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風邪だと思ってたんですが💧 -悪性リンパ腫闘病記-

人生で初めての入院生活。自分、家族、仕事、人生とは⁉入院生活で感じた事や闘病記録、家族との過ごし方、趣味や特技の事を綴っていきます。

2度目の退院で気づいたこと。その②

抗がん剤治療の2クール目が終了して自宅へと戻った私。1回目の一時退院の時には感じることが出来なかった事を感じたり、考えたりできるようになった。

少しの気持ちの余裕が出来たのだろうか。そんな日々。

 

今回の一時退院はやる事盛沢山、、、。

 

今回のブログはシリーズものです。まずはこちらからをお勧めします。↓

www.orangelamp8.com

 

この日は朝から2017年4月に起きた『熊本地震』によって損傷した我が家の家屋調査の結果を聞きに区役所へと向かった。

 

この結果によっては家の修理も出来るし、もし、半壊以上となれば私の医療費の免除という事にもなるからだ。医療費の免除。人には卑怯者と言われるかもしれない。

 

でも今の私には頼れる人も生命保険も職もない。生活の基盤というものと生活の保障というものは全くない。

これまでの人生、決して不真面目に生きてきた訳でも反社会的に生きてきた訳でもない。

生命保険だって『悪性リンパ腫』と告知される一週間前までは加入していたし、仕事だって入院するまではやっていた。でも、今は何もない。

生活保護の申請だって無理だと言われた。もう、藁にもすがる思いでこの家屋調査にかける思いだった。

その結果は、、、。

 

一部損壊。

 

予想はしていたがその調査内容は釈然としないものだらけだった。

私の家は地震によって家の基礎が破壊された。亀裂が入り、再び大規模な揺れが来たらこの家は完全に横にずれてしまうだろう。

 

でも、その基礎の破壊による被害認定基準点は全体の割合が100%とすれば10%。

 

家屋調査の被害認定基準には基準点を50%超えると全壊。

40%以上50%未満が大規模半壊。20%以上40%未満が半壊。

それ以下では一部損壊とみなされる。

 

私の家の場合は10%で一部損壊。

 

この被害認定基準にも屋根、壁、床、柱、基礎などにそれぞれの基準点が設けられており、それぞれ10%~30%までも割り当てがあったと思う。

 

基礎破壊の割り当ては10%。

 

私の家の床にビー玉を置いたら転がっていく。ごろごろと。

 

でも、10%。

 

壁のいたるところに亀裂が走っている。タイルなどもいたるところが割れている。

 

でも、10%。

 

半壊レベルの20%にははるかに及ばなかった。

 

係員が他の家屋の写真を見せて、これくらいの規模の破壊でないと半壊にはなりませんと言う。その写真は余りにも凄惨すぎて今の私のこの傷ついた心臓、体にはとてもじゃないが耐えられい写真ばっかりだった。

 

私は諦めた。

 

早々にその場を離れ駐車場の車へと向かった。とぼとぼと歩みながら、自分が情けなくて情けなくて涙が出た。車の中でも、次から次へと涙が溢れその場を動くことが出来なかった。

 

今まで私は何をやってきたのだろうか。

 

人並みに勉学に励み、友人もそれなりに出来、社会人になってからも精一杯に頑張ってきた。人がさぼっている時も汗を流し、人が行かないところでも足を運び、人が嫌がる事も敬遠する事もやってきた。もちろんその中で、おごりや怠慢もあったかもしれない。でも、私が両親から教えてもらった事。

 

『人には迷惑をかけるな』

 

これだけは守ってきた。

結婚もし、子供も出来た。私にも守るべきものが出来一層仕事にも精が出た。その結果。会社始まって以来のスピード出世と言われ、より多くの収入も役職も手にすることが出来た。役職等には興味なかったが発言力が増したことによって色々な改革にも邁進することが出来た。

 

その結果業績も上がり、若手の社員の営業成績も顧客の満足度も上がった。でも、それが気に食わない古い体質の人間たちに若手社員は潰され、私たちが積み上げていった新しい顧客層もモデルも私が退社したなどの嘘や悪い噂の流布によって崩壊していった。

 

私は何も守ることは出来なかった。涙を流して辞めていく社員たちにその時に持っていた財布の中身を渡すことしかできなかった。

 

そして、鬱になった。

 

吐き気が止まらなかった。どこに居ても何もやっても吐き気が止まらなかった。

オェーオェーっと何度もえずいた。何も出ない。胃液も出ない。

 

苦しかった。誰にも言えず。誰にも気づかれず。

 

夜布団に入って目を閉じても眠れぬ日々が続き。死にたいと毎晩考えた。夜一人で車に乗って死に場所をさまよったことも一度や二度ではなかった。

 

でも、私は死ねなかった。幼い頃に父がお前が俺より早く死んだら俺はお前の後を追って死ぬ。その言葉が胸に残っていた。

 

そして、会社を辞めた。

 

自分が築いた顧客との関係をこれ以上続けていくことが出来なかった。

そして、私は自宅の自室に籠った。日が出てもカーテンを開けることは無く。携帯の電源は切ったまま。会社を辞めたことも誰にも言ってなかった。

 

妻にも。

 

それから、1年半が過ぎ妻が家を出た。

 

私は一人になった。

 

会社でも妻の実家の家族にも

 

『お前が悪いと言われた。』

 

私も自分が悪いと思っていた。申し訳ないと思っていた。自分が情けなかった。

 

でも、子供の『パパと一緒が良い!』と言う言葉で私は立ち上がり、今の自分は駄目でも情けなくてもこの子の為には頑張ろうと決め頑張れた。

 

あれから、この日はちょうど一年が経っていた。あの子供が力をくれた言葉から。

 

私は、涙を拭きはぁーっとため息をつき。家に戻った。

 

 

晩御飯を作り、皆で食べた後に子供と節分の用意をした。この日は節分だった。

一年前のこの日は子供と二人で豆まきをした。妻が出ていったこの家でママが帰ってきますようにと二人で必死に笑いながら豆まきをした。

 

↓2016年の節分。顔で笑って心で泣きながらも頑張りました。

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今年は家族3人で豆まきをした。

↓お父さん鬼

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↓お母さん鬼(爪切り持ってますが笑)

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↓そして今年は大喜びの子鬼ちゃんです。

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今年は子供が『パパの病気が治りますように~パパの病気出ていけ~』と豆まきをしてくれた。

 

私の病気は治るだろう。そう信じたい。絶望だった1年前とは状況が違う。家族3人揃ってご飯を食べて、一緒に寝れて、お風呂に入って、笑って、楽しめてる。

 

もう少しの辛抱だ。頑張ろう。そう願いながら豆を今年も投げた、、、。

 

来年はもっと良い福の神が来てくれて、悪い鬼たちはもう来ないでくれるだろう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。