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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

抗がん剤治療 2クール目 その⑦

先日会いに来てくれた友人の働きかけで続々と私の携帯には友人からの便りが来た。別にこの病気の事も何も隠すことなど無い。

 

『みんなにこの事言っても良いか?!』と訊いて来たとき私は快く承諾した。

 

今回のブログはシリーズものです。まだ読んでない方はこちら↓

 

抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

久しぶりの笑顔。抗がん剤治療 2クール目 その⑥ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

   みんな口々に言った。なんでもっと早くに知らせなかったんだ。私も逆の立場ならば、きっとそう言うだろう。彼との再会がなかったらこんなやり取りさえわずらわしかっただろう。でも、彼が救ってくれた。私を死の淵というか絶望の沼から連れ出してくれた。決して、手は差し伸べず、俺はここにいるからお前の足で来いと力強く、待っててくれたような気がする。そして最後に手の届く範囲で私の手をこの掌を握ってくれた。

 

ありがとう。今でも思う。その後に高校時代からの友人やバスケ仲間がお見舞いに来てくれた。先の友人と同じようにみんな屈託のない笑顔にいつもと変わらない話が出来た。ここに戻りたい。みんなと同じように以前の私の様に楽しく、笑い、肩をペしぺし叩きながら昔話をしたり、お互いの近況を話したり。美味しい料理に囲まれながら酒を組みかわしたい。

 

戻りたい。本気で思った。

 

みんなが言う。 

『お前なら大丈夫な気がする』『俺たちの誰かじゃ分かんないけどお前なら大丈夫。』

なんの説得力もないが昔から彼らは私を必要としてくれて期待してくれた。遊ぶ時も悪ふざけするときも。先生にきつく怒られる時だって一緒だった。

 

竹馬の友とはこういうものなのかもしれない。そう思った。竹馬乗るほど幼くはなかったがバイクに乗ったり10キロ以上ある家から学校までの距離を一緒にバスで通学した仲間もいる。あの時に一緒にかいた汗、一緒に先生に殴られたげんこつの痛み。

 

一人ではひょっとしたら立ち直れなかったかもしれない。何で私ばっかりと考えもしたが彼らと会った今は私が彼らの先頭に立ち、もし彼らがガンや辛い局面に対峙した時、私の経験が生かせれればとさえ思うようになってきた。

 

この時の私の体調は決して良くは無かった。抗がん剤の副作用か髪の毛はごっそりと抜け出した。お風呂からあがる時も以前は髪をタオルで拭き、次に顔、最後に体だったが、髪の毛がごっそり抜けるようになってからは順番が逆になった。以前と同じようにしてしまったら最後体を拭く時に体中に髪の毛が大量に付着するからだ。

 

毎日、シャワーを浴びて毎日このような状態になり煩わしかった。逆にすればいいじゃんと思うが友人たちと会うまではそんなまで気が回らなかったのである。

 

 

薄くなった私の髪の毛。白髪も一気に増えた。

 

↓まだまだ毛はあります。でも念のためリンクにしました。見たい方はどうぞ。

抗がん剤治療2クール開始前の側頭部 https://goo.gl/zexR1H

 

↓部分部分に円形脱毛症みたいになってきました。

抗がん剤治療2クール終了時1~2週間の側頭部 https://goo.gl/OpcZfW

 

 

周りが見えてなかった。自分の事さえも。

 

副作用は他にもあり食欲が全くなかった。友人と会う時はおそらく一週間ほど殆ど食事が出来てない時だった。食事が出来なくても辛いということは無く、只々、白飯の匂いや味噌汁の匂い、魚の匂いが嫌で嫌でしょうがなかった。酷い時には吐き気をもよおすまでになった。

 

食が進まないのに排尿、排便、寝汗はあったので体重もどんどん減っていった。おそらく、友人達もやせ細った私の姿を見て唖然としたのではないだろうか。

そういうそぶりを見せることもなく、いつも通りに接してくれた友人達に感謝したい。あの時にもし、げっそり瘦せたねとか、以前の見る影もないねなどと言われれば勝手ながら友人関係を解消していたところだったかもしれない。

まあ、そんなことを言う人とは友人にはなってないだろうが。

 

色んな力を借りて何とか乗り切った第2クール。これが最低でもあと4回。この先、治療はもっと辛くなることは分かっている。また挫けそうになるのか。それとも、今を乗り切ることが出来たから、この先も乗り切れるのか。

 

それはやってみなければ誰にも判らない。医師にも私にも。

私は占いは信じない。でも、おまじないの類は信じてしまう。この足首に巻かれた子供が作ってくれたミサンガに私は改めて願いを誓った。元気な姿になりたいと。

 ↓汚い足ですみません。

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私の車の中に最後に使った日に置いたままの私のバスケットシューズとバスケットボール。

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以前と同じようなプレイは出来ないかもしれないが何とか頑張ってスリーポイントラインの外側からシュートを放ちボールがリングに一切触ることなくネットをくぐる時の音をまた聞きたい。スパッと言うあの音。

 

『Swish!』

 

英語ではあの音をスウィッシュという。ゴールのボードやリングに邪魔されない自分の距離感、力加減が一致した時だけに聞ける音。

 

私もバスケットボールの様に誰にも邪魔されず、横にぶれないように寛解というゴールを目指したい。

 

私は9000回以上シュートを外し300試合に敗れた。決勝のシュート(決めたら勝ち)も26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ。

 

これは私が大好きなバスケットボールプレイヤーマイケルジョーダンの言葉だ。

ジョーダンと言えばおそらくほとんどの方がご存じだろう。でも、彼のハイライトシーンや偉業はTVや雑誌で取り上げられたが彼の失敗や負けた試合はあまり取り上げられない。彼は神とも呼ばれた男だ。そんな彼でも当たり前のように失敗から学んだと言っている。私も自分の失敗、間違いから多くの事を学んできた。これからもそうしよう。

 

焦りもあった、偽りもあったかもしれない。

 

でも、前に進もう。また挫けてもいいさ。そこから学び立ち上がれば.....。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの笑顔。抗がん剤治療 2クール目 その⑥

誰にも会いたくない。支えてくれている家族にも。そう伝えた数日後に来た久しぶりの友からの連絡。私は戸惑いながらも会う事にした。こんな姿を見たらどんな顔をするだろう。悲しい思いはさせたくないし、自分が哀れな姿も見せたくないな。そんな気持ちで迎えた朝だった。

 

突然舞い込んだメールによって私はほとんど寝付けずに朝を迎えた。

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抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

その日は朝からそわそわしていた。女の子がデート前に感じる思いとはこういうことかもしれない。

 

期待と不安。そして、少しばかりの恥じらい。

 

昨日までは締め切っていたカーテンも今朝は開けていた。朝のバイタルチェックに来た看護師が言う。

『おはようございます。今日は珍しく明るいですね。』

私は『たまにはね』と無愛想に答えた。自分が何か恥ずかしくなった。

もしかして私はウキウキしているんじゃないのか?!友達に会う事に?!そんなことを考えながらも、あっという間にその時は来た。友人からの着信である。

『今駐車場についたけどどこに行けばいい?!』いつものアイツの声。

私は自分の病棟名と階数を教えた。恥ずかしさが増す。まるで夏休み明けのような感覚。

 

友人を病室で待っていると(コンコン!)とドアをノックする音が聞こえた。

『どうぞ~』私が言う。

『久しぶり~。よっ!』と友人の彼はいつもの屈託のない笑顔で手を挙げながら部屋に入ってきた。いつもの彼だ。

『どうなの~』彼が大物司会者の様にきいてくる。

『少し前までは大変だったけど今は何とかね。』体調的にはそんな事無いのだけど友人に気を遣わせるのも嫌なので少し気丈にふるまった。

『そうかそうか、それは良かった。安心したよ。思ったより元気そうだし。』

彼はそう言うとお見舞いの品を差し出した。

『ありがとう。わざわざ申し訳ないね。』私は今まで彼に言ったことのない言葉でお礼を述べた。

『後これも。』そういったっ彼の手のひらにはお年玉のポチ袋が置かれていた。

この時はまだ正月明けて間もない時だった

 

『〇〇ちゃんに。久しく会ってないけど。』私にじゃないのか←当たり前。と慌てて受け取る。

『ありがとう。タイミングが良かったね(笑)』

『本当だよ(笑)』二人で顔を見合わせながら笑った。

『なんか飲む?!』私が訊くと『外に出れないの?!』と彼が訊いてきた。

入院して2か月。私はほとんど病室から出たことなかった。

『出ようか。』私はいい機会だと思い彼と談話室へ向かった。

 

二人で面と向き合いコーヒーを飲んだ。古くからの友人とはいえ、こうやって面と向かってコーヒーを飲んだことあっただろうか。そう思いながら、色々な事を話した。

 

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私の病気の事、病状、副作用、入院生活、夫婦の事、子供の事、仕事の事、そして、これからの事。

 

私が一方的に話すのをうんうんと黙って彼は聞いてくれた。私も調子に乗って喋り、あっという間に時間は過ぎていった。

 

『安心したよ。それだけ喋れれば大丈夫。』

 

彼は満面の笑顔で満足そうに言ってくれた。この大丈夫という言葉になんの医学的な根拠もないが、今思えば私はすごく救われた気がした。

 

『最初、悪性リンパ腫で入院してるって聞いたとき正直会おうかどうか悩んだよ。お前が弱っているところも見たくないし、お前もそんな姿見せたくないだろうし。でも、お前は頑張っているだろうから。応援しないといけないなって思ってここに来たんだ。』私はこの時に初めて彼の涙を見た。

 

『ありがとう。』私は声にならずに嗚咽混じりな礼を言った。

 

『辛いよな。でも、頑張れよ。俺たちがついている。俺が知っているお前なら絶対大丈夫だから。』彼はそう言いながら私の手を握ってくれた。

私が高校を卒業して、県外に行くときも彼は餞別をくれて私の手を握ってこう言ってくれた。

 

『頑張れよ。』この時と同じ言葉で。

 

あの時と同じ、私とは違うごっつい手。男らしく、日焼けしたその肌。やせ細って、白い私の病弱な肌とは違って生命力がみなぎっているようだ。

 

この握手にまたしても、私は力と勇気と仲間という掛けがえのないものに気づかされた。この後、残った2本の空き缶を彼は受け取って帰って行った。

 

『また来るから頑張れよ。今度は何人か連れて来るよ!』そう言いながら、笑顔で手を振りながら彼とエレベーターの扉で別れを告げた。

 

一人残されたエレベーターの前で、私は一人たたずんでいた。口を真一文字にして、彼が強く握ってくれた、か細い掌を見ながら。

 

『頑張らんとな。』そう言って掌をぎゅっと握りしめた。

 

彼からどれほどの勇気と力をもらっただろうか。どんなに離れてていても、しばらく会わなくてもいつもの調子、いつもの笑顔で接してくれる彼。ありがたい。本当にありがたかった。

 

久しぶりに会いに来てくれた友人に闘う力をもらい、この後の闘いに向かえる勇気をもらった私。頑張れ!大丈夫!という言葉もありがたいけど。この時はお前は頑張っている。辛いよなって黙って話を聞いてくれたことで救われた気がしました。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

自分の病気を知るという事。

『彼を知り己を知れば百戦殆(危う)からず』昔の中国の孫子の兵法書の中に書かれた言葉。長い年月が過ぎた今の現代にもその教えは活かされます。

 

そして私もその言葉によって生かされます。

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

 『悪性リンパ腫』と告知されてから医師の話や看護師の話。インターネットや書籍で私の病気がどんなものかという事を学びました。その中で勿論なるほどと思う事もありましたし、調べなきゃよかったという事も少なくありません。そこで今回は私が『悪性リンパ腫』になってどのように自分の病気を知っていったのかを書いていきます。

 

孫氏の兵法の中に

 

『彼を知り己を知れば百戦殆(危う)からず』

 

正しくは、

 

『彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。

 彼を知らず、己を知らざれば戦う毎に必ず殆し』

 

というものがあります。どういう事かと(私的に)簡単に申しますと

戦う相手を知り、自分も知れば、その相手と百回戦っても負ける心配はしなくていいよ。

戦う相手を知り、自分を知らなければ勝つこともあれば、負けることもあるかもしれない。敵を知らずに自分も知らなければ戦う度に危ない戦いになるよ。

という事だと思います。

 

私の様な病気との闘いに限らず、人生において幾多の困難がありますがこの言葉というものは、いかなる場合も使えると思いました。

 

私もこの言葉にならい入院してしばらくすると自分の病気、自分の症状、そしてその治療法について色々学んでいくことにしました。

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最初は自分に待ってるのは『死』というもので夢も希望も無いどころか考える気力、生きる希望も持つことはできませんでした。

 

五里霧中。暗中模索。艱難辛苦。苦心惨憺。涸轍鮒魚。七難八苦。愁苦辛勤。進退両難。

 

その時の私の心境を表す四字熟語も挙げればきりがありません。でも、病気の事を知り、自分の症状を知り、その治療法を知っていくうちにその不安も少しは陰り、少しづつですが希望という光が差しだしました。その調べるという勇気をいただいたのは私を支えてくれる家族だったり、友人だったりします。もちろんSNSで知り合った多くの顔も知らない友人も含まれます。

 

私の病名は『びまん性大細胞型B細胞性非ホジキンサンリンパ腫』です。

 

以前のblogでも書きましたが『悪性リンパ腫』という病気は血液ガンの一つで、白血球の中のリンパ球がガン化(悪性細胞)したものです。リンパ球の種類にはB細胞、T細胞、NK細胞などがガン化して無制限に増殖して発症します。

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 一言で悪性リンパ腫といってもその種類は発症する細胞、進行のスピードなどで約50種類くらいに分類されます。私の場合はB細胞がガン化しているのでB細胞リンパ腫となります。

 

詳しくはこちら↓

悪性リンパ腫 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス]

 

 

B細胞がガン化したという事でその治療にはリツキシマブ(商品名リツキサン)という薬品が効果があるという事が分かりました。R-CHOP療法・R-EPOCH療法のRの薬品です。このリツキシマブ(リツキサン)を使っての治療というものは比較的新しい標準的な治療となるようです。

 

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効果がある。

 

この言葉は勇気にも希望にもなりました。治療は実際やってみないと分かりません。

私も一回目の治療にはこのリツキシマブを用いたR-CHOP療法が行われました。

 

しかし、ある程度の効果があったものの私の体から採取された生検検査での結果ではどうやらダブルヒットの可能性があるという事が分かりました。

 

ダブルヒットとはなんぞや?!調べてみました。

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ガン細胞に乗っ取られたリンパ球はその制御能力も失われて無限にガン細胞がくっついた細胞を生成し続けるのです。無限に。しかも私の場合は2つもガン細胞がくっつけられています。

これを知った時はショックでした。しかも私の悪性リンパ腫の進行スピードは5段階の悪い方から数えて2番目に早いスピードらしいのです。

 

これによって、私の治療方法が1クール目の『R-CHOP療法』から2回目以降は

より治療効果が期待できる『R-EPOCH療法』へと変更されたのでした。

その分、副作用も増すわけです。

 

ここまで書いたように自分の病気を調べるという事はただ、不安を増す作業になるのかもしれません。でも、私の場合は知ることによって何処が悪いのか、何でそうなったのか、途中での治療変更の理由なども理解することが出来ました。

 

不安も増しましたが理由があれば少しは安心できる。

 

全ての事がそうだとは言えないかもしれませんが私の場合はそうでした。

 

少しの希望。少しの勇気。少しの力。少しの支え。

 

これが私に偉大なる小さな第一歩を出させてくれたような気がします。

 

剛毅果断。一陽来復。七転八起。現状打破。先見之明。開雲見日。摂取不捨。夢幻泡影。

 

 

希望を捨てるな。頑張ったことに意味があるという四字熟語もたくさんあります。

まだまだ寛解には程遠く治るという確信はありませんが自分が勇気をもってこの病気と向き合ったことで

 

意気揚々。

 

となれるように願っております。最後まで読んでいただきありがとうございました。

感謝いたします。

 

 

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その⑤

R-EPOCHの抗がん剤5種類の抗がん剤。とプレドニンの6日間にも及ぶ連続投与が終わった。心臓にも体にも多大なダメージが出始める。

生きるために闘うと決めたから受け入れた抗がん剤治療。その副作用の影がより顕著になってくる。

  

2回目の抗がん剤投与終了。

 

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抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その④ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

 

『悪性リンパ腫』R-EPOCH療法の抗がん剤の連続投与が終わりました。

私の体内に新たな抗がん剤が完全に投薬されました。明らかに前回のR-CHOP療法とは直後の副作用が違い、胸の痛み、指先の痺れ、足のむくみ、顔のむくみ、口内炎、舌の炎症、吐き気、虚脱感、倦怠感、顎関節の痛み。そして、まだ大量に出る寝汗。数え上げればきりがありませんがそんな症状がすぐに出てきました。

 

ベットの上で何もできずに身を折りたたみ、芋虫の様にモゾモゾとしながら過ごす日も数日続きました。この治療方法は正しいのか?!自分に合ってるのか?!そんなことを考えるほどきつかった記憶があります。

 

吐き気や虚脱感が酷く、何もしたくないし、何も食べたくない。匂いだけでもうんざり、誰もいない病室で昼間でもカーテンを開けることなく、薄暗い中、副作用と闘い続けました。

 

食事は摂れてないのに便意はある。トイレには行くのですが出ない。点滴によって日に2000mlの水分が強制的に流入したおかげで小便の方は頻繁にでる。30分もすれば尿意を覚え、トイレに座る。その繰り返し。昼も夜もただひたすらトイレへ向かう。

まさにトイレへの巡礼です。 

これだけ、トイレに通い続けたのに私の巡礼は認められず体重は増加するばかり。

 

担当医の話によると腫瘍崩壊症候群や腎臓、肝臓保護の為に治療開始時の体重から+1.4kgで利尿剤を投与されることになっており、この利尿剤が本当に辛いんです。

昔、ボクシングをやってた時に試合前の減量で体重が落ちずに利尿剤を使うって話聞いたことありますが、そんな状態で試合なんて絶対にまともに出来ません。

 

そして、私は体重オーバーの為に利尿剤を投与されることとなります。

投与後、1~2分位で背中辺りから脇腹通って下腹部に向かってぐおーっと押されるような感覚がしてその後猛烈な尿意を覚えます。トイレに行ったら10分は出れません。

このが2,3日続きました。排便は大きい方も出ておらず、ずっと下剤を使用してました。便秘で中々出ずにトイレで毎朝20~30分位籠りました。

 

気張りすぎると心臓にも負担がかかるためにこの排便は大きい方も小さい方も本当に大変でした。毎日、全身汗だくでトイレに籠り、出てきたときには貧血で倒れそうになったこともありました。

 

同時期に年配の患者さんが無理に排便しようとして腸がねじれ、急性腸炎となりICUに運ばれたようでした。この時は、緊急に家族も病院に呼び出されて大変な重篤な状態だったようです。この光景を目の当たりにした私はその後も、この排便には細心注意を怠りません。それは、現在に至っても続いております。

 

抗がん剤投与後、1週間後辺りには口内炎や舌の炎症、抜け毛なども顕著となってきました。舌の炎症は酷くて、酸味があるもの熱いものは特に染みます。なので、医師に特別なうがい薬を処方してもらいました。

 

その時の炎症を起こした私の舌です。気持ち悪いので、もし見たい方は注意して見てください。

(閲覧注意)↓ 

https://goo.gl/jVuw6P

 

副作用が酷くなれば当然それに比例して、やる気、病気に対する不快感、生きる気力がなくなります。

 

私もそうでした。この前の一時退院で得た勇気も充実感も希望もこの時にはもう無くなっていてガス欠状態でした。

 

ふらつく体、痺れる指先、何をしても沁みる口の中、そしてまともに力が入らなくなった体。このまま、生きていけるのか、治療は上手くいっているのか、抗がん剤治療なんて間違った治療法じゃないのか、この時には、『悪性リンパ腫』の治療法や余命、再発率なども調べていました。

 

その情報が弱った体と心の私をさらに追い詰めていくのでした。家族に話しても、

 

『そんなの見るからよ。不安になるだけじゃん』とか

『きついのは分かるけどもっと辛い人が居るのよ頑張んないと』などと言われました。

 

こんなことを言われれば、大丈夫?と訊かれれば大丈夫としか言いようがありません。

 

大丈夫じゃないと言えば、どこが?何が?と言われます。この時の私には、それに答える気力も余裕もありませんでした。

 

私の気持ちを何で汲んでくれないの?

 

話を聞いてくれるだけでいいのに。

 

頑張ってじゃなくて、そうね辛いね。

 

そう言ってくれるだけで落ち着くのに、、、。

 

私を支えてくれている大切な存在。それは分かっています。でも、その大切な存在の家族との気持ちのズレ。このズレも副作用同様大きくなって行きました。

 

『しばらく、俺もきついからお見舞い来なくていいよ。』

 

ある日、私が下した決断です。家族との面会が苦痛でした。

 

そしてこの日から大きくなる副作用でさらに孤独になり不安で眠れなくなります。あれほど、毛嫌いしていた睡眠導入剤の服用も考えました。でも、寝れなくて体調悪くなって死ぬんならそれもありかな。とまで考えるようになっていたのです。

 

ただただ、孤独でした。

 

ほんの2週間前にはこれで闘える。頑張ろうとあれほど思ったのに。

 

本当に情けない。自己嫌悪でますます孤独になります。

 

そんな時にスマホにメールが来ました。もう25年来の友人からでした。

 

(おう!久しぶり。元気か久しぶりにバスケでもやろうかと思って〇〇中学校の体育館で今度の火曜の19:00~ね。一緒にやろう。)

 

こんな状態の私にバスケやろうという誘いなんて馬鹿げてますよね。でも、私は家族と会社以外には病気の事も入院生活の事もこの時は内緒にしていたのです。

 

バスケか・・・。

 

学生の時はいわゆる『庶民シュート』も上手く出来ずに授業をさぼっていた私。正確に言うと授業に参加はしていましたがバスケには参加してませんでした。そんなバスケ嫌いの私が仕事で初めての海外赴任で日本語に飢えてしまい、たまたま買った漫画

『スラムダンク』にはまり、バスケを愛する男となったのです。

 

あれから、20年。今でも好きです。子供が出来ても一緒に行き。パパ頑張れーとか試合を観ていた子供がみんなの中でパパが一番上手かったと言ってくれたバスケットボール。

 

慣れない海外での一人での生活。見知らぬ街の名前も知らない公園のバスケットコートで早朝からダムダムとボールを見ないで腰を落としてドリブル練習から始めた私。

 

次第にシュート練習を始め、シュートが決まるようになると達成感を覚え、練習時間は早朝、仕事の昼休み、夜と増えていきました。さすがに夜中は近所の住民に分からない言葉で怒られましたが(-_-;)

 

小学校の時に出来なかった逆上がりを努力で出来るようになった私。嫌いだったバスケも好きになり、出来るようになっていきます。

 

そんな時に知り合ったある友人。いつも公園でひとりシュート練習をしていた私に

 

『Would you play Basketball .』

 

なんか、そんな感じだったと思います。私はあたふたしながら『O.K!』と答えました。この後から急激に知り合いが増え、言葉も覚え、仲間も増えていきます。

 

孤独だったのに。別に仲間が欲しくて始めた訳じゃないのに日本人という事だけで興味を持ってくれて、話をしてくれ一緒にバスケを楽しんでくれる。たまには、シュートやパスを失敗するとコイツ使えねぇやと烙印を押され露骨にパスが貰えなくなったり、明らかに指を刺されながら文句言われます。

 

 『Go! home Japanese!』

 

その度にムカつき、でも冷静に。その相手をドリブルで抜き去り、シュートを決めました。

 

その相手の目を見てコートを指さし『I'm here!』

 

小学校3年生から中学校3年間いじめられてた私。

自分の意見も言わずに、ただただ時が過ぎ去るのを待ってた私はもういませんでした。高校に行ってからは自信もつき人生も楽しくなってた私。やられたらやり返す! 1.5倍返しくらいで(笑)

 

大人になった私に色んな自信と可能性を教えてくれたバスケ。

 

子供の頃の自転車の練習。逆上がりの練習。

 

それ以上の自信と努力の大切さを教えてくれたバスケの誘い。

 

私はこのぶっきらぼうなメールをくれた友人に感謝して返信したのです。

 

『ごめん。今、入院していてバスケなんて出来ない。』

 

その後、すぐに電話が鳴りました。その友人からでした。

 

『なんで?!どこが悪いんだ?!』慌てた口調に申し訳なく思い、病状の事や今までの経緯を説明しました。その友人は涙声で『出来ることがあったら何でも言ってくれ。辛いと思うけど。』『わかった。』私はそう答え、明日、会う約束をしました。

 

もし、この時のメールが病気大丈夫か?!って内容だったら、私は会っていないでしょう。大丈夫じゃないし、心配させたくないから。でも、いつも通りのぶっきらぼうなメールでした。いつも通りのアイツからのいつも通りのメール。

 

普通に接してくれて、普通に話してくれる。そんな友人に感謝しました。

 

副作用の症状はありましたが心の中に何か温かいものが灯ったのも事実です。

私は久しぶりに締め切ったカーテンを開け外を観ました。

眩しい光、少しだけ生きている心地がしました。

頑張ってみるか、、、。そう、呟きました。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療 2クール目 その④

R-EPOCH療法での治療が開始された。私の体の中に抗がん剤が流れ出す。

『悪性リンパ腫』と闘う私。私の悪性な細胞と闘う抗がん剤。抗がん剤の副作用と闘う私。奇妙な食物連鎖の中で私が感じ私が考えたこととは。

 

抗がん剤治療2クール目R-EPOCH療法1回目第1週目

 

今回のブログはシリーズものです。まだ読んでない方はこちら↓

 

抗がん剤治療 2クール目 その① - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

抗がん剤治療 2クール目 その② - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記- 

 

抗がん剤治療 2クール目 その③ - 風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

 

※ブログ内の薬品名、医学用語はあくまでも私が医師から聞いた話や自身で調べた結果による内容です。私は、医学を学んだわけでもありませんので、あくまでも実体験に基づいて書いております。もし、治療中の方や相談などはご自身の医師にお願いします。その点にご留意していただきますようお願い申し上げます。

 

いよいよ私の体にR-EPOCH療法で使われる抗がん剤が投与されました。治療法の途中変更など考えもしなかったけど色々調べていくうちに結構普通の事だという事を後になって知りました。

R-CHOP療法というものはボクシングで言うところのジャブというパンチで、そのジャブによって相手との距離を測り、もっと強いストレートパンチが届く距離感を測る。

また、ジャブを出し続けることによって相手もパンチを出しづらくなる。

 

R-CHOP療法も私の体の中の悪性細胞の大きさ、数、進行のスピードを測るために用いられ、最も効果的であろうR-EPOCH療法の出番がやってきたというようなことなのかもしれません。

 

私のR-EPOCH療法は下の票のスケジュールで行われます。

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1日目 11時位にリツキサンが投与が開始されました。夕方17時過ぎに投与は終わりました。投与されている間は特にこれといった副作用は現れませんでした。投与30分前に飲んだ吐き気止めが効いてくれたからなのかもしれません。

 

しかし、投与後1時間位たった夕食後に急に胃のあたりに痛みを感じました。キリキリと痛み、その痛みはお腹全体に広がるように鈍く痛み続けました。結局、晩御飯も食べれず、お見舞いに来てくれた子供とも会う事が出来きなく悲しい思いをしました。

 

胃のあたりの痛み。胸の息苦しさ。喉の渇きと軽い頭痛がこの日はずっと続きました。夜中も医師や看護師にどういう症状ですかと何度も訊かれたが初めての痛みの感覚なのでうまく表現が出来ませんでした。同じような病気で同じような症状が初めて出た人もこのような経験をするのではないでしょうか。

 

初めての痛みの症状、経験はうまく言葉で表現できない。

 

何度も説明するのが面倒になって来て、途中でもういいです。だいぶん痛みはひきました。と言ってしまったぐらいです。胃のあたりの痛みは日が明けても引かず。食事もあまり摂ることが出来ませんでした。

 

投与3日目

 

この日は朝から血液検査の採血があり、その検査結果を担当医が伝えに来てくれました。

腫瘍の崩壊もまずまずで、白血球などにも今のところは異常なし。という事でした。

この報告で何が良いのか何がいけないのか分かりませんでしたが少しだけ安心した気がしました。

他に腎臓には今のところ問題はないが、肝臓にはこの時飲んでいた心臓の薬が合わないのかダメージが出ているとのことでした。これは、薬の変更によって対処するという事でした。

 

症状を緩和するために飲んだ薬が他の内臓にダメージを与える。

 

この時つくづく人間の体はよくできているなと思いました。自動車や電化製品の製造ラインの様に一つのラインの流れが悪くなったら、他のラインにも影響が出たり、流れが悪かったラインが良くなったらそのしわ寄せが他のラインに出たり。

 

心臓が良くなったら、肝臓が悪くなる。

 

悪性腫瘍がもし、良くなったらどこか悪くなるのだろうか。

 

こんなことを考えながら投与の一週間が過ぎていきました。

 

ここまでの副作用は、主に手の指先の痺れ、胃のあたりの痛み、心臓のキューという痛み、胸の息苦しさ、便秘、不眠、食欲不振、ふらつき、頭痛。

 

色素沈着も毛髪の抜け毛もこの時はまだありませんでした。

 

この副作用のほとんどはこの後もお付き合いしていくこととなります。

 

2クール目が終わりを迎えようとするときに私は妻と子供に手紙を書きました。

一時帰宅が出来たとは言えもう2か月家を空けています。感謝と今の自分の気持ちを伝えたかったからです。この時に書いた手紙を一部抜粋して紹介します。

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子供へあてた手紙

 

〇〇へ

 

パパお家に居なくてごめんね。寂しい思いをさせてごめんね。でもパパは、一日も早く

ママと〇〇とまた3人で一緒にお話をしたり、ご飯食べたり、お風呂入ったりするために頑張ってるよ。

ママもパパ居なくて大変なのにお仕事して、〇〇のご飯作って、パパの洗濯物とかもしてくれてる。だから、パパからのお願い。パパもママも頑張ってるから〇〇も頑張って欲しいんだ。

ママ、今家の事一人で大変だから〇〇にママの手伝いを頑張って欲しいんだ。

出来るよね。約束だよ。

家族3人頑張れば、パパの病気も早く良くなるかもしれないから一緒に頑張ろう。

今度、パパがお家に帰れる時には〇〇が好きなアップルパイでも焼こうかな。

 

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妻へあてた手紙

 

ママへ

 

 突然こんなことになって本当に申し訳ないって思ってる。今まで散々、辛い寂しい思いさせたのにね。この先、どうなるか分からない。治療が上手くいけばいいけど、もしもの場合もあると思う。

こんなことは話たくもないし聞きたくもないと思うけど今のうちに言っておきたいことがあるから手紙にしました。

 

もし、俺が死んだら。〇〇の事をお願いします。無責任かもしれないけど〇〇を精一杯の愛情をもって育ててください。あなたは立派な母親です。だから、俺が言うのもなんだけど自信をもって育ててください。

 

最後に

 

僕と知り合ってくれて、ありがとう

僕と友達になってくれて、ありがとう

僕とつきあってくれて、ありがとう

僕と結婚してくれて、ありがとう

〇〇を生んでくれて、ありがとう

僕をパパにしてくれて、ありがとう

僕と別れないでくれて、ありがとう

今まで、ありがとう

これからもずっと一緒に居たいです。

 

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今はこの手紙の行方も読んだのかどうかも分かりませんがこの時の気持ちは今も変わってません。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。