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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

2度目の退院で気づいたこと。その①

R-CHOP療法からR-EPOCH療法に治療方法を変更して行われた2クール目が終わり、無事に白血球、好中球などの血液細胞もある程度の回復が見込めた。ようやく、家に帰れる。今回はどんなことが待ち受けているのか。

 

父が迎えに来てくれて我が家へ、、、。

 

 家に大量の荷物を家に運び入れる。私は極端に体力が弱っているために父に荷物を運んでもらう。この年になってまで親に頼るとはなんとも情けない限りである。

そんな事を考えながら部屋の中から父が運んでくれる荷物を受け取っていると、、、

 

『にゃ~!』と家の外から聞き覚えのある鳴き声がする。甲高いあの声の主は我が家の雌猫の声。

 

声がした方向を見ると庭の地面で嬉しそうにゴロンゴロンとしていた💦

 

窓を確認してみると反対側が開いており、どうやらそこから脱走したようだ。何度もある事なのでもうあんまり気にしない。この家に来た当初は脱走された時に悲しくもなったけど幸い大きな道路にも面してないし、この子の場合は5分もすれば帰ってくるので良しとしよう。

 

↓そうこんな感じでゴロンゴロン(=^・・^=)

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父にお礼を述べて少しばかり横になる。ゆっくり目を閉じて、ウトウトとする、、、。

 

『にゃ~にゃ~みゃ~~~~』

 

甲高い声が眠りを妨げた。お猫様のお帰りだ。そんなにすぐ戻ってくるのなら出ていかなきゃいいのにと、いつも思う。

飼い猫に眠気をそがれた私は部屋の掃除を始めた。もちろん感染予防の為にマスク、メガネ、空気清浄機も全開で行う。しばらくすると子供が元気よく帰ってきた。

 

『パパっ!!!』扉を開けるなり私の姿を確認した子供は驚きながらこう言った。

 

いつも血液検査の結果次第で帰れるか帰れないか当日の日午前中にしか分からないので子供にはこの日に帰るとは言えない。だから当然、このような結果になる。嬉しそうで良かった。

 

『ただいま!』私は前回の退院時の反省を踏まえ元気よく言った。

 

『お帰り~ただいま~』子供が前回の事を思い出しているかどうかは定かでは無いが楽しそうに嬉しそうにはにかんだ感じで返してくれた。

 

私は両手を広げて子供を自分の胸に招き入れた。子供もそれに答えて私の胸に両手を広げて飛び込んでくる。一瞬、後ろにのけ反りそうになる。

 

『そんな急に来たらパパしんじゃうよ。』少し笑いながら言うと。

 

『ごめ~ん。』と少し笑いながら言ってくれた。

 

また、帰ってこれた。ここに。入院してからここまで3か月。私の病状も症状も環境も入院前とはずいぶんと変わってしまったが帰れる場所だけは、まだ残されていたことに感謝した。ありがたい。

 

もう少しでこの子の誕生日。私はこれからこの子に何が残せるだろうか、、、。そんなことも思ったりした。この子が生まれたときは自分がサラリーマンを辞めなければいけなくなることも『悪性リンパ腫』になることも全く想像しなかった。

 

でも、まだまだこの子のために出来ることを出来るだけやって何かを残したいとあらためて思った。

 

『今日のご飯は何にするの?!』私が家にいる時には決まってこう訊いてくる。

 

『今日はまだパパ体がきついから作れないよ。』と言うと少し寂しそうな顔をした。

 

『ママが帰ってきたら美味しいご飯を作ってくれると思うからそれまで一緒に宿題をしよう。』子供の顔が宿題という言葉でまた陰って見えたが一緒にという言葉ですぐに頷いてくれた。

 

子供の宿題を一緒にしてるといつも思う。自分の子供の時何が分からなかったのかどこで躓いたのか。

 

例えば子供が算数の問題を解けないでいるとなんで解けないかを考える。

 

単純に計算方法が分からないのか、それとも問題の意味が分からないのかなど。

 

うちの子の場合は概念がないことが多い。その式や問題に出てくる言葉が頭の中に入ってないのでまずはそこから教えることになる。

 

概念を教える。結構疎かにしがちだけどっても重要な事だと思う。

 

算数の分数の問題なんかも2分の1という数字よりもミカンの半分の方が子供にとっては分かりやすいかもしれない。私はこの時に子供にミカンを食べようと言って半分食べた。

子供は『パパずるい』と言ったけど『今パパが食べたのが2分の1だよ』と言った。

 

きっと子供は忘れないと思う。私も子供の頃、父が姉に分数を教える時にこうやっていたのを今でも覚えているからだ。父から私へ私から子供へ。一子相伝である。

 

そうこうしているうちに妻が帰宅した。私は子供と食卓の準備をして夕食が出来上がるのを待った。食欲はある。でも、正直食べれるかは心配だ。この時は病院食をほとんど食べれずにいたからだ。

 

入院当初は美味しいと言って食べれていた病院食も入院から3か月も過ぎた今では全く受け付けれなかった。はっきり言って食事の時間が苦痛だった。

 

私の前に妻が作ってくれて夕食が並ぶ。そのメニューは、、、、、。

 

とんかつ。

 

私は試されているのかと思った。妻はそこまで深く考える人間ではないが私はそこまで考える人間である。とんかつ。それは私がこの病気になって最初の異変に気付いたメニューである。

昨年の11月家族と、とんかつ屋に行ったとき、おそらく人生で二度目の飲食店で注文をして一口しか食べれなかったという記憶。(一回目は冗談にならないくらい生臭かったラーメンの時である(-_-;))

 

そして、白ご飯と味噌汁。

 

この2品も病院では全く食べれないでいた。

 

少し大げさではあるがその料理たちを見ながら少し不安になった。子供が食事前のあいさつをする。

 

『手を合わせてください。』家族三人が手を合わせる。

 

『いただきます。』子供の言葉に続いて『いただきます。』妻と私が言う。

私と妻のすれ違いが始まり、家族がバラバラになりそうになった時に子供と決めたルールだ。それから、家族そろってご飯を食べるというルールも追加された。

私のエゴかもしれないけど、このお陰で家族間での会話も増えたし、一緒にクイズ番組などを見て趣向なんかもよく分かるようになった。

 

万を期して味噌汁からいただく。まずは一口、、、。

 

(ズルズルズル・・・・)

 

『美味い!!!』思わず声が出た。何か月ぶりかで味噌汁を食べておいしいと感じることが出来た。次にとんかつを一口食べる・・・。いわくつきのとんかつ・・・。

 

『美味いねぇ~~!』また声が出た。素直に嬉しかった。

 

それまで抱いていた不安も吹き飛びご飯をものすごい勢いでかっ込む。それぐらいこの時にご飯は美味しかった。まるで無人島か何かで救助された人みたいな気分だった。

 

ご飯が美味しく食べれる。

 

以前のブログでも書きましたが以前普通に出来ていたこと。

 

快食、快眠、快便。一見、普通の事なのかもしれないけれどこれは普通じゃなくて特別なこと。

 

快食、快眠、快便これが人が生きていく上で、どんなに大切でどんなに精神衛生上大切な事かというのもを気付かせてくれたワンシーンになりました。

この晩は結局3杯のご飯のお替りと2杯の味噌汁をお替りしました。

 

『あんなにご飯が食べれないって言ってたのにね』と妻に言われました。

 

『ママが作ってくれたご飯が美味しいからだよ。』私は素直に言う事が出来ました。

 

この病気になって私の中で色んな不安や悩みも増えましたが、自分の欲求や不満を以前は言えなかったことも口に出すようにしました。

その分、嬉しかったことや感謝の気持ちも口に出せるようになりました。

 

こんなに気持ち、思考になれたのは悔しいけれどこの病気になったからかもしれません。ならない方がいいに決まっているのですが、よくスポーツ選手がケガやブランクなどから復帰した時に応援してくれた人たちのお陰ですって言ってるのを聞きますが。

以前の私なら当たり障りのないコメントだなって思っていた部分もありました。

でも今は、やっとその人たちの気持ちが分かるようになりました。その人たちの思考に追いついたというか気持ちが分かるようになったんです。

 

人の想いや人が自分にしてくれたことに感謝する。これがどれほど沈んだり、嫉んだり、燻ってたり、澱んでいた自分の気持ちを晴れ晴れとした気持ちにしてくれることか。

 

ようやく理解することが出来ました。これからも、もっと日々起きたことや、日々感じたことに不安や不満が出てくることでしょう。でも、それ以上に感動したり感謝することも増えるに違いありません。

 

そのことに期待せずにはいられない夜でした。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝申し上げます。