないものに気づかされた。この後、残った2本の空き缶を彼は受け取って帰って行った。

 

『また来るから頑張れよ。今度は何人か連れて来るよ!』そう言いながら、笑顔で手を振りながら彼とエレベーターの扉で別れを告げた。

 

一人残されたエレベーターの前で、私は一人たたずんでいた。口を真一文字にして、彼が強く握ってくれた、か細い掌を見ながら。

 

『頑張らんとな。』そう言って掌をぎゅっと握りしめた。

 

彼からどれほどの勇気と力をもらっただろうか。どんなに離れてていても、しばらく会わなくてもいつもの調子、いつもの笑顔で接してくれる彼。ありがたい。本当にありがたかった。

 

久しぶりに会いに来てくれた友人に闘う力をもらい、この後の闘いに向かえる勇気をもらった私。頑張れ!大丈夫!という言葉もありがたいけど。この時はお前は頑張っている。辛いよなって黙って話を聞いてくれたことで救われた気がしました。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

自分の病気を知るという事。

『彼を知り己を知れば百戦殆(危う)からず』昔の中国の孫子の兵法書の中に書かれた言葉。長い年月が過ぎた今の現代にもその教えは活かされます。

 

そして私もその言葉によって生かされます。

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

 『悪性リンパ腫』と告知されてから医師の話や看護師の話。インターネットや書籍で私の病気がどんなものかという事を学びました。その中で勿論なるほどと思う事もありましたし、調べなきゃよかったという事も少なくありません。そこで今回は私が『悪性リンパ腫』になってどのように自分の病気を知っていったのかを書いていきます。

 

孫氏の兵法の中に

 

『彼を知り己を知れば百戦殆(危う)からず』

 

正しくは、

 

『彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。

 彼を知らず、己を知らざれば戦う毎に必ず殆し』

 

というものがあります。どういう事かと(私的に)簡単に申しますと

戦う相手を知り、自分も知れば、その相手と百回戦っても負ける心配はしなくていいよ。

戦う相手を知り、自分を知らなければ勝つこともあれば、負けることもあるかもしれない。敵を知らずに自分も知らなければ戦う度に危ない戦いになるよ。

という事だと思います。

 

私の様な病気との闘いに限らず、人生において幾多の困難がありますがこの言葉というものは、いかなる場合も使えると思いました。

 

私もこの言葉にならい入院してしばらくすると自分の病気、自分の症状、そしてその治療法について色々学んでいくことにしました。

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最初は自分に待ってるのは『死』というもので夢も希望も無いどころか考える気力、生きる希望も持つことはできませんでした。

 

五里霧中。暗中模索。艱難辛苦。苦心惨憺。涸轍鮒魚。七難八苦。愁苦辛勤。進退両難。

 

その時の私の心境を表す四字熟語も挙げればきりがありません。でも、病気の事を知り、自分の症状を知り、その治療法を知っていくうちにその不安も少しは陰り、少しづつですが希望という光が差しだしました。その調べるという勇気をいただいたのは私を支えてくれる家族だったり、友人だったりします。もちろんSNSで知り合った多くの顔も知らない友人も含まれます。

 

私の病名は『びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンサンリンパ腫』です。

 

以前のblogでも書きましたが『悪性リンパ腫』という病気は血液ガンの一つで、白血球の中のリンパ球がガン化(悪性細胞)したものです。リンパ球の種類にはB細胞、T細胞、NK細胞などがガン化して無制限に増殖して発症します。

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 一言で悪性リンパ腫といってもその種類は発症する細胞、進行のスピードなどで約50種類くらいに分類されます。私の場合はB細胞がガン化しているのでB細胞リンパ腫となります。

 

詳しくはこちら↓

悪性リンパ腫 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス]

 

 

B細胞がガン化したという事でその治療にはリツキシマブ(商品名リツキサン)という薬品が効果があるという事が分かりました。R-CHOP療法・R-EPOCH療法のRの薬品です。このリツキシマブ(リツキサン)を使っての治療というものは比較的新しい標準的な治療となるようです。

 

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効果がある。

 

この言葉は勇気にも希望にもなりました。治療は実際やってみないと分かりません。

私も一回目の治療にはこのリツキシマブを用いたR-CHOP療法が行われました。

 

しかし、ある程度の効果があったものの私の体から採取された生検検査での結果ではどうやらダブルヒットの可能性があるという事が分かりました。

 

ダブルヒットとはなんぞや?!調べてみました。

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ガン細胞に乗っ取られたリンパ球はその制御能力も失われて無限にガン細胞がくっついた細胞を生成し続けるのです。無限に。しかも私の場合は2つもガン細胞がくっつけられています。

これを知った時はショックでした。しかも私の悪性リンパ腫の進行スピードは5段階の悪い方から数えて2番目に早いスピードらしいのです。

 

これによって、私の治療方法が1クール目の『R-CHOP療法』から2回目以降は

より治療効果が期待できる『R-EPOCH療法』へと変更されたのでした。

その分、副作用も増すわけです。

 

ここまで書いたように自分の病気を調べるという事はただ、不安を増す作業になるのかもしれません。でも、私の場合は知ることによって何処が悪いのか、何でそうなったのか、途中での治療変更の理由なども理解することが出来ました。

 

不安も増しましたが理由があれば少しは安心できる。

 

全ての事がそうだとは言えないかもしれませんが私の場合はそうでした。

 

少しの希望。少しの勇気。少しの力。少しの支え。

 

これが私に偉大なる小さな第一歩を出させてくれたような気がします。

 

剛毅果断。一陽来復。七転八起。現状打破。先見之明。開雲見日。摂取不捨。夢幻泡影。

 

 

希望を捨てるな。頑張ったことに意味があるという四字熟語もたくさんあります。

まだまだ寛解には程遠く治るという確信はありませんが自分が勇気をもってこの病気と向き合ったことで

 

意気揚々。

 

となれるように願っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。

感謝いたします。

 

 

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤

R-EPOCHの抗がん剤5種類の抗がん剤。とプレドニンの6日間にも及ぶ連続投与が終わった。心臓にも体にも多大なダメージが出始める。

生きるために闘うと決めたから受け入れた抗がん剤治療。その副作用の影がより顕著になってくる。

  

2回目の抗がん剤投与終了。

 

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抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

 

『悪性リンパ腫』R-EPOCH療法の抗がん剤の連続投与が終わりました。

私の体内に新たな抗がん剤が完全に投薬されました。明らかに前回のR-CHOP療法とは直後の副作用が違い、胸の痛み、指先の痺れ、足のむくみ、顔のむくみ、口内炎、舌の炎症、吐き気、虚脱感、倦怠感、顎関節の痛み。そして、まだ大量に出る寝汗。数え上げればきりがありませんがそんな症状がすぐに出てきました。

 

ベットの上で何もできずに身を折りたたみ、芋虫の様にモゾモゾとしながら過ごす日も数日続きました。この治療方法は正しいのか?!自分に合ってるのか?!そんなことを考えるほどきつかった記憶があります。

 

吐き気や虚脱感が酷く、何もしたくないし、何も食べたくない。匂いだけでもうんざり、誰もいない病室で昼間でもカーテンを開けることなく、薄暗い中、副作用と闘い続けました。

 

食事は摂れてないのに便意はある。トイレには行くのですが出ない。点滴によって日に2000mlの水分が強制的に流入したおかげで小便の方は頻繁にでる。30分もすれば尿意を覚え、トイレに座る。その繰り返し。昼も夜もただひたすらトイレへ向かう。

まさにトイレへの巡礼です。 

これだけ、トイレに通い続けたのに私の巡礼は認められず体重は増加するばかり。

 

担当医の話によると腫瘍崩壊症候群や腎臓、肝臓保護の為に治療開始時の体重から+1.4kgで利尿剤を投与されることになっており、この利尿剤が本当に辛いんです。

昔、ボクシングをやってた時に試合前の減量で体重が落ちずに利尿剤を使うって話聞いたことありますが、そんな状態で試合なんて絶対にまともに出来ません。

 

そして、私は体重オーバーの為に利尿剤を投与されることとなります。

投与後、1~2分位で背中辺りから脇腹通って下腹部に向かってぐおーっと押されるような感覚がしてその後猛烈な尿意を覚えます。トイレに行ったら10分は出れません。

このが2,3日続きました。排便は大きい方も出ておらず、ずっと下剤を使用してました。便秘で中々出ずにトイレで毎朝20~30分位籠りました。

 

気張りすぎると心臓にも負担がかかるためにこの排便は大きい方も小さい方も本当に大変でした。毎日、全身汗だくでトイレに籠り、出てきたときには貧血で倒れそうになったこともありました。

 

同時期に年配の患者さんが無理に排便しようとして腸がねじれ、急性腸炎となりICUに運ばれたようでした。この時は、緊急に家族も病院に呼び出されて大変な重篤な状態だったようです。この光景を目の当たりにした私はその後も、この排便には細心注意を怠りません。それは、現在に至っても続いております。

 

抗がん剤投与後、1週間後辺りには口内炎や舌の炎症、抜け毛なども顕著となってきました。舌の炎症は酷くて、酸味があるもの熱いものは特に染みます。なので、医師に特別なうがい薬を処方してもらいました。

 

その時の炎症を起こした私の舌です。気持ち悪いので、もし見たい方は注意して見てください。

(閲覧注意)↓ 

https://goo.gl/jVuw6P

 

副作用が酷くなれば当然それに比例して、やる気、病気に対する不快感、生きる気力がなくなります。

 

私もそうでした。この前の一時退院で得た勇気も充実感も希望もこの時にはもう無くなっていてガス欠状態でした。

 

ふらつく体、痺れる指先、何をしても沁みる口の中、そしてまともに力が入らなくなった体。このまま、生きていけるのか、治療は上手くいっているのか、抗がん剤治療なんて間違った治療法じゃないのか、この時には、『悪性リンパ腫』の治療法や余命、再発率なども調べていました。

 

その情報が弱った体と心の私をさらに追い詰めていくのでした。家族に話しても、

 

『そんなの見るからよ。不安になるだけじゃん』とか

『きついのは分かるけどもっと辛い人が居るのよ頑張んないと』などと言われました。

 

こんなことを言われれば、大丈夫?と訊かれれば大丈夫としか言いようがありません。

 

大丈夫じゃないと言えば、どこが?何が?と言われます。この時の私には、それに答える気力も余裕もありませんでした。

 

私の気持ちを何で汲んでくれないの?

 

話を聞いてくれるだけでいいのに。

 

頑張ってじゃなくて、そうね辛いね。

 

そう言ってくれるだけで落ち着くのに、、、。

 

私を支えてくれている大切な存在。それは分かっています。でも、その大切な存在の家族との気持ちのズレ。このズレも副作用同様大きくなって行きました。

 

『しばらく、俺もきついからお見舞い来なくていいよ。』

 

ある日、私が下した決断です。家族との面会が苦痛でした。

 

そしてこの日から大きくなる副作用でさらに孤独になり不安で眠れなくなります。あれほど、毛嫌いしていた睡眠導入剤の服用も考えました。でも、寝れなくて体調悪くなって死ぬんならそれもありかな。とまで考えるようになっていたのです。

 

ただただ、孤独でした。

 

ほんの2週間前にはこれで闘える。頑張ろうとあれほど思ったのに。

 

本当に情けない。自己嫌悪でますます孤独になります。

 

そんな時にスマホにメールが来ました。もう25年来の友人からでした。

 

(おう!久しぶり。元気か久しぶりにバスケでもやろうかと思って〇〇中学校の体育館で今度の火曜の19:00~ね。一緒にやろう。)

 

こんな状態の私にバスケやろうという誘いなんて馬鹿げてますよね。でも、私は家族と会社以外には病気の事も入院生活の事もこの時は内緒にしていたのです。

 

バスケか・・・。

 

学生の時はいわゆる『庶民シュート』も上手く出来ずに授業をさぼっていた私。正確に言うと授業に参加はしていましたがバスケには参加してませんでした。そんなバスケ嫌いの私が仕事で初めての海外赴任で日本語に飢えてしまい、たまたま買った漫画

『スラムダンク』にはまり、バスケを愛する男となったのです。

 

あれから、20年。今でも好きです。子供が出来ても一緒に行き。パパ頑張れーとか試合を観ていた子供がみんなの中でパパが一番上手かったと言ってくれたバスケットボール。

 

慣れない海外での一人での生活。見知らぬ街の名前も知らない公園のバスケットコートで早朝からダムダムとボールを見ないで腰を落としてドリブル練習から始めた私。

 

次第にシュート練習を始め、シュートが決まるようになると達成感を覚え、練習時間は早朝、仕事の昼休み、夜と増えていきました。さすがに夜中は近所の住民に分からない言葉で怒られましたが(-_-;)

 

小学校の時に出来なかった逆上がりを努力で出来るようになった私。嫌いだったバスケも好きになり、出来るようになっていきます。

 

そんな時に知り合ったある友人。いつも公園でひとりシュート練習をしていた私に

 

『Would you play Basketball .』

 

なんか、そんな感じだったと思います。私はあたふたしながら『O.K!』と答えました。この後から急激に知り合いが増え、言葉も覚え、仲間も増えていきます。

 

孤独だったのに。別に仲間が欲しくて始めた訳じゃないのに日本人という事だけで興味を持ってくれて、話をしてくれ一緒にバスケを楽しんでくれる。たまには、シュートやパスを失敗するとコイツ使えねぇやと烙印を押され露骨にパスが貰えなくなったり、明らかに指を刺されながら文句言われます。

 

 『Go! home Japanese!』

 

その度にムカつき、でも冷静に。その相手をドリブルで抜き去り、シュートを決めました。

 

その相手の目を見てコートを指さし『I'm here!』

 

小学校3年生から中学校3年間いじめられてた私。

自分の意見も言わずに、ただただ時が過ぎ去るのを待ってた私はもういませんでした。高校に行ってからは自信もつき人生も楽しくなってた私。やられたらやり返す! 1.5倍返しくらいで(笑)

 

大人になった私に色んな自信と可能性を教えてくれたバスケ。

 

子供の頃の自転車の練習。逆上がりの練習。

 

それ以上の自信と努力の大切さを教えてくれたバスケの誘い。

 

私はこのぶっきらぼうなメールをくれた友人に感謝して返信したのです。

 

『ごめん。今、入院していてバスケなんて出来ない。』

 

その後、すぐに電話が鳴りました。その友人からでした。

 

『なんで?!どこが悪いんだ?!』慌てた口調に申し訳なく思い、病状の事や今までの経緯を説明しました。その友人は涙声で『出来ることがあったら何でも言ってくれ。辛いと思うけど。』『わかった。』私はそう答え、明日、会う約束をしました。

 

もし、この時のメールが病気大丈夫か?!って内容だったら、私は会っていないでしょう。大丈夫じゃないし、心配させたくないから。でも、いつも通りのぶっきらぼうなメールでした。いつも通りのアイツからのいつも通りのメール。

 

普通に接してくれて、普通に話してくれる。そんな友人に感謝しました。

 

副作用の症状はありましたが心の中に何か温かいものが灯ったのも事実です。

私は久しぶりに締め切ったカーテンを開け外を観ました。

眩しい光、少しだけ生きている心地がしました。

頑張ってみるか、、、。そう、呟きました。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その④

R-EPOCH療法での治療が開始された。私の体の中に抗がん剤が流れ出す。

『悪性リンパ腫』と闘う私。私の悪性な細胞と闘う抗がん剤。抗がん剤の副作用と闘う私。奇妙な食物連鎖の中で私が感じ私が考えたこととは。

 

抗がん剤治療2クール目R-EPOCH療法1回目第1週目

 

今回のブログはシリーズものです。まだ読んでない方はこちら↓

 

抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

いよいよ私の体にR-EPOCH療法で使われる抗がん剤が投与されました。治療法の途中変更など考えもしなかったけど色々調べていくうちに結構普通の事だという事を後になって知りました。

R-CHOP療法というものはボクシングで言うところのジャブというパンチで、そのジャブによって相手との距離を測り、もっと強いストレートパンチが届く距離感を測る。

また、ジャブを出し続けることによって相手もパンチを出しづらくなる。

 

R-CHOP療法も私の体の中の悪性細胞の大きさ、数、進行のスピードを測るために用いられ、最も効果的であろうR-EPOCH療法の出番がやってきたというようなことなのかもしれません。

 

私のR-EPOCH療法は下の票のスケジュールで行われます。

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1日目 11時位にリツキサンが投与が開始されました。夕方17時過ぎに投与は終わりました。投与されている間は特にこれといった副作用は現れませんでした。投与30分前に飲んだ吐き気止めが効いてくれたからなのかもしれません。

 

しかし、投与後1時間位たった夕食後に急に胃のあたりに痛みを感じました。キリキリと痛み、その痛みはお腹全体に広がるように鈍く痛み続けました。結局、晩御飯も食べれず、お見舞いに来てくれた子供とも会う事が出来きなく悲しい思いをしました。

 

胃のあたりの痛み。胸の息苦しさ。喉の渇きと軽い頭痛がこの日はずっと続きました。夜中も医師や看護師にどういう症状ですかと何度も訊かれたが初めての痛みの感覚なのでうまく表現が出来ませんでした。同じような病気で同じような症状が初めて出た人もこのような経験をするのではないでしょうか。

 

初めての痛みの症状、経験はうまく言葉で表現できない。

 

何度も説明するのが面倒になって来て、途中でもういいです。だいぶん痛みはひきました。と言ってしまったぐらいです。胃のあたりの痛みは日が明けても引かず。食事もあまり摂ることが出来ませんでした。

 

投与3日目

 

この日は朝から血液検査の採血があり、その検査結果を担当医が伝えに来てくれました。

腫瘍の崩壊もまずまずで、白血球などにも今のところは異常なし。という事でした。

この報告で何が良いのか何がいけないのか分かりませんでしたが少しだけ安心した気がしました。

他に腎臓には今のところ問題はないが、肝臓にはこの時飲んでいた心臓の薬が合わないのかダメージが出ているとのことでした。これは、薬の変更によって対処するという事でした。

 

症状を緩和するために飲んだ薬が他の内臓にダメージを与える。

 

この時つくづく人間の体はよくできているなと思いました。自動車や電化製品の製造ラインの様に一つのラインの流れが悪くなったら、他のラインにも影響が出たり、流れが悪かったラインが良くなったらそのしわ寄せが他のラインに出たり。

 

心臓が良くなったら、肝臓が悪くなる。

 

悪性腫瘍がもし、良くなったらどこか悪くなるのだろうか。

 

こんなことを考えながら投与の一週間が過ぎていきました。

 

ここまでの副作用は、主に手の指先の痺れ、胃のあたりの痛み、心臓のキューという痛み、胸の息苦しさ、便秘、不眠、食欲不振、ふらつき、頭痛。

 

色素沈着も毛髪の抜け毛もこの時はまだありませんでした。

 

この副作用のほとんどはこの後もお付き合いしていくこととなります。

 

2クール目が終わりを迎えようとするときに私は妻と子供に手紙を書きました。

一時帰宅が出来たとは言えもう2か月家を空けています。感謝と今の自分の気持ちを伝えたかったからです。この時に書いた手紙を一部抜粋して紹介します。

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子供へあてた手紙

 

〇〇へ

 

パパお家に居なくてごめんね。寂しい思いをさせてごめんね。でもパパは、一日も早く

ママと〇〇とまた3人で一緒にお話をしたり、ご飯食べたり、お風呂入ったりするために頑張ってるよ。

ママもパパ居なくて大変なのにお仕事して、〇〇のご飯作って、パパの洗濯物とかもしてくれてる。だから、パパからのお願い。パパもママも頑張ってるから〇〇も頑張って欲しいんだ。

ママ、今家の事一人で大変だから〇〇にママの手伝いを頑張って欲しいんだ。

出来るよね。約束だよ。

家族3人頑張れば、パパの病気も早く良くなるかもしれないから一緒に頑張ろう。

今度、パパがお家に帰れる時には〇〇が好きなアップルパイでも焼こうかな。

 

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妻へあてた手紙

 

ママへ

 

 突然こんなことになって本当に申し訳ないって思ってる。今まで散々、辛い寂しい思いさせたのにね。この先、どうなるか分からない。治療が上手くいけばいいけど、もしもの場合もあると思う。

こんなことは話たくもないし聞きたくもないと思うけど今のうちに言っておきたいことがあるから手紙にしました。

 

もし、俺が死んだら。〇〇の事をお願いします。無責任かもしれないけど〇〇を精一杯の愛情をもって育ててください。あなたは立派な母親です。だから、俺が言うのもなんだけど自信をもって育ててください。

 

最後に

 

僕と知り合ってくれて、ありがとう

僕と友達になってくれて、ありがとう

僕とつきあってくれて、ありがとう

僕と結婚してくれて、ありがとう

〇〇を生んでくれて、ありがとう

僕をパパにしてくれて、ありがとう

僕と別れないでくれて、ありがとう

今まで、ありがとう

これからもずっと一緒に居たいです。

 

     -----------------------

 

今はこの手紙の行方も読んだのかどうかも分かりませんがこの時の気持ちは今も変わってません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

病気・副作用以外との闘い

『悪性リンパ腫』のキャリアとなってしまった今。闘う相手は、病気や抗がん剤の副作用以外にもあると感じた。キャリアじゃないと分からない事。

 

 

誰でも、そうかもしれないけど、こればっかりはなってみないと分からない?!

 

 

 現在の私。『悪性リンパ腫』と告知されて約半年。病状はともかく、治療は進んでいると思います。

 

でも、ここにきて面倒な問題が色々出てきてしまいました。告知されてから、ある程度の覚悟はしていたのですが、ここまでとは思いませんでした。覚悟が足りなかったというよりは....。

 

『悪性リンパ腫』になってからというもの、直接的な痛み、合併症の痛みや苦しさ、体力の衰え、孤独感、疎外感、副作用など色々なものと闘う日々が続いています。でも、これは私個人の問題で何とか頑張れています。

 

だけどここにきて問題が出てきたのです。

 

問題というのは、人の目。

 

つまり、世間体や風評、近所の目です。『悪性リンパ腫』になるまでは気づかなかったかもしれません。いやもしかしたら、気づかないふりをしていたのかもしれません。でも、自分がなってみると人の目が気になります。気にしないと言えば噓になります。

 

私の髪の毛は残念ながら今はもう殆どありません。抗がん剤の副作用です。肌の色も爪の色も色素沈着という副作用により薄ピンクというよりは変に赤く、時には赤紫って感じになります。

鼻毛もなく、まつげもない。眉毛はまだありますがこの先、どうなるか分かりません。体重も発症前より10kg近く痩せています。見た目ではそう、別人なのです。

 

風呂場の鏡で見る姿。電源入れる前のPCの液晶に映る自分の顔にハッとします。

知ってる自分じゃない。こんなの自分じゃない。そんな思いが毎回錯綜します。

 

悲しい事です。

 

以前の自分の姿に戻りたいのに。医師や看護師が言う、抗がん剤の治療が終われば戻れますよ。という言葉には何の説得力も感じません。

 

40代の中年の私でもこういう思いなのですから女性にとってはもっと辛いはずだと思います。自分で傷をつけたならまだ諦めもつくかもしれませんが、病気になったから。運が悪かったから。はぁー。溜息しか出ません。

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今いる病棟の中なら、同じ治療をしている方々が多いので気にしないのですが、病棟外に出てしまうと、まるで別世界です。病院内の検査室、売店、ATMいたるところで頭を見られます。最初は気にせずに、何のケアもせずにぶらぶらしてましたが人の目がどうしても私の頭に行ってしまうので、自分がいたたまれなくなり帽子を被ることにしました。病院の中でさえこれなので外に出たらもっと大変です。

 

今は、良いウィッグ(かつら)があるよとか、紹介してあげようかとか言われますが、今のところは、さして人前に立つこともドレスコードがあるような場所への立ち入りも予定がないので...。

 

テレビや雑誌、ネットなどで髪の毛がない方が映ってたりしても、以前は気にも留めませんでした。でも、今は、自分と一緒とか自分も髪の毛無くなっちゃったとか...どうしても、病気の事と結び付けてしまします。

お笑いの方がハゲって、いじってるのも今は不愉快に感じるかもしれません。ここまで言ったらきりがないですが....。

 

私は髪の毛が抜けることに関して、そこまで正直気にしてませんでした。まあ、さすがに、3クール目終了時から急にごっそり抜け始めたときは、お風呂の時とか枕を見て涙を浮かべることもありましたが、仕方ない。また、生えて来るさと自分に言い聞かせることが出来ました。

 

でも、周りの目ってのは言い聞かせることが出来ないんですね。分かってはいましたけど。ここまでとはね。

 

この前も、子供の友達に『〇〇ちゃんのパパは何でいつも帽子被ってるの?』って訊かれました。子供って怖いですよね。でも、子供が疑問に思ってるってことは当然大人も疑問に思ってるわけです。近所の人たちも私が一時退院で帰るたびに病状を訊いてきたり、何の病気なのって訊かれたりしてうんざりします。

 

例えばそこで、私は『悪性リンパ腫』ですって答えれば、質問はやむのでしょうか?!

私は抗がん剤治療中で髪の毛ありませんって言えば、誰か髪の毛生やしてくれるのでしょうか?!治療費を誰か出してくれるのでしょうか?!

 

答えは、NOです。

 

決まってます。関係ないですもん。他人ですもん。身内でさえ見舞いに来ない人もいますし。じゃあ、黙っててください。と言いたいです。私も決して強い人間じゃないので傷つきもしますし、傷も持ちます。悩んだり、悔しくて寝れない日だってあります。でも、頑張ってるんです。

 

今回ここに書いているのは愚痴では決してありません。

 

もう少し、変わらないかなぁって思うんです。その辺の配慮が。

 

特別にしてって話じゃないんです。同等で結構なんです。極端な話、この世の中の全員の髪の毛が無くなればいいんです。その時に、私の事気にする人なんていないでしょう。それでいいんです。ご飯食べてるときに帽子脱げとか、暑いのに帽子被ってるのとかほっといてほしいんですけどね。

 

現実問題こんな勝手な願いは叶わないのは分かっているので、そんな感じで気にしないでもらいたいって話です。

 

これは、髪の毛がない人だけの話じゃなくて、例えば何らかのハンディや障害(あんまり好きな表現ではないですが)を持ってる方の見た目やマナーで人を判断してほしくないなっていうひとつの意見です。

 

どうしても、社会的多数派(マジョリティ)の方が強い位置に居て、社会的少数派(マイノリティ)の方が弱い立場になりやすいってのは分かっちゃいるんですがね。

 

こんなこと、何十年も問題になってるだろうに一向にモラルというかそういった配慮に欠けてるって言うのは何故なんでしょう?!考えれば考えるほど堂々巡りになるし、生産性もないので今の私に出来ることとして、少なくとも、私や私の家族、私の周りの人にはこのことを一生懸けて伝えていきたいと思います。

 

今回は、いつもと違った内容ですが最近、私の周りで悲しくなることが続いたので書いてみました。抗がん剤治療中の方で同じ気持ちの方や全く別の考え方の方も、もちろんいらっしゃると思います。この文章を読んでみて、気分を害した方もいるかもしれません。でも、これが、私がこの身で感じた感想です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

同じ目標。同じ夢。

誰かと同じ目標に向かって頑張れる。こんなに素晴らしい目標ってないですよね。

 

元気になる!立派な新社会人になる!良い親になる!海賊王になってやる!そういう時に気にかけたいこと。私が子供との夢に向かって過ごした日々それが何かのヒントになったらいいな。

 

教える側と教えられる側。言い方を変えれば伝える側と伝えられる側。双方の意見や概念の違いから色んな弊害や困難も生まれます。でも、苦労したからこそ達成した時の達成感の共有。それは共にした仲間の最高の称号になるでしょう!

 

今回は子育ての中から子供とのあるエピソードを綴っていきたいと思います。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

それは何でもない金曜日の夕食時、子供の一言から始まりました。

『パパ、明日、自転車の小さいタイヤ取って。』

 

『!!!』私と妻は顔を見合わせました。

 

小さいタイヤを取って。つまり補助輪を取るという事です。今まで、私たち親が何回か補助輪取って自転車の練習をしてみようかと提案してみても全く聞く耳を持たなかった我が子。

その子がある日そんな決断をしたのです。

何で取りたくなったのか訊いてみると←(慎重に。)

 

『〇〇ちゃんの弟が保育園なのに乗れるから。』だそうです。納得です。

 

うちの子は、オセロで負けても、トランプで負けても、人生ゲームで負けても泣きます。ほぼ100%。トランプでは、よほど負けたくないのかイカサマまがいなことまでします。(苦笑)

 

そうなんです。負けず嫌いなんです。でも、自分が興味がないことは負けてもいいらしいです。同級生が自転車に乗れるのは悔しくないが、保育園児には負けてられない!ってことでしょう。この辺が親として難しいのですが(苦笑)

 

ともあれ、『自転車に乗れるようになる!』という決断をした我が子。

 

応援せずにはいられません。私も妻も嬉しそうに顔を見合わせたのを覚えてます。

この時に私たち親と子供の夢が一緒になったのです。

 

私の父は職人で朝早くから夜遅くまで働いてくれていました。週休二日どころか休日出勤も当たり前のようにある世界です。キャッチボールをした思い出も無ければ一緒に虫取りした記憶もありません。

でも、唯一と言っていいほど一緒にやってくれたことそれが自転車の練習でした。

 

小学2年生の頃、スカイライダーの自転車に乗っていた私。近所の子たちは、とっくに補助輪外して乗っていました。私は、自転車に補助輪なしで乗りたいとかではなく、補助輪を外してみたい。外す工具を使いたい。という本来とは違うきっかけで、自転車の補助輪を外しました。自分で父親の工具箱からレンチを取り出して補助輪を必死に外したことを覚えてます。

 

補助輪が外れたことに達成感を覚えたのはいいのですが、元に戻すのは面倒。しょうがないからこのまま乗るか。これが自転車の練習の始まりでした。

 

でも、実際またがってみるとフラフラして安定感もなく。上手く乗れません。乗ってはコケて、膝を何度も砂利でケガしました。もういいやってあきらめかけた時に、

 

仕事中の一服がてらに、ふら~っと父親が現れて『後ろ持ってるからこいでみろ』と言ってくれました。

父親が後ろを支えてくれているなら大丈夫だと思った私は必死にペダルを踏みました。

 

『離さないでよ。離さないでよ。絶対離さないでよ!』そう叫びながら、必死に。

 

しばらく進んで後ろを振り返ると、遠くで嬉しそうに微笑みながら煙草を吹かす父親の姿。

 

(はなしてんじゃーーーん!!)

 

私は自転車に乗れたことよりも、手を離してた父親にショックで大声で叫んで派手にコケました。慌てて父親が走ってきて、『おお!乗れた乗れた。』と言ってくれながら膝についた砂を払ってくれました。

 

父親の乗れた。乗れた。という言葉を聞いて、あっ!乗れてたと思いました。

父親が支えててくれるという安心感で必死にペダルを踏み続けれた私。まっすぐ、前だけを見て自分の出来ることを精一杯やった結果、初めて自転車に乗ることが出来たのです。

 

あれから、30うん年。私が父側にいくことになります。これが、大変でしたが(大汗)

 

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↑けが防止の為、長袖長ズボンです。

 

そして、次の日、補助輪を外しての子供の第一声

 

『なんで?!フラフラするの?!』

 

あ~我が子だなって思いました。子供ってやっぱり、補助輪外したらどうなるのか分からないんですね。大人の概念で、そりゃー外したら地面に車輪ついてないからフラフラするよーってのは通じないんです。

 

子供や未経験者に経験者が教えていくときに先ず、この概念を上手く伝えなければいけません。自転車以外にも勉強もそうですし、料理なんかもそうですね。この概念が分かってないのに

 

何で出来ないの!今言ったでしょ!

 

なんて言ってしまったら、もう言われた方はプライドも傷つくし、やる気も削げるし、緊張感も高まってしまい、かえって悪循環になってしまいます。

 

これが、一番大変なんですけどね。私がサラリーマン時代に営業の研修や教育を行ってた時も、自分に出来ることを教えるってとても大変な事だって感じました。

 

簡単に言うと、自分がやれば売れるのに。新人がやれば売れない。

 

何でだろうって、いつも思ってました。でも、ある日気づいたんです。教える時に自分のエゴや概念を押し付けてないかって。

それから、その人の性格やバックグラウンドを意識して接して行った結果ほとんどの方がいい結果を得られたんです。この時の喜びは子育ての喜びに似てますね。何よりもその方たちと色んな目標を共に達成できた時の喜びが忘れられません。

 

この事があったので子供の自転車の練習の時は、子供の意思、意見を尊重して、

この重大なプロジェクトに取り組むことになりました。(笑)

 

ここからの大事なポイント

 

①転び方を教える・・・失敗しても良いんだよ。失敗したらこれくらい痛いよ。ってのを教える。

 

②転ばない方法を教える・・・失敗しないための予防策。回避方法を教える。

 

自転車に乗ったことがない子供が自転車に乗る時に一番怖い事。それは、転んで痛い思いをすることだと思います。

 

だから、最初にしっかりと自転車の説明をします。ハンドルの握り方、ペダルの位置や踏み方、ブレーキのかけ方などです。スポークの間に手や足を入れたら危ないってのも教えました。

 

次に転び方を教えて、転びそうになった時もハンドルをしっかりもって、足をしっかりつけば大丈夫。足はしっかり着くんだからと安心させました。

こうすることで子供の方でも危機管理や危険回避が出来るので自転車で転びそうになっても大丈夫かもって気持ちになってくれるはずです。このかもが重要です。

 

次に教えたのは、ハンドルをしっかり握らせて自転車を水平に保ち、交互に足で地面を蹴り前に進む。です。両足またがった状態で右足、左足と交互に地面を蹴らせて前に進めます。これで、足がつく感覚やハンドルをしっかり握る癖、バランス感覚が身に付くと思います。ブレーキのかけ方もこの時にしっかりと教えます。

 

次の段階がいよいよペダルを踏んで前に進む。です。

 

大事なのは目線は先に、ただペダルを踏む。

 

大人も、自動車の教習とかに行けば慣れないときは目線はどうしても手前を見てしまします。子供だって同じです。

 

子供も怖がってどうしても目先を見てしまうので、大事なのはハンドルをしっかり持ち、ペダルの位置を見なくてもしっかり踏み、遠くを見てペダルを繰り返し踏み続けること。

 

これが出来たら、もう乗れたも同然なんですけどね。

 

子供が1mでも2mでも進めるようになったら、子供の前に立ちパパを見て、パパを見てと言いながら、後についてくるように誘導しました。

 

子供がある程度、乗れるようになってからは自由に広場を走らせて、転んだ時に何が悪くて転んだのか二人で話しました。ここで、私が嬉しかった子供の一言が

 

『ハンドルを急に曲げたからこけた。』です。

 

しっかりと子供が何で失敗したのか理解してくれていて、それを自分の口で説明できた瞬間。嬉しかったですね。

 

そんなこんなで数日一緒に練習を繰り返し、なんとか自転車に乗れるようになった我が子。

その日は休みという事もあり、私は子供に課題を課しました。

 

『パパが言ったコースを足がつかないように乗れたら合格。合格したら、ステーキ食べに行こう。』

 

走行とは別にハンドルの持ち方、目線、ブレーキのかけ方など、自動車の教習所と一緒です。子供の安全の為にもしっかりと確認します。

 

子供は静かに頷き。黙々と練習を繰り返し、夕方、暗くなってついに私の課題を合格しました。

 

二人で『やったー!』っとハイタッチをし喜び合いました。この時の達成感は子供も覚えていてくれてるようで今でもあの時頑張ったから今度も大丈夫だよって言ってます。

 

薄暗い中、家に帰ると

 

『ママー自転車乗れるようになったよー!』と子供が嬉しそうに玄関先から歓喜を上げます。

 

頑張ったなぁ~。私も子供も。そう思いながら、家の中に入りました。

 

『じゃあ、行こうか!』子供が元気に言います。

 

『何処に?!』『約束したでしょ!ステーキ!』私は嬉しさのあまりに忘れていましたが子供にとってはこっちも大きな目標だったのですね(笑)

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↑約束通り食べに行きました。自転車の疲れと満腹感で睡魔とたたかう我が子。

 

この日の事は本当に私の人生の中でもたくさんの事を学ばせていただいたと思います。父親として、あとどれくらいこの子に伝えられるか楽しみです。

 

最後に一言・・・一番大事なことは、教えてもらう側の姿勢と教える側の我慢。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある病人の歌

『悪性リンパ腫』告知されてから何日も動き出すことが出来なかった。上を向くことも、前を見ることもすべてあの日に消えたと思った。私に残されたものは何か。

そう考える日々。ふと、机の上に置いてあったペンとノート。

小学生の時に担任の先生に褒められた作詞。

思わず、ペンを手に取りノートに書きだした。

 

幼き私に勇気と自信をくれた。褒められたという事。あの時の喜びや感動が今の私に勇気をくれたのかもしれません。絵や写真や鉄棒や泳ぎ。あの時に褒められたことが勇気をくれるかもしれません。

 ペンで書かれる文字が少しずつ私に力をくれた。白い紙が文字で満たされる事に喜びをおぼえた。

 

とある病人の歌。

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『頑張ることは簡単なんだ。あきらめたり、飲み込んだりするのが辛いんだ。』

 

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『子供の頃、お父さんが死んだらどうしよう?お母さんが死んだらどうしよう?

そんな事を考えて悲しくなった。でもそこに現実味はなく、そんな馬鹿なって打ち消せた。うちの子はどうだろう。僕はもうここに2か月もいる。十分すぎるだろう。そう思うと涙が出る。申し訳ない。ごめんね。』

 

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『昔は泣けない日々があった。今は泣かない日はない。』

 

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『スマホの写真を見る。写真に写る自分が羨ましい。ぶっきらぼうに写ってる。笑顔でもない写真。今の自分とは違う健康な自分。そんな自分に戻りたい。』

 

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『僕の体を血が流れる。醜く、汚く、この命を脅かす血が。両親から授かった清らかで美しかった血を私が汚した。浄化するのは、薬か希望か。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『目覚ましもならず、携帯電話もならず、メールも来ない。日に三度の飯を食らい。暗くなれば電気をつけ、明るくなったらカーテンを開ける。起きたくなくても目は覚め。眠たくなくても目を閉じる。暖かいのか寒いのかもわからず今日が何曜日かも知らない。生きてる実感がないんだろうな。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『雨が降っている。心地いい。泣いても良いんだよ。雨粒が言ってくれている。泣きたい時はみんな泣いていいんだ。雨粒が言ってくれている。雨の中なら素直に泣けるかな。』

 

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『病室のベッドの上で誕生日を迎えた。祝福の言葉もなく、プレゼントもご馳走もケーキもない。嗚呼、そうなんだ誕生日って生まれたこと、生きてることに感謝する日なんだ。お父さん、お母さん、ありがとう。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『妻を愛してる。子供を愛してる。家族で過ごす。家族で食べるご飯。家族で入るお風呂。ごく普通の特別な日常。妻が愛おしい。子供が愛おしい。家族で過ごす場所。特別な場所。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『パパだって泣くんだよ。パパだって声を出して泣くんだよ。泣くのは恥ずかしいことじゃないんだ。ママに怒られて泣くよね。パパと自転車の練習をしてて乗れなくて悔しくて泣いたよね。悔しいんパパも。自分が可哀想だから泣くんじゃない。くやしいんだパパは。だから泣くんだ。泣いたら頑張れる。涙がパパを強くしてくれる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『僕はここにいるよ。病気だけどね。僕はここにいる。一円も稼げないけどね。ごめんね。君の役に立てなくて。家族のために出来なくて。でも、ここにいるんだ。病院のベッドの上だけど。ここにいるんだ。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『知るという事は喜びが増える事。知るという事は悲しみが増える事。知らないことは成すすべなく受け入れざるを得ないという事。知るという事は立ち向かえる事。知らないまま怯えるのか。勇気をもって立ち向かえるのか。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『人殺しのナイフが悪いんじゃない。人が悪いんだ。腹が減って物を盗む子供が悪いんじゃない。環境が悪いんだ。公害に侵された魚を食べて病気になったって魚が悪いんじゃない。人が悪いんだ。僕はガンになったよ。僕が悪いの?』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『喜びなんて何もないよ。辛いことばっかりじゃん。楽しいことなんて何もないよ。いつもベットの上だし。テレビ見ててもバカバカしいし。笑う事なんてないもん。痛い事ばかり、辛い事ばっかりじゃん。我慢して我慢して泣いたっていいよね。怒ったっていいよね。それくらいいいよね。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『目が覚める。夢じゃなかった。病室のベッドだ。僕は病気だ。ため息が出る。一日の始まり。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『痛いという事は生きてる証。暑いだって寒いだってそう証。毎日毎日痛いよ。毎日毎日苦しいよ。生きてるからね。死んだら痛みもなくなるのかな。生きたいから耐えれるの?繰り返し繰り返しの日々。自問自答。不安と苦痛は増すばかり。でも生きよう。だから耐えよう。みんなが待ってるから。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『細胞が生まれたよ。分裂を繰り返し、また生まれた。真新しい細胞。無垢な細胞。でも、、、望んでないんだ。この誕生。嬉しくないんだこの生命。悪性腫瘍。生まれながらの憎まれ役。憎まれっ子にはばかる。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『近かったものが遠くなっていく。感じられたぬくもりが、傍に合った愛情が、傍にあった夢が。親しければ親しいほどに、愛していれば愛おしいほどに遠くなっていうような気がする。距離の問題?時間の問題?僕はここにいるよ。しばらくここにいる。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

『疲れたんだきっと。僕は疲れたんだ。人間として生きることに。頑張ったよね。頑張ったよ。誰も知らなくても、自分は分かってる。だからさ、神様がさ、ちょっと休もうかって病気にしたんだ。そういえば、つかれたなぁ。』

 

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『君をこの手に抱いたとき、パパは泣いたんだ。それを見てママも泣いた。パパのママが死んだときパパは泣いたよね。それを見て君が泣いてママも泣いた。君が喜ぶ時も、君が悲しむ時もパパは傍にいたいんだ。生きてても、死んでても。ずっとそばにいるよ。』

 

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こんな詩をつらずらーっと書いてて時は過ぎ、私の中でも少しづつ変化が芽生えました。本当に少しづつですが。私は結婚しており、子供も居ます。『悪性リンパ腫』と告知された時に、独り身だったら良かったなとか、おじいちゃんだったら良かったなと思いました。独り身だったら、自分が居なくなっても良いやって思いましたし、おじいちゃんだったら諦めもつくかなって思いました。今思えば、自分勝手な考えで、もし、その状況の方が居れば大変失礼な思いでした。

 

同じ入院患者の男性と初めて喋った時に独身で一人暮らしで年も私よりはまだまだ若い。話をしているうちに、いたたまれなくなりました。私より若く、結婚も子供も居ないのにこんな病気になってって。ご年配の方と話したときにも、まだまだやりたいことがあるとか、その患者様の奥様が一人残されるのは辛いとおっしゃる姿を見て、なんて自分は浅はかで自分勝手な考えをしていたんだろうと恥ずかしくなりました。

 

みんな頑張ってる。病気の人もその家族も。自分も健康な時だって頑張ってたじゃんて。

 

『悪性リンパ腫』やガンって何時なるか分からないんですよね。大けがだって、精神的な疾患だって、事故やトラブル。傍から見たらあの人のあれは、まだましよって思うかもしれませんが、本人にとっては重大な問題なんですよね。

 

お財布落としたとか、猫が逃げたとか、好きな人に振られたとか。問題も悲しいことも人それぞれ。

 

人間状況も環境も違う。これは大前提で、そんなの関係なく、大きな問題が出てきてしまう。みんな、大変なんだな。みんな、頑張ってるんだな。自分だけが、辛い、悲しい、孤独って思ってちゃダメなんじゃないか?!そんなことの積み重ねで少しづつ勇気が芽生えました。

 

いまでも、子供の頃にいじめられてた時の夢を見て泣いて目が覚めることがあります。もう、とっくに40歳過ぎてるのに。

 

でも、それだけ壮絶だったんでしょうね。小学校3年生から中学3年生まで。毎日毎日飽きもせず。いじめる方もそうだけど、いじめられる方もそうですよね。ずっと孤独で、誰にも助けてとは言えませんでした。休み時間も誰とも遊ばず、校舎を只々歩いてました。そんな少年時代。

 

今でも夢を見る。今更どうしようもないのに。多分、私は未だに心から悔しいんだと思います。あの時何もできなかった自分に。あの時、少しの勇気が持てなかった自分に。

 

今更、どうしようもないことですが、失敗したりもっと痛い目にあってでも勇気を出して、何かやれてたらって。結果論ですが。

 

そんな朝は思うんです今度あんな目に合ったら、いじめてたやつらを絶対ぶんなぐってやるって。

 

こんな病気になって、いまさら、後悔はしたくないんで、やりたいことはやって、言いたいことは言えればいいなぁって思います。あの頃の自分は勇気がなくてその場所から抜け出せなかったけれど、今の自分はあの頃よりは勇気がありそうです(笑)

 

いつかはそんな夢見なくなるでしょう。そして、あの時頑張ってよかった思う日が来るでしょう。きっとそう思います。

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↑大好きな阿蘇の雲海を眼下に子供と走り回りたいなぁ

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

※文中の無断転載・無断転用を禁じさせていただきます。

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③

 R-EPOCH療法がいよいよ始まります。R-CHOP療法と何が違うのか?!

この身を持って体験していくことになりますが、不安と期待は尽きません。

期待が膨らめば、不安の方の方も大きくなり、その葛藤たるや・・・。こんな感じの心のモヤモヤな感じで数日過ごしていくことになります。

 

いよいよ投薬開始。

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

首の痛みと違和感を抱えたまま、朝を迎えました。朝食の箸もなかなか進みません。

はぁーっと何回溜息を吐いたか分かりません。

時計の針が9時30分になる頃に薬剤師が今回の抗がん剤の薬品の説明に来てくれました。各薬品の効果や副作用をまとめた紙を渡してくれます。

一通り説明を聞き、薬剤師に訊きます。

『あの、副作用ってきついですか?!』薬剤師は、少し間をおいて『人それぞれですね。』予想通りの答えでした。可でも不可でもない。言い方変えれば、何の解決にもならない答えでした。薬剤師が病室を出て行った後に、はぁーとまた、ため息をつきました。

 

薬剤師にもらった治療のスケジュールに目を通します。大きく変わったところはありませんでしたが、確かに薬の種類とが増えています。

 

1.治療のスケジュール

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2.予想される症状と注意点

尿が赤くなる

ドキソルビシン投与後、尿の色が赤くなる。→お薬の色なので心配いりません。

但し、尿が出にくい、排泄時に痛みがある場合は、エンドキサンによる膀胱炎の可能性がありますのですぐにお知らせください。

 

便秘

主にオンコビンの影響です。下剤の使用は排便の調子に合わせてご使用してください。

 

手足の痺れ・味覚の変化

オンコビン投与により、手や足の指がしびれたり、違和感を感じることがあります。

 

寝つきが悪くなる

プレドニン(ステロイド)を投与した日は寝つきが悪くなることがあります。

 

骨髄抑制

抗がん剤投与後、徐々に白血球、赤血球、血小板などの主な血液の成分の数が少なくなってきます。

 

白血球が少なくなると・・・熱が出たり、感染しやすくなります。マスクをする、手洗い、うがいをこまめにして感染予防に努めましょう。

 

赤血球が少なくなると・・・貧血の症状(全身の倦怠感、めまい、息切れ)が現れます。

 

血小板が少なくなると・・・出血しやすくなります。

 

脱毛

抗がん剤投薬後、しばらくすると毛が抜け始めます。すべての治療が終了し、2~3か月するとまた、生えてきます。(個人差あり)

 

今でこそ、治療の流れも、副作用も体験したので分かっているのですが、この時はまだまだ、悪性リンパ腫という病気の知識、治療法、副作用など全てにおいて知識不足であまり、ピンと来ていませんでしたが、今思えば、ここに書いてあるものでほぼ、納得って感じです。

 

この手渡された紙に目を通ししばらくすると、看護師がこの日投薬するリツキサンの副作用であるアレルギー反応を抑制する予防薬のエピナスチン錠と鎮痛剤のブルフェン錠を持ってきてくれました。私はこれを飲みながら、(いよいよか・・・。)と思いました。

 

服用後、30分ほどでいよいよリツキサンから始まる長い抗がん剤との闘いが始まります。

 

抗がん剤の副作用や薬に対する反応を見るために投薬の速度は、1時間おきに増減します。私の場合は、最初の1時間25ml・2時間目50ml・3時間目100ml・4時間目以降200mlと増えていきました。

 

抗がん剤全体の投薬レベルもLV1~LV5とかに分かれており、日本の治療データの元となるのは欧米人でのデータとなるので、治療が進むにつれて抗がん剤の量の投与レベルも上がって行きます。この時の私の投与レベルはLV1でした。

 

風邪などでブドウ糖等などを点滴する場合は、せいぜい1時間程度だと思いますが、私の『悪性リンパ腫』の場合は、24時間×6日間です。これが、かなりきついんです。

 

常に心臓の近くの静脈に、薬品が流れ続けるために息が苦しく、心臓に若干の痛みも出ます。それに、体内に2000ml以上の水分が入ってくるために、昼夜関係なくトイレに行きたくなります。眠いからきついからと言ってトイレを我慢すると、膀胱炎や死滅した悪性腫瘍が腎臓や肝臓にダメージを与える腫瘍崩壊症候群という怖い副作用になる羽目になります。

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↑このお供とずっと一緒です。薬が無くなればピーピー鳴くし、バッテリー切れればピーピー鳴くし。半年近く一緒にいますがいつか愛着湧くものですかねぇ?

病室では、この子が私の他にも3台(他の患者さんの)夜中は、ピーピー大合唱です。

 

 

抗がん剤治療というものは、がんや『悪性リンパ腫』などの病状との闘いのほかに以前書きました、快便、快眠、快食すべてが快くなくなる闘いです。

 

本当に健康な体に戻りたい。

 

今の願いは、これだけです。好きな時に好きなだけ寝て。好きなものを好きなだけ飲んで食べて。出したくなったら、出す。

 

↑これが本当の幸せです。

 

まあ、病気になったものは、しゃーないので頑張っていきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その②

いよいよこの日から、R-EPOCH療法によって『悪性リンパ腫』の治療が始まる。

R-CHOPではダメなのか?!薬の種類と量が増えていけば副作用も大きくなるのでは?!などの不安を持ちつつ新しい闘いの夜が明けた。

 

折角、我が家で補充したはずのやる気、元気、勇気の泉も新しく始める治療法の告知によって早くも枯れかかる。大丈夫なのだろうか私の体・・・。

 

 その日の朝は前の日から不安で中々寝れずに寝たのか起きてるのか分からないぼーーっとしている朝だった。

 

『おはようございます。今日の15時位にカテーテルを通して、抗がん剤の治療は明日からになります。』私の担当医は颯爽と現れ、そう告げると颯爽と去っていった。

『分かりました。お願いします。』そういうのが精一杯だった。

 

15時に入れるカテーテル。私の場合は『静脈穿刺法』という方法で装着する。

 

これが痛い。何が痛いって麻酔が痛い。私は医師曰く麻酔が効きにくい体質らしく、何本も打たないといけないらしい。歯医者に行った時も、『これ以上打つと危ない』と言われるほど効かないらしい。だから、最後はすごく痛い場所をすごく痛い思いで我慢を強いられることになる。

 

 CVカテーテルの詳しい説明はこちら↓

中心静脈カテーテル|化学療法サポート

 

このCVカテーテルを付ける時もこの我慢を強いられる。前回も、そうだった。

『悪性リンパ腫』の治療の抗がん剤投与。治療終了まで6~8クール行うらしい。

という事は、この痛い思いを今回込みであと、最低5回。泣きそうになった。

 

あっと、言う間に15時になり、担当医が『準備できましたので、トイレを済ませて来てください。』と言いに来た。私は、処刑台に上る様な気持ちでトイレを済ませて処置室に向かった。

 

処置台の上に仰向けで寝る。病室のベッドとは違い硬く冷たいベッドだ。視界にはよくテレビドラマとかで観る無影灯が見えるので緊張感が増す。

 

『では、首を左に思いっきり向けてください。』担当医のこの言葉で処置が始まる。

私は、首を思いっきり左に向けて身構える。

『では、エコーで観るためのゼリー付けるのでヒヤッとしますよ。』

『はい。』

こんなやり取りで緊張感はどんどん高まっていく。

 

担当医は、エコーを使って私の静脈の位置を確認している。私が今から行う『静脈穿刺法』でCVカテーテルを装着するという処置は首の付け根から針を刺し、その穴からガイドのワイヤーを心臓の近くの静脈まで通し、そのワイヤーにカテーテルを通すという処置です。

 

抗がん剤を投与する方法は、この他にも胸に『CVポート』という装具を付ける方法や、足の付け根や腕の静脈から投与する方法などがある。

CVポートについてはこちらのリンクがわかりやすかったので一応貼っておきます。↓

あなたの血管はガマンしすぎていませんか?【4】|化学療法サポート

 

それぞれの方法には、長所と短所がある。CVポートは外科手術が必要になるが、一旦治療終了まで基本的には外さないので、装着してしまえばクール開始前に痛みを伴う事もない。

 

足の付け根や腕からの投与は私の様に約一週間連続投与する患者には、もし、針が何かの拍子でズレたりして抗がん剤が人体に漏れ出た場合は重篤な事故になってしまうので不向きのようです。実際、CVポート、CVカテーテル共に装着できない患者さんは毎回、この血管外漏出に苦労されています。

 

血管が細かったり、脆かったりで患者も、看護師も大変そうです。何で失敗するのか、何でしっかり刺せないのか原因がわからない患者も多く看護師に文句言ったりされてたりするのを見ると両者の気持ちも分かるためにいたたまれなくなります。

 

話を戻します。

処置台の上でマジックで針を刺す場所などをマーキングされて、緑の紙が私の上半身に多い被らされました。いよいよ始まります。紙で視界を遮られ、自分の吐いた息も自分に帰ってくる。処置に対する緊張と閉所恐怖症ぎみの私はもうこの時で手の平をビシャビシャにしていました。

 

『では、麻酔を打っていくのでチクッとしますよ。』静かにゴングが鳴らされる。

 

『はい。』私は、静かに言った。(母さん、俺を守って)いつもの様に天の母に祈る。

 

私の全神経が針を刺されるであろう右の首に集中する。

 

『行きまーす。』ジクッ!!!ズゥウウゥうううー!!!針を刺す痛みの後に麻酔液を注入するときの強烈な痛みが首筋から全身に広がる。

 

私は拳を握り締め、足の指をぐっと折り畳み全身で痛みに耐えます。力を入れれば首の筋肉も硬くなり麻酔薬が入っていきづらい状態のなるのは分かりますが、力はどうしても入ってしまいます。 

『んぐぐぐぐーーーー!hh8えy9y』私は、声にならないほどの低い悲鳴を上げる。

とても子供には見せれないかっこ悪いパパの姿だ。一気に全身に汗が噴き出します。

 

『ここ痛いですか?』『痛いです。』『では、麻酔打ちますね。』私悲鳴を上げる。

 

これを終了までに5,6回繰り返すことになります。

 

麻酔が効き、針が静脈の血管に入るとその血液の流れによって心臓近くまで入りやすい状態になるようです。担当医の話によると、まれに首から腕の方に行ってしまったりするようですが(怖い怖い(ToT))

心臓近くの静脈までガイドワイヤーが通ったら今度はそこにカテーテルを通していきます。このときに刺した針よりカテーテルの方が大きさが大きいので開けた穴を器具を使って広げられます。麻酔が効いてると痛みは感じないのですが医師の力がぐぐぐぐっと伝わってくるので怖いです。

 

心臓の近くにカテーテルが入ってくると心臓がピクッピクッとなり、すごい違和感があります。カテーテルが通ると、最後にカテーテルが外れたり、ズレたりしないように固定します。どうやって固定するかというと。カテーテルに糸を括り付け、それを皮膚に縫い付けるんです。痛いよ。本当に。これも。

 

そんなこんなで、CVカテーテルの装着が無事に終了しました。私は、全身汗でびっしょりです。体を何度も痛みで硬直させたためにぐったりしています。

 

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この直後、しっかりとカテーテルが心臓の近くまで通ってるかをレントゲンで確認をし、投薬前の準備が完了します。

 

入院してからここまで2日間。1日目は検査で腫瘍の場所、状態を調べ。2日目にその腫瘍を壊すための準備を行い。3日目から抗がん剤の投与が始まり、その悪性腫瘍を攻撃していくことになります。

 

治療法も、薬の量も種類も変わり始まる抗がん剤治療。不安と期待は募ります。この方法で治って欲しい。治ってくれよ。無くなれよ俺の悪性腫瘍。出来るだけ、副作用はなくね。この日は、首の痛みと違和感の為にあまり首を動かすことも出来ずに鎮痛剤のロキソプロフェンを服用し、早めに寝ます。

 

果たしてこの願いは通じるのでしょうか?!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。